酒場のピエロ
ねこじろう
第1話
その日、
サトルは勤め先の工場を首になった。
30歳を目前にしたときのことだ。
理由は、業績不振による人員整理。
彼には、何の非もない。
よりによって、5年間付き合っていた彼女に振られたちょうど翌日のことだった。
仕事もまあまあ、彼女との結婚もそろそろ……
さあ、いよいよ、30代突入!
と考えだしていた矢先のダブルショック。
自暴自棄になった彼は、人員整理を告げられた日の夜、一張羅のスーツに身を包み、持ち金の全てを財布に突っ込んで、普段は絶対行かない街の酒場に出掛けた。
一軒、二軒、三軒、バー、スナック、ラウンジと、後先考えずに店に飛び込み、浴びるように飲む。四軒目に入った高級クラブを、数人のドレスを着た女の子たちに見送られながら出たとき、時間はすでに1時を過ぎていた。
通りのドブにしこたま吐いた後、ぶつくさと意味不明な独り言を呟きながら、フラフラとネオン街を彷徨っていると、突然、誰かが彼の背中を叩く。振り向くと、月を背中にピエロが立っていた。
赤白のど派手な格子柄のつなぎを着て、真っ赤に染めたチリチリの髪をサザエさんのように編んで、にっこり微笑んでいる。
─なんだよ、ビラ配りかよ……。
無視して立ち去ろうとすると、
「あらあら、お兄さん、かなり酔ってますねえ」
ピエロは薄気味悪くにやつきながら、後ろから話しかけてくる。
「ほっといてくれよ!俺はもう、死にたいんだ」
相当投げやりになっていた。
「死にたい?死にたいんですか?」
変に明るく素っ頓狂な声がやけに耳障りだ。
「そうだよ、死にたいんだよ!」
「死ぬ、と言いましても、いろいろ方法があるんですが……」
ピエロはいつの間にか、サトルの横を歩いている。
「首吊りでも、飛び降りでも、何でもいいよ。とにかく、死にたいんだよ!」
面倒くさくなって、思わず言った。
「そんなことでしたら、お兄さんにぴったりの場所があります」
と言って意味深に微笑む。
「ぴったりの場所?どこだよ、それは?」
サトルが言うと、ピエロは勝手に前を、颯爽と歩き出した。
次に行く宛もなかったから、彼は格子柄の背中に従って歩き出した。
ピエロは大通りから薄暗い路地に入り、軽快に口笛を吹きながら、どんどん歩く。
サトルはわけも分からず、フラフラと付いていった。
何度か角を曲がって進むと、のっそりとした古い雑居ビルが現れた。三階建てくらいの小さな灰色のビルで、横には縦型の看板がいくつか並び、妖しく光を放っている。
「ここですよ」
白い手袋の手で指さす。
見ると、エントランスの上の看板には、『Happy Gate』という文字が書かれている。
上がり口辺りには、あちこちゴミが散らばり、一匹の茶色い野良猫がガツガツと漁っている。
入口横側に地下に通じる階段があり、ピエロは、それをテンポ良く降りだした。
サトルも一緒に降りる。
10歩ほど降りたところに小さな踊り場があり、映画のチケット売り場のようなところがあった。
透明のボードの向こうに、青い事務服の地味な女が座っている。
「男性1名、お願いしますね」
ピエロが女に言うと、
女は無愛想に「一万円」と答えた。
彼はサトルの顔を見て、「一万円です」と言う。
─なんだと一万円?えらく高いじゃないか。
と一瞬思ったのだが、気分はもう、どうでもいいや、となっていたから、財布から素直に渡した。
すると、売り場の横の鉄の扉が、カチャリと開く。
サトルはピエロの後に続いて中に入った。
中は、人が通れるくらいのコンクリートの通路に沿って、ネットカフェのような個室がずらりと並んでいる。
天井には安っぽいむき出しの
蛍光灯が、ジリジリといっている。
─なんなんだ、ここは、風俗か?
ということは、ピエロは客引き?
首を傾げていると、ピエロは個室の一つのドアを開け「さあ、どうぞ」と、手招きした。
中には、畳一畳くらいの狭い部屋があった。低い天井には裸電球が一つだけ頼りなく灯っており、真ん中に黒いリクライニングシートがある。
その横には、カラオケボックスにあるような箱型の機械があり、
ヘルメットみたいなのがぶら下がっている。
「さあさあ、こちらにどうぞ」
ピエロに薦められるまま、サトルがそこに座ると
「え~、では、足を肩幅に開いて、手は手すりの上に乗せてください」
と言われたので、
彼はそのとおりにした。
すると突然、手すりと足元から、鉄の輪っかが飛び出してきて、
あっという間に手足を拘束された。
「本当にお客さんは素直だ」
ピエロが小さく手を叩きながら、嬉しそうに微笑んでいる。
「おい、何するんだよ!」
立ち上がろうとしたが、全く動けない。
「どうするつもりだ!」
叫ぶ声をよそに、ピエロは口笛を
吹きながら、機械にぶら下がる
ヘルメットみたいなものを手に取り、彼の頭に被せて、あごひもを止めた。ヘルメットには、黒いゴーグルみたいなのが付いており、
スキーのハイジャンプに使うものに似ている。
「さあ、いよいよ、ショーの始まりです!」
ピエロは大げさに言うと、部屋からさっさと出て行った。
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