サクヤの旅 ~What A Wonderful World~
snowdrop
桜月十四日
一日目①
午前七時四十五分。
関西国際空港、第一ターミナルビル四階に到着。
リムジンバスを降りた夕部サクヤは息をけぶらせ、下車した人々と同じように大きなスーツケースを引きながら国際線出発フロアへ入っていく。
コートやダウンジャケットを着た渡航者の往来を横目にしつつ、仏教開祖が残した言葉を口ずさむ。
「旅にでるときは自分よりも優れた者と行きなさい。優れた人や自分と同じくらいの人がいなかったら一人で行きなさい。愚かな人と一緒に行ってはいけません……」
どれだけの者が知っていて実践しているかはわからない。大勢で行動するとき、同行者に好かれようと振る舞うから間違いが起きるのだ。独りでいるときは大勢でいるときのように、大勢でいるときは独りでいるときのような心持ちで過ごせばいい。
「わかっていてもすんなりできないから、苦労は絶えないんだよね」
サクヤは自分に言い聞かせては、背を丸めて息を吐く。
「いかんいかん、笑顔にならねば幸せが寄り付かない」
両手で頬をぺちりと叩いて笑顔を作る。
集合場所のミーティングポイントである翼の広場までくると、黒いダウンジャケットに黒のスキニーパンツとスニーカーを履いた女性が立っていた。
「久しぶり。サクヤ」
「おーっす、久しぶり。待った?」
サクヤは小さく手を振りながら近づいていく。
ダウンジャケットを着ている彼女は、今回の発起人、藤原キョウである。
サクヤとは高校の同級生で、これまでに数回、中華料理を食べに台湾や香港へ行ったことがある間柄だ。
あの頃のマイペースさは今も健在。こうと決めたら上書き保存もできない頑固者である。挑戦と無謀を同じポケットに入れれば、エキゾチックかつエキサイティングな旅行を味わえるだろう。
友人のトモから聞いた話によれば、キョウはここ最近、世界遺産巡りに目覚めたらしい。旅に目的を見つけるのはいいことだとサクヤも喜んだところ、「行きたい国があるけど一人で行くには自信がないので海外旅行に慣れているサクヤと一緒に行ってほしいんだって」と、トモを通じて旅の同伴を頼まれた。
行き先を聞かされたとき、サクヤは戸惑いを隠せなかった。
まだ訪れていない国だったからだ。
ガイドとしては役に立てそうにないと最初は断ったのだが、旅慣れてるサクヤがいてくれると安心するからとまでいわれては、引き受けざる得なかった。
「ううん。わたしも、さっき来たところだから。それよりサクヤ、前より痩せた?」
キョウの問いかけに、思わず胸が躍ってしまう。
「わかる? 食事制限して減量成功したんだ」
笑顔のサクヤは、どんな方法で成功したのか、説明を始める。
「いろいろ試した結果、運動して減量に励んでも駄目だとわかったの。達成感と成果が比例せず、時間とお金がかかるばかりか、達成できないと自分に絶望してしまうんだよね。食べる量を減らして身軽になってから運動すれば、体を動かすのが楽しくて痩せていくんだよ」
目を細めて微笑み、キョウはうなずく。
「ようするに食事制限ね、なるほど」
サクヤは唇をすぼめて小さく首を傾げる。
「ところで荷物ってそれだけ?」
キョウの手元には、ボストンバックとキャリーケースが一つずつ。
今回の旅行は一泊二日の国内旅行、ではない。
「そんなケースで大丈夫か?」
サクヤは思わず訊ねてしまう。これも同級生なればこその、友情・博愛・真心からだった。だがしかし、である。
フルメタル・パニック! の相良宗介は強く断言した。
新世紀エヴァンゲリオンの碇ゲンドウは囁いた。
エルシャダイの主人公、イーノックは答えた。
つづいて、同級生のキョウも言い放つ。
「大丈夫だ、問題ない!」
「いやいや、ちっとも大丈夫に見えないからきいてるんだけど」
挨拶がてら、笑いを取るためだけに仕込んできたわけではないはず。そもそも彼女は体をはって笑いを取りに来る子ではない、とサクヤは記憶している。でもひょっとすると、何の心境の変化か、ボケとツッコミに目覚めたのかも知れない。
大阪人ならいじるのが礼儀かもしれないが、サクヤは京娘。
ノリとツッコミに定評がある大阪人とは違うのだ。
こんなときどう返すのが正解なのだろう。
考えていると一抹の静寂が流れた。
何事もなかったような顔でキョウは歩きだす。
「ほな、手続きに行こか」
これにはサクヤが苦笑する。
「あ、キョウったら、待って」
キョウの後ろを歩きながらサクヤは、相変わらずかと呟いて息を吐いた。
これだから誰かと旅行するのは苦手だ。
独断専行が自明の理みたいな彼女と、しばらく二人きり。女一人で見知らぬ街をうろつくのは危ない、と注意しなくてはならない。
これも同伴者としての親切・警戒・危機管理なのだから。
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