油膜

韮崎旭

油膜

 高架下で動けなくなる。多種多様な騒音の海に漂う、鬱屈。抱え込んで、歩けなくなる。すべての人間に対する劣等を自覚している。その一歩が踏み出せないし、そうするためのエネルギーがそもそもない。

 高架を見上げてその美しさを大抵は付与されない風景を眺める、感慨は絡まりきって言語にできない。

 あるいは晴れた日に。あるいは晴れやかな歩道にて。人間の話す声で、動けなくなる。

 あああダメだ鬱が来る。鬱が来る。来てしまうよ、この脳髄を支配してしまうよ、そういうことじゃないんだよ、そんな消極的に死ぬのは本意でなくて、じゃあ何が本意なんだよ、言ってみろ。

 オレンジジュースに溶かした嫌悪がそろそろ喉を焼くころだ。生きることの過大な負荷がそろそろ神経を殺す頃だ。

 私が行う無意味な打鍵の結果がまたごみ箱に捨てられてゆくけれど私は打鍵しないという選択肢を与えられなかった。私はここに居ざるを得ない理由を消極体に獲得しているけれど、それは慢性的な炎症に似て、常に具合がどこかしら悪いことに行きあたっている。

 生存には多大な資格が要求されることを知らないまま死に損なってきた今日に、私は腐った言葉しか与えられなくて、この先にも何もないからこそ目渡した前方は八寒地獄か何かのように見えるかそもそも識別できないのかもしれない。

 架空の君の声は自動車に轢かれて他界した。

 架空の生存可能区域は強酸性の大気に溶かされて生きられないと悟った。

 カーテンを揺らす鮮やかな日差しを言語化して見せてよ、絵画にして見せてよ、私にも理解できそうな言葉があるならそれを開いてみせて、そんなものは夢物語だけれど。

 鮮やかな失踪は虹色の軌跡か油膜か何か、汚濁した水たまり、その中で死にかけているのがきっと昨日であり今日であり私自身であり、汚濁した水たまりはしかしそれ以上の意味を持たない:メタファーではない。

 路地裏を走り去ってゆく鼠や影のような亡霊は楽しい幻覚ですか?

 叩き割った頭部を皿にのせて花火も添加して、ハッピーバースデーしますか?

 罪悪感の引き換えに上肢を窓辺で鉢植えにしますか?

 ねえもう何の行動もできないから、私はくたびれた質の悪い皮革の類として何の役に持たたない実感がある。

 その大通りで叫んでいる狂人みたいな人間をどうして否定できますか?

 どいつもこいつも狂人同然ですか?

 笑顔が溢れかえってそれで窒息しませんか?

 あなたのその適正さと時を選んだ笑顔、強靭な神経、それらが形作る集合が私の頭から離れずにずっと病巣として居座っている。

 あなた方の規定、あなた方の正義、不合格。

 路肩で手を振っているその手は今にも崩落しそうだった。踏切の音が遠くに聞こえて、よく聞くとそれは救急車で、認識の天井ががらがら崩落して来る毎日だ。

私にとっての私の世界はとうの昔に破滅的事象を過ごしてしまったのかもしれない。生涯がポストアポカリプスなのかもしれない。

 ガスボンベの残骸なんかが打ち上げられた岸辺で野営でもしてその日をなかったことにするんだ。

 その日がなかったことにできたらどんなにか良いだろう。

日常は綿あめでしかないと誰か言ってくれ。ああでも私の視界に誰かはもういないのだった。雨どいを伝う呪詛だけが私の時間の進行を知らせていた。オレンジを切り分けたなら、途絶した路線を持つホームで待っている。

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油膜 韮崎旭 @nakaimaizumi

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