それぞれの狂気

”死体を一緒に探しませんか?” 

こんな書き込みを見付けたのは、まあ偶然だった。ちょっと切ないドイツ映画を見て、死体に興味を持ってしまったからだった。その映画はすごくハッピーエンドで、死体に関われば自分の人生もきっとハッピーになれるんじゃないか、という浅はかな考えもあった。そこで、その映画について語っているコアなウェブサイトを発見した。ネクロマンスというそのサイトは、死の王と言う如何にもな名前の奴が管理していた。

兎に角そこの掲示板にその奇妙な書き込みがあったのだ。

一体どんな人間が死体に興味を持っているのだろうか?その人間は、死体そのものに興味があるのだろうか?それとも臓器に興味があるのだろうか?もしくは私の知り得ない別のものに興味があるのかもしれない。

私は臓器に興味があった。感謝祭の七面鳥を買うと中に腎臓や胆や肝臓が入っている。本来はグレイビーを作るのに使うと思うんだけど、私は小さい頃からそれを触るのが好きだった。

お気に入りは、肝臓だった。触るとすごく滑らかでまったく凹凸というものがなく、時間が許すならずっと触れていたい、むしろ頬ずりしたい。母はそんな私を悪魔を見るような目つきで見て、すぐに取り上げてしまう。そしてシンクに流してディスポーザーのスイッチをオンする。

悲しかった。私はただその感触が好きだっただけなのに。

なぜ、人間は死をタブー視するのだろうか?死の事は、話してはいけない、聞いてはいけない。死とは、ごくありふれた事実なのに。

私は掲示板に書き込んだ。

”メルアドください。興味があります。”

返信にはこう書いてあった。

”実はここの管理人です。トップのフォームからメールください。”

私たちは、毎日の様に死について語り合った。彼の興味は、腐敗だった。美しかった体が、死その瞬間から腐敗して朽ち果てていく過程に美しさを感じるそうだ。彼も小さな頃、裏庭で猫が死んでいて、その亡骸が朽ち果てていく様を見てから死体に興味を持ったそうだ。

私は中学に上がるまでアメリカで過ごし、両親の離婚と同時に、母の故郷である九州の田舎に住む事になったのだ。彼は東京で生まれ、東京で暮らしていた。

時間が二人を隔てる意味はなく、私は三月の生暖かい午後はじめて彼に会った。

彼のそのあまりに普通というか、真面目そうないでたちに私はいくらか面食らって、このスーツを着こなす物体のどこに狂気が隠されているのだろう、とますます興味をそそられた。

私の方は、実に如何にもという感じだろう?桑の実色に染めたロングヘアー、ベルベットのロングドレス、自傷跡が残る腕、太い真っ黒なアイライン、プラットフォームのブーツはエナメル素材。

三十五歳というその男は、都内の広告代理店に勤める普通の会社員だった。仕事帰りの彼に連れられて、一人で暮らすというマンションの部屋に案内された。やはり、驚くほど普通の綺麗に整頓されたリビングルームとダイニングキッチン。

ーここに人いれるの、初めてなんだ。

そういって彼は死体部屋と呼ばれる小さな部屋に私を通した。六畳ほどのその部屋は、パソコン用のデスクがあり、壁に備え付けられた本棚には本やDVDが所狭しと並んでいた。そのほとんどが物騒なタイトルで、私の知らないものが大半を占めていた。飾り棚には、骨のような物体、ホルマリン漬けにされた動物の死体や、臓器。そして、驚くことに小さな水槽に蛆のたかった小動物らしき死体が美術作品のように飾られていた。おもちゃ箱に投げ入れられた子供のように私は歓喜した。

その夜、私たちは飽きることなく語り合い、私が彼に出会うきっかけとなった映画を一緒に鑑賞した。

夜明けの微睡の中で彼が言った。

ー今日、青木ヶ原の樹海に行こう。死体を見つけたんだ。

私たちは朝食をマクドナルドで済まし、レンタカーを借りて首都高速にのった。

懐かしい優しさと、狂気の入り混じった空気の中で、私たちはこぼれ落ちそうな衝動をどう抑えていいのかわからなかった。

約二時間半のドライブはあっという間に終わり、私たちは駐車場に車を止めて樹海散策を始めた。

脇道にそれ、私たちは下界との接触を極力絶つことにし、岩のごつごつした場所で腰かけて、ちょっと休憩した。青い森は静かで、二人の鼓動まで聞こえそうなくらいだ。

ーそれで、その死体はどこにあるの?

彼はただ空を眺めて、ちょっと考えてから私をみつめた。私は何となく気付いていた。死体がないという事を。彼はなぜ私をここに連れてきたかという事も、薄々感付いていた。

ー死体は、まだないんだ。でも、ここにある。僕を殺してほしいんだ。殺さなくてもいい、自分で死んでもいい。ただ、その死体を見守ってほしいんだ。自分でも、よく分からないんだけど、多分最終的に行きつく処はそこなんだ。ご褒美に、僕の肝臓をあげるよ。

ーあなたの肝臓を触っていいの?

ーうん、君が望むなら。でも、ちゃんと僕の朽ち果てていく様を記憶してほしい。君の眼で、しっかりと。

ーわかった。でも、どうやって死ぬつもりなの?

ー綺麗な死体になるには、やっぱり首つりかな?君が絞めてくれたら一番いいんだけれど。

ー人を殺したりは出来ない。

ーそうか、じゃ自分で行くよ。

そう言い残して彼は森の奥深くに消えていった。私は三十分くらい待って、彼を探しに森に入った。しかしいくら探しても彼は見つからず、時間だけがいたずらに過ぎていって、私は悲しくて泣いた。彼はきっと私を騙したんだ。深い森は出口を存在させない魔法をかけられた様で、私はいよいよ怒りと絶望の入り混じった何とも表現しがたい感情に襲われた。背中の神経が波打つように痛み、立っていられないほどだ。おまじないのように、死にたくない、死にたくない、死にたくない、と唱えてみたが虚しくなるほど私は困惑していた。きっと彼は、私が首を絞めるのを拒んだから、今日は死体になるのを諦めたんだと思った。

諦める事も、この人生には必要なのかもしれない。でも私はあの滑らかな感触を諦めきれなかった。しかし私はこの暗い森で絶望の中朽ちていくんだ。

私は叫び声をあげた。

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