四季の女王と一つ星

いずみ

 ☆

 その塔はその国で一番高いところにありました。その塔は、その国で一番、空に近いところにありました。 



 最初に勢いよくその扉を開いたのは、赤い髪の乙女でした。燃えるような緋色のドレスを着たその乙女は、生命力にあふれた真っ白い瞳で部屋の中を見渡します。

「ふゆ! いい加減にしなさい」

 足音も高く、赤い髪の乙女は部屋の奥にあった女王の椅子に近づいていきます。

 そこには、真っ白い髪をした乙女が一人、大きな椅子に座ったまま眠っていました。真っ白いシフォンのドレスに身を包み両手をきちんと膝の上に揃え、少し俯くようにして目を閉じています。

 二人は、まったく同じ顔をしてしました。

「まったく、いつになったら目覚めるのかしら。眠っていたって、時は流れるのよ。ましてや、私たちは季節を廻す四季の女王。職務怠慢もいいところだわ」

 白い髪の乙女の瞳は、相変わらず閉じたままです。

 答えが返ってこないことを気にするわけでもなく、赤い髪の乙女は続けます。

「はるがこの塔に入らなければ、いつまでたっても春がこない。暖かい日差しを夢見て、雪の下で命は眠り続けているわ。けれど、そろそろ目覚めてもいいころよ。あなたと同じようにね」

 赤い髪の乙女は、眠ったままの乙女を見下ろします。

「春にある王子の婚儀を、国民の誰もが待ち望んでいる。あなただって、彼を祝福したいでしょう? 私たちが子供のころから育てた、胸を張って誇れる我が国の王子ですもの」

 きつい口調とはうらはらに、赤い髪の乙女は少しだけ憂いを帯びた眼差しで、そ、と眠る乙女の白い頬に指を添えます。

「だから、目覚めなさい。眠っているだけでは、何の解決にもならないわ」



 赤い髪の乙女が去った後、しばらくして、きい、ときしんだ音をたててまた扉が開きました。そこにいたのは、飴色の髪をした乙女。向日葵色の柔らかなドレスを着たその乙女は、静かに女王の椅子に近づくと、ため息のように囁きます。

「ふゆ。……起きて」

 押さえた声に、白い髪の乙女が、今度はぼんやりと目をあけました。真っ白い瞳で、自分と同じ顔をした飴色の髪の乙女をゆっくりと見上げます。

「あき」

「そろそろ、起きましょう。ふゆ」

 すると、ふゆは大きな瞳から金剛石のような涙をこぼしました。それは、柔らかなシフォンのドレスを滑り落ちて床に落ちていきます。白い髪の乙女が座っている椅子の周りには、まるで銀河のように涙がきらきらとたくさん輝いていました。

「このまま眠らせて、あき」

「それができないことを、あなたも知っているでしょう? あなたが目覚めなければ、季節が廻らない」

「かまわない。ずっと、冬でいいの」

「春がこなければ、命が廻らない。寒さで人々が凍えてしまう」

「私の心ほどではないわ」

「みんな、春の訪れを待っている」

「こなければ、いい」

 ふゆは、はらはらと泣き続けています。

「春なんて、こなければいい。春がこなければ、はるの結婚式を見なくてすむもの」

 あきは、そ、とその細い指に自分の手を重ねます。

「どれほどつらくても、あの人が選んだのははるだもの。あの人を愛しているなら、あの人の幸せを、願いましょう」

「いや」

 首をふるふゆを、あきは、悲しそうに見下ろします。

「幸せそうな二人なんて、見たくない。おめでとうなんて言いたくないの。私は、このまま眠り続ける……」

 そう言って、ふゆはまた目を閉じてしまいました。あきの瞳からも涙が零れ落ち、足元でしゃらんと音をたてました。


 ふゆと一緒にあきがしばらく泣いてそこから去った後、ためらうようにまた扉が開きました。

 扉を開けたのは、一人の黒髪の青年でした。

 彼は、次の春に婚儀を控えたこの国の王子でした。

 ゆっくりと、女王の椅子へと歩いていきます。すると、ふゆがわずかに目を開きました。

「ふゆ」

 青年に声をかけられると、ふゆの頬に、またしゃらしゃらと音をたてて涙がこぼれます。

「さあ、この塔を出よう。みんな、待っている」

「いや」

「この国は、もう雪でいっぱいだ。これ以上は、穏やかな眠りの季節に過ぎた寒さになってしまう。国民たちに、冬を恨ませないで」

「たとえこの塔から出たとしても、私の心は、凍えたままです」

 彼はその顔に悲しみの色を濃くして、ふゆの前にひざまづきました。しゃり、と微かな音が響きます。

「ふゆが大好きだよ。でも、ごめん。僕は、ふゆのことをはるのようには想うことができない」

 そんなこと、ふゆはとっくに知っていました。かすれた声が、ふゆの口から紡がれます。

「同じ顔なのに。同じ声なのに。どうして、はるなの。私じゃだめなの」

「君がふゆで、彼女がはるだからだよ」

「それならば、私が春の女王になるわ。私が、はるになる」

 青年は、悲しそうに首を振って笑います。

「たとえ君が春の女王で彼女が冬の女王だったとしても、僕の気持ちは変わらない」

 ふゆは、膝に置いた手をきつく握りしめました。

 それも、本当は知っていたことです。

 声を殺してふゆは泣き続けました。ふゆの心に同調して、窓の外には大粒の雪が舞い始めました。

「ふゆのことをはるのようには愛せない。けれど、僕にとっては、ふゆも、とても大切な乙女なんだ」

 ぱたぱたと、大きな雪の粒が窓をたたきます。その音に彼は顔をあげると、立ち上がって凍った窓辺へと近づき、ガラスの窓を開きました。びゅう、と風が吹いて、冷たい雪が部屋の中で踊ります。

「ふゆ」

「……はい」

「凛とした君は、とても美しいよ。誰よりも誇り高く孤独な君を、僕はずっと尊敬していた。その気持ちは、昔も今も変わらない。きっと、未来も。けれど、君が僕に求めているのは、そんな気持ちではないんだね」

 冷たい雪を腕に受け止めながら、彼は切なく笑います。ふゆは、そんな彼を見つめることなく言いました。

「いっそのこと、あなたが誰のものにもならなければよかった。今までのように、はるも私も、なつもあきも、みんな平等に愛していてくれていたら、私の心がこれほどに凍えることはなかったでしょう」

 独り言とも恨み言ともつかない小さなその言葉に、彼は顔をあげました。

「僕が、今まで通りに君たちみんなのものなら、君はまた季節を廻らせてくれる?」

「ええ。ええ。今までと何も変わらず……またみんなで」

「わかった」

 青年の硬い声に、ふゆは涙にぬれた瞳をあげます。彼は、窓を背にして振り向き、ふゆに微笑みました。

「四季の女王たちに育てられた子供なんて、この国の中でも、僕だけなんだよね」

 それまでと打って変わって明るく言った彼に、ふゆは戸惑いながらもうなずきます。

「もう私たちはとっくにおとぎ話の中の住人ですもの。私たちのことを知っている人なんて、お城の中の人くらい」

「僕って、贅沢な立場だったんだ」

「一国を統べる王となる方ですもの」

「どれだけ僕がカッコつけても、おしめまで替えられた記憶があるんじゃ、形無しだなあ」

 照れくさそうに鼻のあたまをかく彼の様子に、ふふ、と久しぶりにふゆは微笑みました。

「大きな声で泣く御子でしたわ。あのままなら、その身すべてこの腕に収まりましたのに……もう、私が見上げるほどに」

「そう。僕はただの人間だから、君たちと違って成長する。悠久の時を生きる君たちにとっては、ほんの気まぐれ程度の時間しか、生きられない」

 ふいに落とされた不穏な内容の言葉に、ふゆが柳眉をひそめました。彼は、どこか遠い目をして呟くように続けます。

「それでもよかったんだ。ほんのひととき、君たちにとっては瞬きのようなわずかな時間でも、お互いだけを見ることを許されるなら、ぼくらはその刹那さえ、永遠と思えただろう」

 怪訝な顔になったふゆに視線を戻して、彼はにっこりと笑いました。

「どうせいなくなってしまうなら、それが今でもあまり変わらないよね」

「え……?」

 ふゆは、真っ白な目を瞬きます。

「今まで君たちが僕を見守ってくれたように、今度は僕が君たちを見守っていこう。……はる」

 青年の視線を追ったふゆは、扉の開いたままだった部屋の入り口に、いつのまにかはるが立っていたことに気づきました。淡い桃色のドレスを着た黄金色の髪の乙女は、硬い表情をしてそこにいました。

 そんなはるに、青年は目を細めて微笑みます。

「君を愛している。その気持ちは変わらないし捨てることもできない。でもその気持ちが、ふゆを苦しめるんだ。僕にとってはふゆも大切だから、これ以上彼女を苦しめたくない」

「はい」

 はるは、こわばった表情で答えました。かみしめた唇が、わずかに震えています。

「だから、少し遠くへ行くけれど、許して? 約束しよう。ずっとずっと、君たちを見守っているよ。いつでも、変わらずに空の上から」

 そう言うなり、青年の身体が窓から空へと踊りました。声にならない悲鳴をあげてふゆが立ち上がり、はるはその場に崩れ落ちました。

 ごお、と一際強く風が乱れます。

 すると。

 その風の中に、小さな光が一つ、揺らめきました。それは、青年の魂でした。

 吹き荒れる雪の中、それが光り輝いて空に昇っていくのを、二人は黙って見送りました。そうしてその光は、天の一番高い位置に落ち着くと、そこから二人を見下ろすのでした。




「ふゆ様が滞りなく、塔に入られました」

「……そうか」

 王様は、窓辺から空を見上げています。ほど高いその空に、明るい星が輝いていました。

 長い冬の後に空に昇ったその星は、春が来て夏がきて、秋になってまた冬がきても、その場所に変わらず輝き続けていました。きっとこれからも、同じ場所で輝き続けるでことでしょう。

「想いを貫き通すこと……それが、お前にとっての一番の褒美だったんだな」

 星を見ていた王様の頬に、一筋だけ、流れ星のような涙がつたいました。


 その塔はその国で一番高いところにありました。その塔は、その国で一番、空に近いところにありました。

 四季を統べる女王と星になった王子様の、少し悲しいおとぎ話でした。

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四季の女王と一つ星 いずみ @izumi_one

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