ANNA2 パンツァーカイザー
小松多聞
プロローグ
旧自治体名では、神奈川県下にあたる。
現在は関東州の西部となる。連続震災の頃は津波などの被害もあったが、ここ十年ほどは自然災害もなく、海岸地帯は風光明美な保養地となりつつあった。
日本三大ロボットメーカーの一つ、新日本機械工業が本社工場をここに移したのは、震災後の地価暴落時である。中央の大きなかまぼこ型の建物を中心に、大小のモダンな建物が並ぶ。周囲は美しい松林に囲まれている。そして主要工場と倉庫は、もっぱら地下にあった。
高いフェンスが取り囲み、古いポストのような影がその周囲をゆっくりと動いている。警備ロボットである。いや正確には「自動警備機械」だった。ロボットの名には値しない「マシン」なのである。ロボットは法的に定められた基準をクリアした自律機械個体を、呼ぶ。
森の奥から、ライトを消した電気自動車が音もなく近づく。
正門付近にいた二台の警備機械のてっぺんに、赤い警告ランプがつく。正門わきのポール上にあったサーチライトがゆっくりと動く。車はまだ点灯していない。
突如短い電子音がして、警備機械の赤いランプが消える。接近する車を追って動いていたライトも、停止してしまう。
それどころかフェンス上部のライトや、小さな感知器も沈黙してしまう。黒い四輪駆動車は正門わきにとまり、中から黒づくめにフルフェイス・ヘルメットの男三人が降りた。運転席にも影が一つ。黒いリュックザックを背負った黒い三人は、停止した警備機械の様子を探り、ヘルメットのノクトビジョンで工場敷地を見回す。
「前面の全警備システム停止。まだ警備員は気づいていません」
ずんぐりとした男が報告し、長身の男がリュックからロープを取り出す。長身の男は問う。
「大丈夫ですか」
「案外、中からの攻撃には弱いものだ」
敷地内の北端に、幹部とゲスト用の宿泊施設があった。二階建てで一部屋がかなりひろい。
そのひとつの部屋で、けっこう豪快ないびきが響いている。いびきの主はほぼ裸の女だ。闇の中で小さな警告音がなる。ベッドの中から手が伸びて、壁際のスイッチを探った。
小さな壁の片側全部が、スクリーンになる。すると、望遠カメラにとらえられた正門付近の様子が映しだされた。
正門の高いフェンスを、ロープをつたって降りる影が一つ。
フェンスの外側にも黒い影がある。あわてて毛布を跳ね除けた女性は、画面をくいいるようにみつめる。小柄な肉体に不釣り合いな胸がまだ揺れていた。この季節は下着一枚で寝ていたのだ。
難なく侵入した黒い二人はプロだった。小さな電子マップを頼りに、かまぼこ型の工場中央棟を目指す。大金をはらっただけの価値を、地図はもっていた。
「ここだ、この下に電源パイプがある」
ずんぐりとした男は駐車スペースわきの、小さな物置のような小屋の影にかくれた。 そしてなにかの花がうわっている、一メートルほどあるプランターをどかせた。そこに人ひとり通れるマンホールがあった。
しかし小さな蓋をあけて、暗証番号をおさないと開かない。リーダー格は五つの番号をおした。電子音がして緑のランブがともる。長身の部下はほっとした。
「情報どおりだ。あけよう」
新日本機工中央棟にある警備主任室。
さほどひろくない円形の部屋の壁面には、モニターや各種計器が並んでいる。中央に半円形のデスクがあり、若い警備員が一人うたた寝していた。
そこへドアがあいて、プロイセン式のミュッツェ帽をかぶった矢島正英警備主任が、口ひげをさわりながら顔をだした。
「おい、竹中……」
しかし竹中は高いびき。矢島は険しい顔をするが、ふっと笑って出て行った。
「しょせん、人間はお飾りさ」
地下メンテナンス通路に侵入した二人は、各種配線を束ねたパイプの一角、墓石のような黒い機械の前にいた。
背負っていたザックから出したアタッシュケース大の装置をひらいて、回線を「黒い墓石」につないでいる。痩せた長身の男はヘルメットをとり、なんとかキーボードを叩いている。
「だめだ、なかなかアクセスできない」
「焦るな。警備システムもプログラムセキュリティーも、沈黙している。アンナの基礎行動パターンだけでいい。それでも膨大な量になる。時間はあまりない。
機械警備は無力化できても、人間は無理だ」
「あった、これです。コード確認を」
「よし、番号を言うぞ」
小太りのリーダー格は、左手首にはめた腕時計に似たユニ・コムの小さなモニターに現れた数字を、低く読み上げた。
「すごい、セキュリティーを突破した。世界一突破困難な、新日本機工の絶対防衛ラインを」
「ふふ、抜け穴はどこにでもあるさ。さ、早くセントラルコアに侵入しろ。
ほかのデータはいらない、時間がかかりすぎる」
「これだけでかいと、転送にも時間がかかりますね」
その小柄でがっしりとした影は、中央棟の警備部へと急いでいた。しかし中央通路に通じる通路は、防護シャッターが下りている。壁のセキュリティーボックスをあけ、キーを操作するが動かない。仕方なく夜間通用口を探すことにした。
その間、二人の黒い侵入者は目的を終え、小さなマンホールから静かな外へ出た。世界最高と言われる警戒装置は、沈黙したままである。
小走りに正門を目指す二つの黒い影。外で待っていた仲間は、消音器つきの機関拳銃を構えて周囲を警戒している。リーダー格がロープにたどりつき、取り付けられたワッカに両手を通した。ワッカは男を吊ったまま、ロープをのぼっていく。
こうして一人づつ、高さ三メートルしあるフェンスを越える。三人は待っていた黒い車に乗り込んだ。
助手席のリーダー格がヘルメットをとると、ゲルマン系の男である。
「機械に頼りすぎると、このざまだ。厳重な警備も電源一つで無力化できる」
黒い半自動四輪駆動車は、工場敷地を囲む森にむかって走り出した。その時、やっと正門を守っていた警備マシンが再起動し、フェンス周囲の各種ランプが灯りだした。
自動警戒システムがよみがえったのだ。そして警報もなり、警備塔の上からサーチライトが、周囲を掃きはじめた。車は静かに去っていく。
その時、中央棟わきの出口から飛び出した細い影が、正門めがけて走り出した。チータ並の速さで、身を低くして疾走する。
そのまま高さ三メートルはあるフェンスを飛び越える。体を斜めにして、高圧電流の走る正門すれすれに飛び越え、片膝ついて着地。すぐにまた走り出した。
各種警備機械も相手がなにか認識できないまま、のんびりした警告音を出すのみである。ようやく警備室が騒がしくなり、新日本機械工業の敷地にサイレンが鳴り響いた。
深夜の道路を走る人とも獣とも知れない影。逃走車もその異様な物体に気づく。
「なんだありゃ。警備ロボか?」
「ともかく、速度をあげます」
時速五十キロほどで静かに走っていた電気半自動四輪駆動車が、速度をあげはしめた。直後、激しく両手を動かして走っていた影は高くジャンプして、車の屋根に片膝をついて飛び乗った。車中に大きな音が響く。
「な、なんだ!」
運転手はふりおとそうと車を蛇行させる。
「クソ! どうなってんだ」
ずんぐりとしたゲルマン系リーダー格はふりむいて、長身の部下に命じる。
「撃て、天井を撃て!」
「だめです、防弾鋼板です、弾が跳ね返ります」
「なら、窓から身を乗り出せ」
部下が窓をあけているうちに助手席のリーダーは、アタッシュケース状の端末を広げ、コードで車の通信装置に接続する。
「運転手、今はゆらすな。膨大なデータを送信する」
長身の男は銃を構えて窓から身を乗り出そうとする。突如、銃身をつかまれた。屋根の上に張り付いている誰かが、かなりの力で奪おうとしている。
男は銃を発射したが、弾丸は夜空めがけて消えていく。その直後、すさまじい力で銃身がひっぱられる。消音器付短機関銃をつかんでいた男は、そのまま引きずり出された。
「あわわわわわわ」
男は臍のあたりまで窓から引き出された。あわてて隣の男が腰に飛びつくが、相手の力は人間ばなれしている。ついに短機関銃をもぎとってしまった。
支えをうしなった男は、そのまま窓の外に飛び出して道路に転がる。バックミラーで様子を見ていた運転手は、叫んだ。
「う、上にいるのは多分アンナです」
「馬鹿な、ロボットは人間を攻撃できない! 良心回路がある!」
「じゃあなんです。化け物ですか」
「もう少しで、データが……」
運転手もリーダーも、鋭い視線に気づいた。フロントグラスの上のほう、さかさまになった顔が半分のぞいている。
顔立ちは暗くて判らないが、二つの目だけが輝いている。
「ば、化け物!」
運転手はあわてて、ブレーキを踏み込んだ。屋根の上にのっていた細身の影は、屋根から転げ落ちて道路に転がった。左手にはうばった短機関銃を握っている。
リーターはフロントグラスに頭をぶつけた。道路を転がった影は、それでもゆっくりと立ち上がり、ライトもつけていなかった四輪駆動車を正面から見据える。
「データ送信完了。ひき殺せ」
運転手はアクセルをめいっぱい踏みこみつつ、ライトをつけた。そのとたん「化け物」の奪った消音器つきの短機関銃が火をふいた。
二つのライトがふきとび、防弾フロントグラスはひびだらけになる。車はそれでも速度を上げる。
跳ね飛ばされる直前、影はすばやくとびのいた。三メートルは飛んだろう。
車は前が見えないまま突進し、木に激しく衝突してしまう。左前部を破壊され、横滑りに道路を飛び出し、そのままコンクリートの用水路にさかさまに落ちてしまった。激しい水しぶきをあげて、半ロボット化四輪駆動車は水没していく。
水深はさほどなく、車体全部は没しきらない。しかし中では三人が溺死しつつあった。細身の影は、倒れたばかりの木の横でその様子を見つめていた。
新日本機工本社工場では大騒ぎになっていた。各種警備ロボットが走り回り、小型無人偵察ヘリが二機、飛び立っていく。
まんまと潜入を許してしまった警備主任、矢島正英は青ざめつつ室田社長に立体テレヴァイザー通信をかけていた。自慢の口ひげが震えている。
「はい、まこと申し訳ありません。こうやすやすと警備システムが破られるとは。
誰かが秘密を売った、いや中から手引きしたとしか思えません」
髪の薄くなった温厚そうな人物は、大きくため息をついた。
「こんなことが外部に漏れれば、株価がさがる。相手は侵入できなかったことにするんだ。それで、なんのデータが盗まれたのかね」
「……多分、アンナの基本行動パターンに関する基礎データが」
「…やはりか。これで基本戦闘パターンは組み替えなおさないといけなくなった。
いや、アンナの場合は訓練のやりなおしか」
やがて街のほうから、州警察のパトカーのサイレンが近づいてきた。
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