第2章
第11話
それはアリサという名で、私の部屋に住みついている。
艶のあるロングヘアーを耳に掛け、脚を組んでベッドに腰掛ける図々しい幽霊なわけで、口を開けば文句か悪口。人を褒めたことなど一度たりともない。訊いた話によればアリサは人間の時の性根が腐り過ぎていて、閻魔様に一旦地獄に落とされたらしい。けれど閻魔様に媚びを売っていい子ぶっていたら、幽霊だけれど現世に戻ってくることができたのだといい、丁度戻ってきた時に私が中学校からの下校途中で、彼女曰く「ブスだからついてきた」らしい。それ以来、私の部屋には見知らぬアリサが住み着くようになり、悔しいことに食事も提供している。
「
真っ赤な長い爪をカチカチとさせながら口を尖らせるアリサ。私はチッと舌打ちしながら部屋を出て、いつも通り食事を二階へと運ぶ。
「はい、ブスやろう、食事持ってきた。お母様に感謝して食えよ」
人の部屋に居座っておいて図々しく文句ばかりいう輩にはこういう態度も許されるであろう。
「ブスじゃないわ。……んん! やっぱ燐ママは料理上手だなあ。感心、感心。でも味噌汁は味噌の量が多い気がする。今度言っといて」
「黙って食えブス」
私はそう言って机に向かう。中間テストがもう間近に迫っているのだ。数学の教科書とノートを広げ、珈琲を一口飲むとアリサが浮遊したまま近付いてきた。アリサには生きてたころと同じように手足もすべてあるが、浮遊をすることができる。
「なになに、今どきの中学生は珈琲を飲んじゃうのかい。マセてんねえ」
「……アリサっていくつだったの? その見た目からしてアラフォー?」
本当は二十代くらいに見えるが、わざと意地悪をする。それでもアリサはムンクの叫びのような顔をしたまま一時停止し、青くなった(元々青白いが)顔で訊いた。
「えっ……マジでアラフォーに見える? 死んだから老けた?」
「うん、やばいよ。ほうれい線とか額の皺とか物凄い。だから家から出ていきな」
そう言ってこっそりほくそ笑む。アリサは早く家から出て行けばいい。
でも実際はこんな性格のせいで友人関係がうまくいかず、孤立していた状況で少し寂しかったので、アリサが来てくれて幾分か助かっている。
アリサは放心状態のまま浮遊し、
「いままでありがとう。私、スーパーの化粧品コーナーに住み着くことにする」
そう言って部屋の窓をすり抜けて、外へと出ていった。アリサが出て行ったことで部屋の中が少し広くなった気がする。私は再び机へと向き直り、勉強を始めた。
約五時間後、午後六時頃になり日も暮れかけてき、急にアリサのことが心配になってきた。部屋の中を腕を組んでうろうろと歩き、日が完全に暮れきった七時、私は家を飛び出した。
薄暗い街中を駆け回り、近くにあるスーパーの化粧品コーナーも見たが、何故かいなかった。もしかして、アラフォーという言葉に深く傷ついたのだろうか。こういう心境の時、特定の人間は公園へと行く。あと探していないのは
「アリサ! いるなら返事して!」
そう叫びながら公園内を探し回る。
砂場を抜けた場所にあるブランコにアリサはいた。揺れたブランコがその存在を示している。私はゆっくりと近付き、ブランコ前にあるベンチに腰掛けた。
「……アリサ、さっきはごめんね」
風が木の葉を揺らす音だけが周囲に響く。
「燐」ふとアリサの声が聞こえた。やはりブランコの方向にいるようだ。
「私ね、地獄に戻らなきゃいけないみたい」
「なんで! 一緒にお母さんのご飯食べようよ。今晩はカレーだよ」
「カレーか……、いいね。でも戻らなきゃ、閻魔様が怒っちゃう」
アリサがぐずった子供をあやすような口調で言う。
「勝手に来て、勝手に戻るとか意味わからない。もうアリサなんか知らない」
私はそう言って俯く。そのとき、穏やかだった風が突風のように強く吹き抜けた。
……分かっていたことだ。
ブランコに乗っているアリサの身体はもう私には見えなかったことも、昼から身体が消えかけていることも。そう自分に言い聞かせているのに、涙が一向に止まらない。俯いたまま子供のように泣きじゃくっていると、耳元でこう聞こえた気がした。
「燐、ありがとう」
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