龍神の剣
アオギリ
序章
キリエは山の天辺に近い所で暮らしていた。
四方にあるどの山よりも高い山だ。
茂る木々は森を深い緑色で覆(おお)っている。
春は山桜が咲き、夏になれば蓮華躑躅や蛍袋が野山を彩り、秋は紅葉で山を一面に染め上げ、そうして冬にはその葉を落とし雪を戴いて白一色になった。
季節により模様を変える山は、金襴屏風の様に美しかった。
山の麓には川が流れ、小さいながらも集落があり、耕された田畑が広がっている。
春は田植えや種蒔きを終えたばかりで黒い土が目につくが、夏は山と同じく緑が勢い良く育ち、秋の収穫期には、黄金の稲穂が、風に吹かれて波打った。
穏やかながらも四季は巡り、動植物や人々の営みが脈々と続いている。
しかし、豊かな村の人々の暮らしは、キリエには身近に感じられない物であった。
キリエは山の小さな小屋で生活の殆どを過ごしていた。
山に分け入る事もあるにはあったが、それは水を汲んだり薪を拾ったり、生活に必要な食料を集める為である。
それでも深くは分け入らなかったし、家から離れ過ぎる様な真似はせず、麓には決して下りなかった。
禁足地にでもなっているのだろうか、麓の村でも山には入らないと見え、キリエは山中で自分以外の人間の姿を見た事が無かった。
その為、麓の村との交流は無い。
誰とも関わり合いにならず、一人で静かに生きていく。
そこには何の感動も無ければ、僅かの狂いも無い。
いつ果てるとも知れない、全くの不変の日々だ。
昨日と同じ今日を過ごし、明日も同じ事をするのだろうと予想は簡単に出来る毎日だった。
物心の付いた頃から此処で生活していたキリエは、それ以外の生活など、想像も出来ない。
キリエがまだ幼い頃はキリエの他にもう一人、小屋には住人が居た。
長い白髪に深い皺の老婆であった。
しかし今からおおよそ五年前にその老婆が死んでしまってからは、キリエは本当に独りきりだ。
もしキリエが死んだとしても、キリエを看取ってくれる人も、死んだキリエを見付けてくれる人も居ないだろう。
悼む人など尚更だ。
山の中で静かに朽ちて行く事を寂しいとは思わない。
野生の動物に起こる事が、キリエの身にも起こる。それだけだ。
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