忘れ形見(その4)
老人は喫茶店に戻るとマスターから紙とペンを貸してもらい隅っこのソファで書き始めました。
私とマスターは手紙が見えないように離れて各々の仕事をしていました。たまに息抜きのコーヒーを届けたりしましたが老人は手が止まらなくスラスラと書いています。
よほど言いたいことがあったのだと思い私たちは静かに見守りました。
私はさっきのことが気になりマスターに小さく話しかけた。
「さっきはどうして私の手を握ってくれたんですか?」
ん?とマスターは声を出し食器を吹いている。
「だって朱音ちゃんあのままだと自分のことを悪く思って泣いちゃうでしょ」
「そ、そんなことないですよ!」
私は恥ずかしくなってつい大きな声で言ってしまった。
「どうかしたんですか?」
老人が少し心配そうな顔をしてこちらを見る。
「い、いえなんでも」
私はぎこちない笑顔で言った。
マスターにあの時思ったことを当てられ恥ずかしくもなり、また何でこの人は分かるのと嬉しくもなったけどバレたくなくてつい大きな声で否定してしまった。
「僕の勘違いなら良かったよ。気にしないで」
マスターは拭き物が終わったのか食器を片付けている。
私はそんなマスターの姿を何も言わず見つめていた。なぜか一緒に居て安心する気持ちになりさっきまでの悲しい気持ちが無くなっていた。
マスターはスゴい、人の話を真剣に聞いてアイディアまで出して、私と大違いだと思った。この人から学ぶことは私にはたくさんある。そんな気がした。
老人は書き終わると満足した顔をして笑顔で私たちにお礼を言った。私は何も出来なかったから両手を横に振って「いえいえ、そんな…」としか言えなかった。
老人は「相談にのってもらいありがとうございます」と笑顔で言って帰っていった。
私とマスターは「ありがとうございます」と言って見送った。
「じゃあ、僕たちもそろそろ終わろうか」
「そうですね」
私は老人が座っていた机に紙とペンを取りに行くと白い封筒が置いてあるのに気がついた。
「これって?」
私は走って老人の後を追いかけようとしました。
「どうしたんだい?」
マスターが後ろから大きな声で聞いてきた。
「あの人の忘れ物です!」
と言って勢いよく扉を開けて走った。
けれど老人は帰った後で見つからず私は喫茶店に戻りました。
「どうだった?」
「ダメでした....」
「仕方ない預かっておこう」
マスターは少し考えてから言った。
私はマスターに封筒を渡し、初めてのバイトが終わりました。
―数日後―
「あの人来ませんね」
私はモップを片手に扉を見ていた。
「そうですね....」
マスターも気になってるのかチラチラと外を見ている。
ガチャッと玄関の扉が開く音がした。
私は「いらっしゃいませ」も忘れて老人だと思って見るとそこに立っていたのは若い女性だった。
「いらっしゃいませ」
私は少し肩が下がりながら言った。
「父が最後にここに来たと聞いて来ました」
女性は背筋をピン伸ばし玄関の前で言った。
私とマスターはビックリして顔を見合わせた。あの老人の話していた娘さんだと思ったからだ。
私は「はい。どうぞ」と言ってカウンターに案内し、女性は何も言わずマスターの前に座った。
「父が飲んだ飲み物を頂けませんか」
女性は少し暗い顔をして言った。
その顔は老人に少し似ていた。
マスターは「はい」と言って老人が飲んだ飲み物と一緒に白い封筒を渡した。
「あの人が娘さんにだそうです」
「父が私に、ですか?」
マスターは無言で首を縦に振った。女性は封筒を開き中の手紙を一枚一枚読んでいる。読んでいる女性の目からはだんだん涙が溜まっていき、一つ、また一つとポロポロ涙を流した。
何が書いてあったのか私たちには分からないが大切なことが書いてあったのだと言うことは女性を見て分かった。
女性は読み終わると手紙を抱き締め「ありがとうございます」と泣きながら言った。
女性が飲み物に一口つけると「苦い....」と溢した。
「健康に良い純ココアです」
マスターが優しく言った。
女性のカップを見つめる顔は嬉しそうな悲しそうな、そんな顔をしていた。そして女性はマスターの顔を見てポツリと話した。
「数日前、父が亡くなったんです。急に体調が悪くなりそのまま…」
女性は悲しいことを思い出しながら続けて言う。
「亡くなる前に父が笑顔で良い喫茶店があると話してくれて、最後に父が来た店に行ってみたくて来てみました」
「そうですか…」
マスターが上を向いて言った。
私は悲しくなり、泣きそうになった。そのまま女性は飲み終わると立ち上がり扉に向かって歩いていく。
「父の手紙と最後の飲み物が飲めて良かったです」
女性は振り返り笑顔で言った。
「ありがとうございます。また来ますね」
女性はそう言うと帰っていった。
人の亡くなった話がここまで心に来るなんて思わなく、女性が帰った後、私はカウンターで泣いた。
マスターは何も言わず私の頭を撫でてくれて温かかった。
「こういうこともあります....手紙だけでも渡せて良かったじゃないですか」
私は何も言わずただただ泣いていた。
手紙を読んで泣いたあの女性は本当に老人のことが好きなんだと思った。老人の気持ちが伝わって良かったと思う反面、もう会えないと思う気持ちが出て悲しくなる。
たった一回のお客様でも私にとっては、いや、私たちにとっては大切なお客様の一人なのだから....
老人が娘に書いた想いの詰まった手紙は老人の忘れ形見になるのだろう。とても大事な、親が娘に書いた最後の手紙。何が書いてあったかは老人と娘にしかわからない。
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