理想の彼女

(株)赤坂エコライフ

第1話 株式会社 赤坂エコライフ

「もしもし、お世話になっております。私、株式会社赤坂エコライフの石田と申します。はい、お世話になっております。本日は先日ご紹介させていただきました赤坂バッテリーの件についてですね――」

 

 俺の名前は石田サトル。

 エネルギー関連事業を手がける『株式会社赤坂エコライフ』に勤務する社会人2年目のしがない営業マンだ。

 最近では主に、我が社の新製品である『赤坂バッテリー』を売り込むべく、電話帳に登録されている得意先の面々に片っ端から電話をかけまくっている。

 俺は開発部の人間ではない上に、物理も化学も高校生の時にきっぱり諦めてしまった生粋の文系人間なので、この製品については何も分からない。

 しかし、「それって、具体的に何が凄いの?」と聞かれたら、「はい、エネルギー効率が従来のものに比べて格段に向上いたしました」と元気よく反応し、「一度詳細の書かれたパンフレットをお渡しさせていただきますね」と畳み掛け、実際に取引先の人間と対面したその日のうちに印鑑をもらってこい、と上司から言われている。

 全く無茶な上司があったもんだが、この会社自体は世間では『クリーンな企業』というイメージで通っているらしい。


 

 東京都は千代田区の一等地にオフィスを構える『株式会社赤坂エコライフ』。

 週休二日制を遵守し産休や育休の制度導入にも積極的で、経済産業省の優良企業ランキングにも毎年上位にノミネートされている。

 ちなみに社名の赤坂は東京の地名ではなく創業者の名字である。

 昨今の日本では、ブラック企業と呼ばれる悪徳な企業が、末端の従業員たちに違法な長時間労働を強いていることが社会問題となっている。たまにニュースで悲惨なブラック企業の現状を見かけるが、同じ社会人としてはなんともいたたまれないものだ。

 その点、俺は雇い主に比較的恵まれている。願わくば、月末に頻繁に開催される飲み会にも給料が発生してくれればなお良しだ。

 

 ちなみにこれはうちに面接にやってくる就活生がよく勘違いしていることらしいのだが、赤坂エコライフは週休二日制の企業ではあるが、完全週休二日制の企業ではない。

 完全週休二日制とは毎週必ず二日間の休みがある状態を指すのに対し、週休二日制とは一ヶ月の間に二日間の休みがある週が一度以上ある状態を指す。

 つまり、週休二日が実施されている週が一ヶ月の間に一度だけでもあれば、その他の週がどんなに過酷なスケジュールで構成されていようとも、それは週休二日制と呼ぶことができるのである。

 かくいう俺も就活生の頃は、そんなことは全く知らずに面接を受けたものだ。

 おかげでこの二年間、ひと月の休みが二日しかなかった月を、俺は幾度となく経験する羽目になった。


 

 この会社の定時は午後5時だ。

 今はだいたい午後9時を少し過ぎた頃合だが、俺は未だに会社のデスクでパソコンとにらめっこをしている。

 いわゆる残業だ。

 うちの課長に言わせると、残業というのは周りに比べて能力のない人間がその日に課されたノルマをこなせなかった結果である。そういうことらしいので、無論残業代など出るわけがない。

 

 こうして昼間より人が少なくなったオフィスで一人残業に没頭していると、時々考えることがある。

 人より能力がないからノルマをこなすために残業をする。ならばその「能力」とは具体的にどうすれば向上するのだろうか。それが分からぬ以上、俺は来年も再来年も、そしてその先の未来でも、こうして一人ひっそりと残業に追われることになるのではないだろうか?

 そもそも残業という概念は普段から午後5時に退社している人間たちのものであり、俺にとっては閑散とした夜のオフィスで一人パソコンと向き合うこの時間も、もはや定時に含まれているのだ。


「大丈夫? ぼーっとしてるけど」


 いつの間にかデスクの横に千葉先輩が立っていた。

 千葉先輩は2歳年上の直属の上司であり、入社以来俺が最も世話になった人だ。俺と違って仕事は期限内にしっかりとこなすし、後輩の面倒はよく見るし、上司を立てることも忘れない。

 その上美人で実家は金持ちときた。『才色兼備、プラス金持ち』である。

 そんな彼女からどうして俺みたいな後輩が生まれてしまったのか、理由は簡単である。俺を生んだのは千葉先輩ではなく俺のオカンだからである。そして、その俺をこの会社に入社させ、営業部へ配属させたのは人事部の人間である。

 つまり千葉先輩にしてみれば、自分は悪いことなど何もせず、品行方正、正しく真面目に真っ当に生きてきただけだというのに、振り返ってみると知らぬ間にバカに重い荷物を背負わされてしまっていたというわけだ。

 気の毒な話である。『才色兼備、プラス気の毒』である。

 社会とはなかなか思い通りにはならないものだと、俺はそんな千葉先輩を見るたびに思う。


「まだ終わらなそう?」

「今日はもうすぐ終わります」

「そっか。じゃあちょっとだけ飲んで行かない?」


 先輩から飲みのお誘いなんて、願っても無い話だった。

 残業しててよかったとさえ思えてくる。

 頭の中でややパラドックスが起こり始めそうだ。


「ぜひお供させてください」


 言うが早いか、俺はパソコンの電源を落とすと、机の上に散乱していた書類をまとめてカバンに流し込んだ。

 ものの数秒で帰り支度を整え起立する。

 先輩は目の前の光景にやや困惑気味といった様子だったが、一呼吸おいて何かに納得した様子で二、三回頷いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る