七日目⑥
シャムロックホテルに一人戻ったサクヤは、土産を買いに出かけることにした。
ホテル近隣には赤い看板が目印のウェルカムやイオン系スーパーのマックスバリュー、MTR佐敦駅のE出口に直結しているプルデンシャルセンター下層部には様々なショップが入居し、駅周辺はスーパーや百貨店、ショッピングセンターが点在している。
サクヤは、MTR佐敦駅入口すぐにある裕華國貨本店に立ち寄った。食品や漢方薬からチャイナドレス、チャイナテイストの雑貨や食器、中国家具に高級宝飾品まで、チャイナテイストの商品で溢れた香港土産さがしの強い味方の老舗百貨店である。
本店といっても、現在はこの店舗のみ。他は裕華保健坊と呼ばれる小型店が香港全土で十六店舗、中薬などを中心に販売している。
高価なものや人気なものは偽物が本物として売られ、不当に高い価格でぼったくられることもよくある中国において、ここ裕華國貨が扱うものは明瞭な金銭価格、偽物は置かず、高い品質管理で製造されたものばかり。ここでなら、中国産を安心して買える。
「とはいえ、街中よりも値段が高いんだよな」
香港に毎年訪れているサクヤだから痛感していた。
とくに十年前からは右肩上がりだ。二〇一六年には消費者物価指数は過去最高を記録した。この背景にあるのが、中国人の爆買いといわれる。香港には消費税が存在せず、投資や株価の収入、海外所得にも税金がかからない。
車や不動産購入時の税率も低く、富裕層に嬉しい仕組みがある。
一部のマンションでは、世界で最も不動産価格が高いニューヨーク・マンハッタンのマンションと、ほぼ同価格の値をつけるほどに不動産価格が上昇したこともある。ホテルや住宅は高額だが、交通と食べ物、賃金が安いのがいまの香港だ。
買い物を済ませるとその足で、店頭に水槽がならぶ金山海鮮酒家へと入っていく。
丸テーブルを囲んで食事する店内を、無愛想な中年給仕たちがテキパキ働いている。客のほとんど香港人。地元民が集まる店は、安くてうまいと決まっている。
注文するのは当然シャコ、椒鹽瀨尿蝦の一択である。
香港に来たらエビを食べろといったが、あれはデマカセだ、とサクヤは自分自身に語りかける。
香港で海鮮を食べるなら、シャコは決して外してはならない。なぜなら香港は珠江の河口、海水と淡水の入り交じる汽水域に位置にあるからだ。
汽水域は栄養豊かな場所なので、漁獲量も多く、シャコはまるまる太っているだけでなく、日本のものよりも倍の大きさがある。とくに美味しいのは産卵期を迎える春と脱皮をくリ返して身が引き締まった秋。つまり、春なら卵を持つメス、秋ならオスを食べねばシャコのうまさを味わい尽くすことにならないのだ。
シャコ料理の椒鹽瀨尿蝦は、香港の海鮮レストランならどこでも食べられる。
だが、ここ金山海鮮酒家はよそと違う。
違いは火の通し方だ。ギリギリのところでわずかにレア部分を残すように仕上げている。おかげで身が甘く、ぷりぷりしている。化学調味料が控えめなのもいい。
店はピーク時に入ったからか、出されるまでサクヤは待たされた。だが苦にならない。待つ時間も料理のうちと心得ている。
運ばれてきた皿には、二十五センチはありそうな大きなシャコが数匹盛られていた。
ハサミを片手にシャコの殻を割り、身をほおばる。エビやカニとは違う、上品かつ、ぷりっとした食感と甘くて濃い旨味が口の中に広がる。
「うめぇー」
やや辛目の味付け。素材の味を大切にしてか、ニンニクは強すぎない。サクヤは手洗い用ボールの水で洗い、ビールを一口飲んで次のシャコへととりかかる。
一度食べたら忘れられない、とはシャコのことである。
お腹と気持ちが充たされてホテルに帰り着いたサクヤは、部屋のベッドに倒れ込む。
やけに体がだるく、重い。動かすのも億劫だった。
トモの誘いを断らずに帰ればよかったかもしれない、と後悔しはじめる。団体行動につきものの遠慮や我慢を重ねすぎて体力の限界を越えたのだろうか。それとも食べすぎたのか。シャコを何匹食べたか思い出すうちに、サクヤの瞼は下りていった。
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