第2話 ④
誰かが私の肩をゆすっている。まだ重たい瞼を開けると、ぼんやりと黒い髪が見えた。
「麗奈、起きて。いい天気」
「てんき……」
「晴れたよ、今日」
焦点がゆっくりと定まり、目の前でご機嫌な笑顔を浮かべているのぞみが視界を埋める。何度か瞬きを繰り返せば、ようやく脳が回転を始めたような気がした。
「霧、晴れたんだ」
「うん。外行きたい」
「分かった……顔洗ったら準備する」
「麗奈、昨日お酒飲んだまま寝ちゃったんだね。コップ出しっぱなしになってたから洗っておいたよ」
「げ……ありがとうのぞみ……」
起き上がりながら頭をなでると、のぞみは嬉しそうに目を瞑った。のぞみの背後にある大きな窓はカーテンが開いており、ガラスの向こうからたっぷりと陽光が降り注いでいた。のぞみの言う通り、本当に気持ちのいい晴天だ。こんな日は外に出るに限る。
身支度を整えた私とのぞみは、とりあえずホテルの外を散歩することにした。あのガタイの良い男性に何か言いところがないか聞こうと思ったが、受付に彼の姿はない。カウンターで野良猫と遊んでいたのは背中の曲がった女性だった。彼女は英語が分からないらしく、挨拶をしても会釈を返されるだけだったので特に会話もなくロビーを抜ける。
扉を開けると、優しい風が頬を撫でる。日光に暖められた風は、起きたばかりの頭でも気持ちがいいと分かった。
「わ、昨日と全然違う町みたい」
「晴れてるとこんなに雰囲気が違うんだね」
「ね。ここの地面、こんな色してたんだ」
敷石の濃灰色が真っすぐ伸びている道を歩きながら、のぞみはきょろきょろと辺りを落ち着きなく見渡している。左右に続く建物はどれも石で出来ていて、漆喰とはまた違う荘厳さを見せていた。少し威圧感はあるが、頑丈なのは見るだけで伝わってくる。それが整然と立ち並ぶ中をゆっくり歩くのは、贅沢な時間の過ごし方だ。
「ねえ、麗奈」
「ん、どうしたの?」
突然呼ばれて立ち止まると、のぞみは道の端で座り込みながらこちらを見ていた。具合でも悪いのだろうか、と近寄るが顔色は悪くない。
「なんかあった?」
「あのね、こっちの石とあっちの石が違うのってどうして?」
指差しているのは、足元の丸まって照り輝いている敷石と少し離れたところに見える荒い平らな敷石だ。のぞみはそれが気になって立ち止まったらしい。私は彼女の隣に立って、足元の敷石を覗き込んだ。
「こっちは丸いのに、なんであっちは平らなの?」
「多分それは、こっちの敷石が古いからだよ」
私は立ち上がり、敷石をつま先でコツコツと蹴る。
「石は固いけど、人が上を歩けば少しずつ削れていくんだ。そうすると時間をかけて、角が丸くなっていく」
「じゃああっちの石は新しいの?」
「そうだね。きっと割れたりして修繕したんじゃないかな」
「そっか。じゃあ、この道はちょっと壊れても新しい石を持って来れば直せるんだね」
「この道は、そうやって修繕と破損を繰り返しながら続いてるんだよ」
のぞみはへえ、と納得したように立ち上がり、石畳の上で何度か足踏みをした。
「なにしてるの?」
「ワタシもこの道を踏んだ一人なんだなって思ったら、なんだかいっぱい踏みたくなった」
その言葉に、私も何気なく足元を見る。
長く続く道とその歴史の上に、今の私たちが立っている。もしかしたらこの敷石は私が生まれる前からこの町の道の一部としてここにあるのかもしれない。町の発展を見守ってきた誰かが、この敷石を踏んでいたのかもしれない。そんなロマンを感じて、私ものぞみと同じように石畳と歴史の一部をつま先で少し触れた。
これは新しい石、これは古い石などと独り言を呟きながら先を歩くのぞみを見ながら、私は傾斜が急な坂をのんびり進んでいた。
「麗奈、遅い」
「のぞみが早いんだよ」
苦笑いで返すと、のぞみはもう一度遅い、と口にしてくすくす笑った。
ふと、何かがのぞみの興味と視線を惹いたらしい。大通りの脇に目を向け、その何かをじっと見つめている。一体何だろう、と私が少し速足で近付くと、そこには看板が立てられていた。表記はこの国の言葉と、英語だ。
「あ、英語じゃん」
「なんて書いてあるの?」
「んーと、もう少し登ったところに古城があるって」
「こじょうって?」
「お城の跡地だよ。多分この前のあっかんべえのお兄さんが教えてくれたところだ」
私がそう言うとのぞみは、ぱっと顔を輝かせて私の手を取った。そのまま握った手を揺らす。
「行きたい!」
「よし。せっかくここまで登ってきたんだし、行こうか」
今度は私が先に立って、のぞみを引っ張ることにした。私はのぞみの手を握り返して、看板が指す方向に足を踏み出した。
カランコエを探して 逆立ちパスタ @sakadachi-pasta
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