7. クリスマスなんて大嫌い

 歯切れの悪い言い方に首を傾げてしまう。好きでなかったら、他人のために料理をするなんて、仕事でもできないと思うんだけどな。


「元々作り出したのは、必要にかられてなんだ」

「そうなんですか?」


 崇さんはお茶を飲みながら、うなずく。


「うちさ、親が共働きなうえに、オレが小学校に上がる頃に母親がこの会社を興したものだから、とにかく忙しくて家事どころじゃなかったんだよ。毎日スーパーのお惣菜とか冷凍食品とかで」

「え」

「でも、一人でそんな食事とっても味気なくて。それで、レシピ本を買ってもらったり、テレビの料理番組を参考にして、母親の代わりに料理をやるようになったんだ。両親が美味しいって笑って食べてくれると嬉しいからさ、料理が楽しくなったんだ」

「なるほど」

「で、調子にのった母親に掃除や洗濯も仕込まれて、家事は全部押し付けられて」


 一転してトゲトゲしくなった口調とその内容に、頬が引きつった。


「所長って言っても小さな会社だから今も現場に出てるし、人の家の面倒はみれるのに、自分の家は放置ってどういうことだよって思うよなー」

「え、えっと」

「まあ結果的に、こうやってバイトになってるから悪くないのか……いや、そもそも、このバイトをやりたかったわけじゃねえ。ああ、くそっ。ババアにいいように使われている気がする」


 崇さんは頭をガリガリと掻いた。


「でも、崇さんは間違いなく一人でも生きていけますよ。あ、金銭的にってことではなく、家事とかそういう面でってことですけど。できない私よりはいいと思います」


 と自虐的になる。

 崇さんは私を真剣な目で見つめた。


「オレの親と茜の親、どっちがいいかなんて比べられないけどさ。茜の親は、茜を大切にしているってことはわかるんだよ。大切じゃなかったら、家政婦なんて金のかかるもん雇わず放置だろ」

「そう……ですかね」


 私は笑おうとして失敗した。

 そんな風に考えたことなかった。お父さんが私をどう思ってるかなんて。


「とにかく、こんな時間になっても親父さんが帰宅しないってことは問題だよな……」


 こんな時間と言われて、リビングの壁にかけた時計を見る。

 夜の9時前。この時間にお父さんがいないなんて、いつものことだ。


「仕事だし、仕方ないよ」


 自分に何度も言い聞かせてきた言葉を繰り返す。


「だが……」

「崇さん、まだ作り置き作るんでしょ? 急がないと帰りが遅くなりますよ」


 私は話を打ち切るように立ち上がった。


「ああ、そうだな……」

「私が手伝うと返って時間がかかっちゃうので、作り置きは崇さんにお任せしますね」


 続けて立ち上がる崇さんを横目に、二人分の湯飲みをキッチンへ置きに行くと、私は一人で2階にある自室へ戻った。

 何をするでもなく、ベッドにごろんと寝転がる。


「はあー」


 無意識にため息が出る。

 私と崇さん。

 家族が家事をしてくれないのはどちらも同じなのに、どうしてこんなに対照的なんだろう。

 家事ができない私と、家事のエキスパートな崇さん。

 私は人任せにしすぎなんだろうか。甘やかされすぎなんだろうか。


「お父さんに甘やかされた記憶なんてないと思ってたのに……」


        ☆


 いつの間にか眠っていたようで、ノックの音で目を覚ました。ノックが何度か続くうち、ぼーっとした頭がクリアになっていく。

 そうだ、崇さん……!

 勢いよく起き上がると、扉を開けた。


「すみません、寝てました」

「あ、起こしたか。悪かったな」

「いいえ。それで?」


 私はぼさぼさになっているであろう髪の毛を手櫛で整えながら、彼を見た。

 崇さんが働いてくれている間、悠長に寝てしまうなんて不覚だ。


「作り置きが終わったからお暇しようと思って」

「ああ、できたんですね。遅くまでありがとうございます」


 部屋を出ると、1階におりて、玄関まで見送ることにした。

 外に出て、バイクの元に向かった崇さんが振り返った。


「そういえば、聞こうと思ってたんだが」

「なんでしょう」

「仕事は23日までの予定なんだが、24日25日はクリスマスのご馳走とかいるのか? オレはクリスマスの予定ないし、なんなら23日の仕事を24日に変更してもいいぞ」


 クリスマスと聞いて、笑みが固まる。顔が強張っていると自分でもわかる。


「いりません」

「だが」

「クリスマスなんて、大嫌い」


 私は崇さんから目をそらすと、吐き捨てるように言った。

 崇さんの息をのむような音が聞こえ、驚かせてしまったのかもしれない。

 でも、彼の表情を確かめる勇気はなかった。


「それでは、ありがとうございました。また明後日お願いします」


 私は崇さんを見ないようにして頭を下げると、家の中に戻った。玄関扉を閉め、その扉にもたれかかる。

 自分のなんとも言えない気持ちを整理できなくて、胸が苦しい。


 やがて、バイクの走り去るエンジン音が聞こえ、私は肩の力を抜いた。

 たった2週間の付き合いだ。

 友だちになるわけでもないし、次に会うのが気まずいなんて思う必要もないのよ。

 言い聞かせながら2階に上がろうとして、私はケーキの残りのことを思い出した。


 もう遅い時間だけど、大丈夫かな。

 ジーパンのポケットに入れていたスマホを取り出し、時間を確認する。10時すぎだ。

 おじさんもおばさんも寝るのが早いとは聞いたことがないし、起きているはず。

 捨てるよりはと思って、鈴木家に届けることにした。


 ケーキを取りにキッチンへ行くと、とても綺麗に片付けられている。流し台には水滴ひとつなかった。

 晩ごはんの食器も湯呑みも洗わせてしまったようだ。

 冷蔵庫にはマグネットでメモ用紙が貼られている。

 なんだろう。


 メモをはがして読むと、昼の3時から買い出しや掃除をしに来て、よかったら私の学校のあとに料理を教えるとのことだった。

 手伝いではなく、教えるになっている。あれはやっぱり手伝ってほしかったのではなく、教えるという崇さんの好意だったようだ。

 あれだけ嫌がっておいて厚かましいかもしれないけど、教えてもらえるなら教わりたいと今は思う。私だって料理くらいできるようになりたいんだ。

 さらに読み進めると、バイトなどで都合のつかない日があれば連絡してほしいと、LINEのIDと電話番号まで書いている。

 どういった料理を作り置きしているのかも書いてあるけど、それらの確認は明日でもいいだろう。


「嫌そうにしてたのに、変な人」


 やっぱり見た目と違って意外と律儀というか、生真面目というか。

 たった2週間なんだから、適当に働いて過ごしても文句も出ないだろうし、私のことなんて放っておけばいいのに。

 いい人ってこういう人のことを言うのだろうか。

 私は冷蔵庫からケーキの箱を取り出し、お隣に向かった。


 インターフォンを押して出てきたのは真衣だった。

 お風呂に入ったあとのようで、ワンピースタイプのもこもこの部屋着にレギンスを穿いて、髪の毛はまだ濡れている。


「……どうしたの」


 学校でのことを引きずっているのは私だけではないのか、真衣の声は少し低かった。


「あの、遅い時間にごめんね。バイト先からケーキをもらったんだけど、食べない?」


 私は箱を掲げて見せた。


「その箱、favoriの。そっか。ここのところよくケーキをもらっていたのって茜からだったんだ」

「うん。店長が残り物をくれるんだけど、一人じゃ食べきれないから」

「あああ、羨ましい。ていうか、この時間にケーキ食べるのは悩ましいけど、favoriのケーキなら食べちゃう。美味しいから大好きなんだよおおお」


 途端にテンションの上がる真衣の反応に、笑いがこみ上げる。何だかんだと普通に会話ができている。


「美味しいもんね。でも、真衣なら体が細いんだから、時間とか気にしなくても大丈夫だよ」

「それ、茜が言う? 茜の方がすらっとしてて細いじゃん。私、茜より身長低いのに、体重は同じくらいだって自信あるよ! ちびで寸胴なんてやばすぎなんだからね」

「そんなことないと思うけどなあ」

「そんなことあるの。でもいい。今日はこれ食べて、明日からダイエット頑張る」

「来週か再来週にはまたケーキをお裾分けに来ると思うけどね」

「うう、その日だけダイエットはお休みする」

「まあ、頑張って。それじゃ」

「あ、ねえ。一緒に食べていかない?」


 自分の家に戻ろうとしたところで、真衣は招くように扉を大きく開けた。


「ごめん、私はもういただいた後で」

「それって……」

「ん?」


 真衣は急に黙り込んだ。どうしたのだろうか。


「あのね、さっき」

「うん」

「あの……」


 どうしたのだろう。真衣は言いよどむ。

 続きを待ったけど、真衣は話を諦めたようだ。


「うう、やっぱりいい。また明日学校でね。おやすみ」

「お、おやすみなさい」


 真衣がどんな言葉を飲み込んだのかわからず、閉じられた扉をしばらく眺めていた。

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