第9話

 はあ、もうやってらんない。

 溜息のつもりで深く吐き出した息は夜の街では真っ白に染まり、凍るような冷気が顔に容赦なくあたる。寒い寒い、と呟きながら紅色のコートに首をすぼめた。

 街中では私の気持ちも知らずに楽しげなクリスマスソングが繰り返し流され、腕を組んだ恋人達が笑顔で横を通り過ぎて行く。

 なんでこんな日に限って。

 涙が出てきそうになり慌てて夜空を仰ぐと、元彼の笑顔が空に浮かんだ。

 都会でOLをやっている私は公務員の真面目な彼と五年もの間、愛を育んでいた。見た目はぱっとしない人だったけれど、同棲中は私が皿洗いを忘れたら何も言わずにやってくれるような優しい、真面目なところが大好きだった。五年も付き合って同棲もしているから結婚も当然視野に入れていて、今晩も久しぶりにデートに誘われたと思ったら、高級レストランでの食事の後、

「別れよう」

 と静かに別れを告げられたのだ。理由を訊いても濁して答えてくれず、彼は逃げるように去っていった。確かに彼は感情表現をしないところもあったけれど浮気をするようなタイプの人間ではないから、別れた理由が本当にわからない。

 酔っ払いの中年男性が寝転がった、隣のベンチに腰掛ける。振られたショックと納得のいかない苛立ちが同時に襲ってくるため、情緒が不安定になる。

 ふと隣のベンチの酔っ払いが起き上がり、寒そうなスーツ姿でニヤニヤしながら私の隣に座る。漫画やアニメでしか見たことがなかった、頭にネクタイを巻く酔っ払いを冷たい目で軽蔑しながら、元彼の携帯番号を消そうとスマホを弄る。

「お姉ちゃん、怖い顔してるけど彼にでも振られた?」

 ひゃひゃひゃ、と笑う酔っ払いをギロリと睨み、

「別に振られてませんけど」

 と言い返して再びスマホに視線を移す。

「そういえばお姉ちゃん、胸大きいねえ。ボインボイン」

 こうやってすぐに下ネタを言う男性は苦手だ。見苦しくてありゃしない。

 酔っ払いは街沿いにあるホテルを下心丸出しで指差し、

「おじさんとホテル行こうよ」と言う。

 私は立ち上がり、豚のように肥えた酔っ払いにビンタを食らわせた。それも酔っ払いなら意識を失うくらいの強さで。こんな若い女の子に下ネタ言うのだけが生き甲斐の禿げた中年ジジイはみんな纏めて死んでしまえ。

 酔っ払いは惜しいことに気絶せずに、ふらついた身体で襲いかかってきた。今度こそはグーパンチを、と用意していた拳を酔っ払いにお見舞する前に、別の拳が酔っ払いの頬にくい込んでいた。酔っ払いは地面に倒れ、怯えた顔で狐のようにそそくさと去っていった。

 私の代わりに力強いグーパンチを酔っ払いに食らわせてくれた、赤いロングコートを着たスタイルの良い女性にお礼を言うと、女性は真っ赤な唇を上げてこう言った。

「私、ああいう奴大嫌いなの。舌、噛んで死んじまえ」


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