029 : The colors below his eyes
「アルト様! デュオさん!」
リフラが大きく手を振って、場所を示している。アルト、デュオ、シロフォノの三人はそこへ向かって徐々に駆けるスピードを落とし、馬を止めた。
「あれから、どうなってる?」
シロフォノが、手綱を片手で結び付ける。器用なもので、もしかするとアルトが両手でそうした時よりも素早かったかもしれない。
アルトは混乱する頭でそんなことを考えながら、城壁の上へ視線をやるリフラの返事を待った。
「初めの伝令が来てから、他に連絡はありません。その――マラキア宮を、取り囲んだまま……」
脅えた様子で言うリフラは、恐らく既に、辺りを囲んだ軍を目の当たりにしたのだろう。アルトが城壁上の物見台へ上がる階段へ駆け寄ると、デュオもその後に続いた。
高い石の階段を、一息に上がりきる。物見台へ既に控えていた見張り番と、どうやら先に来ていたらしい鷹匠のマルカートが譲った道を通り、アルトは物見台の表から眼下を見渡した。
息を呑み、目を疑う。
古鉄色の布地に、金で刺繍された双頭の鷲。クラヴィーアの国旗であるそれが、眼下を黒く取り巻く人々の間からいくつも挙げられていた。歩兵、騎兵、弓兵……それはアルトにとっては初めて見る軍隊というものだったが、知識にはある。その有り様が皇王直属の軍隊であることは、疑うまでもない事実だ。
「まさか」
呟く。その隣から気遣うように静かに、マルカートが「殿下」と声をかけた。
「これが、軍の持って来た通達書です。お読みになりますか」
アルトが無言で手を向けると、マルカートが封筒から取り出したそれを差し出す。アルトはざっと目を通すと、やはり口は開かないままデュオに押し付けた。
「こりゃ、大変だ」
そう口に出して緊張を破ったのは、他でもないデュオだった。アルトは驚きに一瞬息を呑んだが、すぐにデュオの胸倉を掴んで言った。
「そういうことは、中身をちゃんと読んでから言え」
「読んださ。ようは俺とソーリヌイのとこのトルヴェールが謀反を企んでいて、それに加担したマラキア宮の人間ともどもお縄につけって事だろう」
確かにその通りではある。しかしアルトは、そうあっさりと言ったデュオの正気を疑いながら、もう片方の手で自分の頭を抱えた。
気分の悪さに、酔いそうだった。
「――王都軍を動かせるのは、」
知らずのうちに、呟く。アルトが最後まで言い終える前に、階段の方から音がした。また何人か、この物見台へと上がってきたのだろう。
「殿下」
呟きじみた小さな声に、アルトはそっと視線を向ける。
ナファンだ。闘技場でも混乱が起きているのだろう。その風体は、いつもより随分と乱れていた。
「たった今、風車塔の方から連絡がありました」
躊躇うような重い声に、アルトは笑うでもなく、泣くでもなく、自然と表情を崩す。デュオの胸倉を掴んだ腕から、いくらか力が抜けた。
春の日差しは不釣り合いに暖かく、しかし石で造られた物見台の屋根に隠れてしまうと、そこはひんやりとして静謐だ。
「先程の侵入者が、口を割ったとのことです」
「そうか」
「彼らの言うところによれば、命令を下したのは――」
ナファンは言いよどまなかった。だからアルトも、ナファンの事を正面から見据えることができていた。
「父上、だろう?」
眼下に広がる軍隊の持つ旗が、強い風に吹かれて大きく揺れた。
緊張に掠れた低い声で、アルトが言う。返答はない。それが何にも勝る答えになった。
そもそも不思議だったのは、アドラティオ四世が長年犬猿の仲として知られていたソーリヌイ侯をマラキア宮へと移したことだ。長年投獄されてはいたが、今でもソーリヌイ侯を立てる人間は多いと聞く。首都から離れたマラキアなどに移したのでは、それこそいつ謀反を起こしてもおかしくない危険人物のはずなのだ。
皇王はそれを考慮したうえで、あえてソーリヌイ侯を『実際に事を起こしてもおかしくはない場所』へ移したのだろう。
過去に一度投獄されているとはいえ、ソーリヌイ侯には王家の血が流れている。直接的に処刑をすることはできないから、こんな回りくどい方法をとったのだと考えれば納得がいった。
ならば何故、皇王はソーリヌイ侯処刑の場所としてマラキア宮を選んだのか。アルトの知りうる限りでは、ソーリヌイ侯がこれまで、こんな辺境の地に縁があったとは思えない。マラキア宮に、いや、この土地に関わりがあるのはむしろ――
「秘密裏に炎に消してしまえればそれもよし、失敗すれば大義名分を掲げて武力制圧か。――父上は、よほどあんたのことがお嫌いらしいよ、デュオ」
軽い口調でそうは言うが、心中穏やかでないのは恐らく誰の目にも明らかだっただろう。その上アルトは、自分自身が口にしたこととは少し違う考えを巡らせていた。
(デュオは確かに、父上の不興を買った為に爵位を無くしたと言っていた。だけどそれは、本当にデュオだけに関わる問題だったのか?)
国境が変わり、城が要らなくなったのは理解できる。しかし皇王は城主を廃するだけに留まらず、城を宮殿に造り替え、城下町すら消し去った。今回のことにしても、デュオとソーリヌイ侯の一族を片付けたいだけであれば、もっと楽な方法がいくらもあったはずだ。
(……使用人の七割)
デュオの、昔馴染みの数。それはつまり、バラム城からマラキア宮へ移った者の数だろう。それだけの人数が、マラキア宮の使用人として戻ってきている。
そう考えたときにふと、アルトの脳裏に一つの風景が浮かんだ。狩猟場の奥で見た、古びた城壁の事だ。確かあの城壁には、黒く煤けた焼け跡があった。あの跡は、もしや――
「デュオ。もしや父上は以前も、マラキア宮に――いや、バラム城に火を」
皇王がバラム城を消し去ったことに何か大きな理由があったのだとして、現状を知って行動を起こすとすれば、やることは一つなのではあるまいか。
しかしアルトが言い終えるのを待たずに、ドンと低い音が響いた。軍に連なる太鼓の音だ。どうやら進軍の合図ではないようだから、恐らくはこちらの返答を急かしているのだろう。
おとなしく降伏するか、それとも戦うか。相手が書状に記して寄越した選択は、その二つだけだった。戦えば逆賊である決定的な証拠と取られてしまう。しかし降伏さえすれば穏便に済むかと言えば、そう簡単なものでもないことをアルトは重々承知していた。
「マラキア宮の全てが人質か」
苦笑交じりにデュオが言う。言いながらそっとアルトの手を引き離す様を見て、アルトは鋭く呟いた。彼がどうするつもりでいるのか、すぐに理解をしたからだ。
「謀反の首謀者は、死罪だ」
「先刻承知さ。だがこのまま、マラキア宮を道連れにするわけにはいかんだろう」
いつもの口調でデュオは言ったが、しかし声にはどこか緊張感がある。その落ち着きが、かえってアルトの心を焦れさせた。
アルトの返答など待たずに、デュオはさっさと行ってしまう。誰もがその無言のままの圧力から逃れるように、何も言わずに道をあけた。
何故、誰も止めないのだろう。
蛇に見込まれた蛙のように立ち竦んで、誰一人、進んで口を開こうとはしない。デュオにそれだけの力があるのだろうか。
アルトにはわからなかった。だから彼は思うまま、半ば叫ぶようにこう言った。
「行ってどうする! 軍隊を見ただろう。向こうは元々、マラキアを踏み消すくらいのつもりで来てるんだ。デュオ一人が行って、どうこうできる規模じゃない!」
それでもデュオは、歩みを止めない。階段を下りていってしまうのを見て、アルトも慌ててそれを追った。
「デュオ!」
「表の軍隊のことなら、俺だって見たさ。完全に取り囲まれてる。退却は不可能。力圧しの正面突破も無理なんじゃ、駄目で元々だ。どうにか交渉してみるしかないだろう。それも向こうは、俺を名指しときてる」
「なら、俺も行く」
「それで、罪状に王子殿下の誘拐も加わるのか? 軍も、お前が突然姿をくらましたことくらい承知だろう。行方不明のアーエール殿下がこんなタイミングで登場したら、それこそ向こうの思うつぼだ」
階段を下りていく背中には威厳があるようで、その実、何か諦めのようなものが常にまとわりついている。以前から薄々、こういう事態は予測していた。――そういう種類の諦めだ。
こんな背中を、もう何度も見たことがある。
アルトは気づいて、一度足を止めた。いつだって大きく見えていた、デュオの背中。しかしその背はよく、こんな諦めとも、寂寥感とも区別の付かない影を抱えていたのだ。
(もう何年も一緒にいたのに、今更)
今更、そんなことに気づくなんて。
デュオのことだ。恐らく皇王の目的が彼やソーリヌイ侯個人へのものではなく、マラキア宮そのものに向いていることくらい端から理解しているのだろう。それでもこうして、たった一人でそれを受けようとするのもやはり、積年の諦めの結果なのだろうか。
アルトは奥歯を噛みしめて、それから、言った。
「行くな。――父上に、おまえを殺させないでくれ!」
あまりに自分勝手な言いぐさだ。そうと頭では理解していても、それが今のアルトにとっての精一杯の言葉であり、切実な思いでもあった。
デュオが階段の途中で立ち止まり、振り返る。
どちらかといえば清々しい印象さえ受ける、吹っ切れたような表情だった。アルトはそれを見て一瞬口ごもったが、続いた言葉に背筋を伸ばす。
「それならどうする、アーエール」
責めるでもない、詰るでもない、簡潔な問いだ。アルトは一瞬自分の肩が震えたのに気づいたが、精一杯何事もなかったかのように頷いて、闘技場の方へと目をやった。
(必ず、何かあるはずだ)
落ち着いて考えなくては。
しかし、時間がない。
ぐずぐずしていては、デュオか、軍か、どちらかが先に動き出してしまう。そう考えながらアルトは、静かに唾を飲み込んだ。
酷く喉が渇いていた。春の日差しとはいえ、馬を駆ればそれなりに汗はかく。アルトはそれを恨めしく思いながら太陽を見上げて、唐突に、ある考えに行き当たった。
「リフラ!」
振り向きざまに物見台へ声をかけると、後を追って階段まで出てきていたリフラが、大袈裟にびくりと震えるのが見えた。
「宮殿内の見取り図を用意してくれ。今朝言ってたやつ、今、見取り図に書き込めるか?」
「は、はい!」
物見台へと駆け込むリフラを見送って、アルトは次に、ナファンへ視線を向ける。
「ソーリヌイ侯は、まだ闘技場なのか?」
「いいえ」
ナファンも一瞬驚いた顔をしてみせたが、答えは至ってシンプルだ。
「ソーリヌイ侯は今朝から一度も、姿をお見せになっていません。お屋敷の方にも伺いましたが、サーディ夫人も、ミラフィ様もお留守でした。使用人達も何も聞かされていなかったようです。フェイサル様は、リフラが見かけたと言っていましたが……」
「ああ、その時は俺も一緒にいた。クロトゥラは?」
「まだ、戻ってないよ」
涼しい顔をしてそう言ったのは、シロフォノだ。片割れが帰っていないというのに心配をする様子もなく、上着を身につけた右肩を撫でている。
「リフラちゃんから話は聞いたよ。クロちゃんが、あの時の刺客かもって言ったらしいね」
「ああ。フェイサルと話していたから、捕まえた侵入者とも王都軍とも別なのは確実だと思う」
「そう」と短く答えて、シロフォノは傷を撫でる手を止めた。もしも今朝フェイサルと話していた人間があの刺客の一派だとすれば、シロフォノに怪我を負わせたのもその仲間、あるいは当の本人かも知れない。シロフォノもどうやらその事を考えていたようで、まだ痛むのだろう右腕が、それでも静かに剣の柄へ触れる。
「みんな、よく聞いてくれ」
石造りの手すりに手をかけて、アルトは階段の上下に立つ人々を見渡しながら、言った。
「実は昨日、リフラがフェイサルにこんな事を聞かれたそうだ。『闘技場に繋がっているはずの、地下通路の入り口はどこだ』って。俺も闘技場の隠し通路については聞いたことがなかったけど、調べてもらったところ、どうも実際に存在するらしい。――狩猟場の地下から伸びている、水路がそれだ」
「アルト様!」
大急ぎで見張り台から飛び出してきたリフラが、赤で書き込んだ見取り図をアルトへ手渡す。アルトはそれをざっと確認すると、硬い表情のまま、しかししっかりとした口調でこう続けた。
「水路を整えるために造られた通路だから、きちんと整備されている訳じゃないみたいだけど。そこを通れば、マラキアの敷地内から脱出できる。……王都軍とまともにやり合っちゃ、全滅だ。無事に脱出が済んだら、俺がその足でスクートゥムへ行ってなんとか父上に掛け合ってみる。だから今は、――逃げてくれ」
視線を投げかけたその先に、アルトはふと、マラキア宮の本棟に立ったクラヴィーアの国旗を見る。
古鉄色の布地に、金で刺繍された双頭の鷲。マラキアを取り巻く軍隊が掲げるものと、全く同じ旗。それが今は風に吹かれ、力強くはためいていた。
一瞬の、沈黙。
アルトはつかつかと無遠慮な様子でデュオに歩み寄り、見取り図を掴ませた。それからまっすぐにその目を見て、言う。
「ところでデュオ。謀反とかなんとかに、心当たりはあるのか?」
問いではなかった。
「まさか」
乾いた、しかし穏やかな声で、デュオが短くそう返す。
アルトは思わずにこりと笑った。等身大の、笑みだった。
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