28. 期待と失望
その次は酢飯を作る。
私が調理している間に崇さんが探して洗っておいてくれた寿司桶に熱々のご飯を移した。
「作っておいた寿司酢をかけて、切るように混ぜていく」
「切るように?」
どんな混ぜ方なのかピンと来ず、首を傾げると、崇さんがしゃもじを持って混ぜて見せた。
「こう、粘りを出さないように、さっくりと」
しゃもじは縦に動いていて、なるほど、確かに『切るように』だ。
しゃもじを受け取り、同じように混ぜる。崇さんはうちわでご飯をあおいだ。
「こうやってご飯を混ぜながらあおいで、急速に冷まして、余計な酢を飛ばすんだ。で、艶が出るまで混ぜる」
「一人だと大変そうな作業ですね」
混ぜるとあおぐを同時に行うのは難しいから、一人で作るなら混ぜてはあおぎなのかな。
「そうだなー。二人でやった方が効率的だな」
「なんとなく、お祝いのときにちらし寿司を食べるのってわかった気がします」
「ん?」
「ちらし寿司に限らずですけど、酢飯を使うような料理って、やっぱり一人のときのご飯じゃなくて、家族が揃ってるときに、他の家族に手伝ってもらいながら作るのかなって」
「言われてみれば、そうかもな。お母さんが子供や旦那に手伝ってもらうかはともかくとして、昔は祖父母と同居の家が多かったと思うから、お母さんとおばあちゃんが一緒に作ってたんだろうしな」
「核家族で、お母さんが一人で作るにしても、一人で混ぜてあおいでってするのは手間なので、やっぱり家族のためじゃないと作らないかもですね」
「そうだな……と艶が出てきたな。良さそうだ」
言われて見てみると、確かにお米の一粒一粒が艶々だ。
「きゅうりを縦に4等分して、1センチ幅に切ってくれ」
「そう言えば、きゅうりを入れるって言ってましたね」
きゅうりを洗って、言われた通りに切っていく。それを酢飯の上に入れた。
「で、さっき炊いた具も汁を軽くしぼって入れて、混ぜる」
「はい」
切るように、切るようにと念じながら混ぜた。
「大皿が見当たらなかったから、今日は桶を器代わりにして、盛り付けだ」
ごはんを均等に広げ、上から錦糸卵をかける。
「漬けにしたマグロは親父さんが帰ってきてから、ご飯の上にのせて、海苔の細切りをかけたら完成だ」
「海苔って切るんですか?」
崇さんが出してきた海苔は細切りにして売っているものではなく、大きなやつだ。
「先に切ると湿気るかもしれないから、これは食べる直前にキッチンばさみで切ればいいよ」
崇さんが作業台の下の引き出しを開けて、キッチン用のはさみを取り出す。包丁ではなくはさみで切るなら、崇さんがいないときでも何とかなりそうだ。
ちらし寿司の桶にラップをかけた。
「今の時点でも美味しそうですね!」
「頑張ったからな。絶対にうまいよ」
「ですよね、楽しみです!」
ちらし寿司を食卓の真ん中に置いた。
小鉢やしゃもじ、取り皿なども並べると、私はやり切った達成感で頬が緩んだ。
気づけばもう6時前だ。お父さんももうすぐ帰ってくるはずだ。これを見て、驚いてくれるだろうか。美味しいと言ってくれるだろうか。
このままここで、作ったものを眺めながら待ちたい気分にはなったけど、洗い物をするためにキッチンへ戻った。
その後、片付けも終え、帰宅する崇さんと一緒に玄関へ向かった。
崇さんとはこれで最後なんだ。2週間はあっという間だった。
さっきまでは達成感と喜びに溢れていたというのに、胸が重苦しくなる。
どうしてこんなに寂しいと感じるんだろう。自分の気持ちがよくわからないまま、泣きそうになるのを誤魔化すように、私は頭を下げた。
「今日と、この2週間。本当にありがとうございました」
顔を上げた時には、なんとか笑顔を作った。
崇さんも「お世話になりました」と私に頭を下げる。
「いや、お世話になったのは私だから!」
と慌てると、崇さんは顔を上げて「ま、確かに」と笑った。
その顔を見て、今更ながらに、この人はモテるんだろうな……と思った。
出会った当初は、年上に見えなくて、言動も子供っぽい気がした。
でも、たった2週間しか縁のない私のために一生懸命になってくれて、そういう姿を見ると、誰でも少しくらいキュンとすると思う。
「親父さんが美味しいって言ってくれるといいな」
「はい」
それじゃ、と片手を上げて、崇さんは出て行く。また明日にでも会えそうな、そんな軽い別れ。
もう2度と会えないという現実に、私の心はぽっかりと穴が開いたようだ。それなのに、崇さんは何とも思ってない。別れを惜しむことなく離れられるという、わかりやすすぎる態度に、がっかりしたような気持ちになる。私は崇さんに何を求めていたんだろう。
バイクの音が遠ざかり、見えなくなってもそこからしばらく動けなかった。
どのくらいたったのか。見送りだけだからとコートを羽織っていなかった私は、体が冷えてしまい、クシャミをした。
それをきっかけにして家の中へ戻る。
崇さんのことは考えず、お父さんの反応を想像して、気持ちを切り替えていく。楽しい気持ちで心を塗り替える。
だけど、お父さんは帰ってこなかった。
夜の7時になっても、10時になっても、0時を回って24日になっても、帰ってこなかった。
楽しみにしていた気持ちはいつの間にか萎み、私の心には何も残っていなかった。悲しみでも、怒りでもなく、無であろうか。
お父さんへの諦めかもしれない。
ため息をついて、寿司桶を持ち上げると、キッチンのゴミ箱に中身を捨てた。
お祝いなんて私から拒否していた。期待していないはずだった。
それでも、お父さんと二人で24日を迎えたい気持ちがあったのだ。
日付けが変わるとき、一緒にいたかった。
そうすれば、たとえ特別なお祝いがなくても、初めて幸せと思える24日になった気がしていたんだ。
だけど、私はやっぱり一人だった。
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