14. お父さんと崩れ出す日常

 崇さんの淹れてくれたお茶を前にして、私はお父さんとリビングのソファで向かいあっていた。

 崇さんと真衣は帰宅して、この家には私たちだけだ。

 私はお茶でも見るふりをしながら、お父さんの様子をこっそりと観察した。


 なんだか疲れた顔をしている。

 しばらく顔を合わせないうちに、お父さんは老けたように見える。髪にはちらほらと白髪が混じり、メガネの下の目じりにはやはり皺が増えている。

 それに少し痩せたのかな。げっそりとした顔をしている。

 まだ40歳ほどのはずなのに、40代後半、下手したら50代に見えるかもしれない。


 お父さんは息をつきながら、ネクタイを外すと、髪の毛に手を入れてセットを崩した。

 私は何を話したらいいのかわからず、お茶を一口飲む。

 崇さんの淹れたお茶なら美味しいはずなのに、味が全くわからない。


「……学校はどうだ」


 お父さんがぼそっとつぶやく。


「どうって、普通」

「そうか」


 話は終わってしまった。気まずい。何を話したらいいんだろう。変わり映えのない毎日で、これといってお父さんに言うことはない。

 話が上手い人なら、こんな状況でも会話を膨らませられるのかな。

 お父さんもお茶を含んでから、再び口を開く。


「楽しいか」

「うん? うーん、まあまあ」


 学校がってことだろうか。

 正直に言えば、それほど楽しいわけではない。今どき、高校や大学まで行っておかなければと思うから行くだけだ。自分が正社員として働くということに、まだピンと来ないせいもある。

 でも、そういうことを言ったら話がややこしくなりそうで、当たり触りのない返事をする。


 お父さんの返事はまたもや「そうか」の一言だったので、私の口下手はこの人に似たのか。

 そう考えて、胸がざわりとする。

 たいして交流がなく、親しいとは言えないお父さんと自分が似ているなんて。この人の子供だと思い知らされることは、なぜだか嫌だった。

 それならば、もう記憶にないお母さんに似ている方がずっといい。

 お父さんと向かいあっていると、どんどんとネガティブな思考になってしまう。そんな自分に嫌気がさして、私は湯飲みを持って立ち上がった。


「お風呂に入ってくる。おやすみなさい」


 お父さんは何か言いたそうな顔をした。

 何か言おうとして躊躇ためらうようなそぶりも見せたけど、結局、微かに笑って「おやすみ」と言ってくるだけだった。



「はあ……」


 湯船に浸かるなり、私の口からはため息が漏れる。

 膝を抱え、自分の膝を眺めた。


 お父さんとまともに顔を合わせるのは、いつぶりだろう。

 夏以来?

 お父さんは、私が寝てから帰宅して、私が起きる前に家を出る。

 キッチンの洗い場に残されたお父さんのマグカップなどで、帰宅したんだなと感じることはあるけど、顔を合わせることはほとんどない。

 一般家庭に比べたら、異常なんだろうとは思う。

 だからと言って、もう普通の家族のようになれるとも思わない。


 なので、普通のお父さんみたいに帰宅されると戸惑ってしまう。

 年末は仕事が忙しいのか、この時期に顔を合わせた記憶なんて、ほとんどない。どうしてお父さんはこんな時間に帰ってきたのかな。

 ここはお父さんの家で、帰ってくることはおかしなことではないのに、そんなことを考えてしまう。

 家にいないことが当たり前になりすぎている。

 なぜなんて、一人で考えていても答えはでない。お父さんに問いかけることも怖くて、いたずらに考えこんでしまう。悪い癖だ。


 お風呂から上がったら、今日はさっさと寝てしまおう。明日になれば、いつもの日常が戻るはずだ。

 今日はもうお父さんとは顔を合わさない。惑わされない。

 そうと決めたら、私は立ち上がって、湯船を出た。


        ☆


 日常が戻るはず……と思っていたけど、結果的には戻らなかった。

 木曜日もお父さんは夜の9時頃に帰宅して、気まずい思いをした。

 そして、今日は金曜日。


 私はバイトで忙しく働きながらも、手の空いた瞬間に、お父さんのことを考えてしまう。

 まさか、今日も帰ってくるなんてことは……いや、まさかね。

 嫌な予感を覚えながらも働き続け、閉店時間の6時半を10分すぎたところで、ようやく最後のお客さんが帰った。

 葉子さんがOPENの札をCLOSEDに替えに行ってくれたので、私は余ったケーキの片付けを始めた。


「ねえねえ、彼って茜ちゃんのお家の方じゃないかしら」


 葉子さんが何やら興奮した様子で私に告げに来た。

 その内容に、ケーキをまとめていた手を止める。

 彼?

 と思いながら外を見ると、ガラス扉の向こうの駐車場に、バイクに腰掛けた崇さんがいた。


 私に気付き、片手を上げている。外が暗くて、表情はよくわからない。崇さんのことなので、笑っているのかもしれない。

 私は手を振り返すことができなかった。

 縫いつけられたように、その場を動くこともできない。


「……なんで、こんなところに」

「帰りには外が真っ暗になるから、女の子の一人歩きを心配して迎えに来てくれたんじゃない? なんなら、たまには早く上がってもいいわよ。残りはやっておくわ。」

「いえいえ、ちゃんと片付けを終えてから帰りますから」


 私は急いでケーキをしまうと、葉子さんが集め出したダスターも奪うように預かり、ごしごしと洗う。

 心配して迎えに?

 そんなわけはない。


 私と崇さんは友達でもなんでもないんだ。仕事の関係なだけ。

 迎えに来るなんて仕事にはないことをするはずがない。

 それなのに、どうして崇さんはここで待っているのだ。

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