ヒトツボシ -ヤンキー家政夫と美味しい食事ー

高梨 千加

本編

1. ひとりぼっちの空

 12月になると、憂鬱ゆううつになる。

 クリスマスが近づき、自分は一人だと思い知らされるからだ。


「さむっ……! 茜、寒すぎだね」


 4時間目の授業が終わり、お昼の時間。食堂へ向かうため校舎の昇降口から外に出た途端、隣を歩く鈴木すずき真衣まいは両腕で身を抱えるようにしながら、大きな声を出した。

 私、桂木かつらぎあかねは真衣の姿を見ながら、返す。


「まあ、冬だしね」

「茜、余裕ありすぎ! 寒くないの?」

「そりゃあ、もちろん寒いわよ」


 真衣のような大騒ぎはしないだけだ。冷えた空気が顔や足など、むき出しの素肌を刺すようで辛い。手はセーラー服の袖の中に隠して、出さないようにしている。


「晴れた空を見たら、暖かそうな気がしたのになあ」


 真衣の言葉につられて空を見上げる。冬は曇った日も多いけど、今日の空は雲ひとつなく、青く澄み渡っていた。


 冬は嫌いだ。

 それでも、冬の晴れた日の景色は一年で一番くっきりと見え、そういう時は冬も悪くないな、と思える。

 だけど、それは暖かいところから眺めての感想だ。寒さと痛さで耳の感覚が麻痺してきた今、どんなに綺麗な空でもやっぱり冬は嫌いだ。


 セーラー服の下にセーターを着ているとはいえ、コートを教室に置いてきたことを後悔する。

 それは恐らく真衣も同じで――と思いかけて、私と真衣の違いに気づく。髪の毛だ。私の髪は腰まで伸びていて、真衣はショートカットなのだ。

 真衣のうなじを見るととても寒そうで、だから大騒ぎするのだなと納得する。真衣はコートだけではなく、マフラーも置いてきたことを後悔しているんだろう。

 私は足を止め、提案をした。


「真衣はお弁当なんだし、教室で食べてくれてもいいよ」

「茜だけ食堂で食べるってこと?」


 先に行きかけていた真衣が振り返ると、眉を寄せた顔で言った。

 怒らせただろうか。不安になりながらも、もちろん、と頷く。

 お弁当はないし、パンも何も買ってきていない。うちの高校に購買部はないので、食堂へ行かないとお昼を食べられないのだ。


「やだ、一緒に食べようよ。寒くても我慢するから」


 ほら行こう、と真衣に腕を取られて、再び足を動かした。

 うちの高校は、食堂が校舎の外にある。校舎を出て、体育館を通り過ぎ、さらにその先の建物だ。

 私はずっとお弁当なしなので、毎日のように通い始め、今年で2年目。もう慣れたものだけど、あまりのんびりしていると、ご飯を食べるだけで昼休みが終わってしまう。食堂が見えだした頃、自然と小走りになった。


 食堂の扉を開けると、暖かい空気とざわめきが流れ出てきた。温もりにホッとする。いつの間にか寒さで肩に力が入っていたと、肩を下ろして気付いた。


「今日も混んでるねえ」

「本当にね」


 真衣の言葉に相槌をうちながら扉を閉めて、中を見渡す。6人がけの大きな机2つをくっ付けて並べてあり、それが縦に5つある。その座席の9割くらいは埋まっているだろうか。

 左手にあるカウンターには料理待ちで並んでいる生徒が10人ほどいて、食券を買う機械にも列ができている。

 それほど広くない食堂なので、通路を狭く取って室内いっぱいに座席を配置しているけど、いつも満席近くまで混む。


「それじゃ、私は席を取っておくね」

「うん、ありがとう」


 席取りを真衣に任せて食券を買いに行く。

 今日はきつねうどんだ。こう寒いとお腹が十分に温まりそうなものを食べたくなる。

 しばらく待ってうどんを受け取り、真衣を探した。みんなが同じ制服でわかりにくいうえに、真衣は小柄なので、こういうとき、すぐには見つけられない。

 視線を右から左、左から右へと動かしていると、「茜、こっちこっち」と真衣が私を呼んだ。声のした方を見ると、えくぼを見せた真衣が体を精一杯に伸ばし、上げた手を振っていた。


「お待たせ」


 真衣の向かいにお盆を置いて、席についた。「いただきます」と手を合わせて割り箸を割ると、真衣もすぐにお弁当を広げる。

 真衣のお母さんは料理上手で、いつも色とりどりのお弁当を作っている。今日は、卵焼き、唐揚げ、プチトマト、ブロッコリーの和え物、混ぜご飯のようだ。手が込んでいる。

 真衣はブロッコリーに箸をやりながら話しだした。


「24日のクリスマスイブにね、彼氏彼女のいないクラスのみんなで集まって、クリスマスパーティーをすることになったのよ」

「クリスマスパーティー? てことは、真衣も行くの?」


 私に彼氏がいないことは当然として、人当たりがよく男女ともに友人の多い真衣にも彼氏はいなかった。

 それなりに男子から告白されてそうだけど、真衣はいつも片思いで、告白できずに終わる。恋愛ごとは奥手なのだ。


「もちろん。茜も来るよね?」

「あー……私は」


 行かないという答えは許されるだろうか。正確には「行けない」なのだが。

 答えようとしたところで、「あ、鈴木。ちょうど良かった」とお盆を持って通りかかった同じクラスの男子が真衣に声をかけた。

 真衣は口をモグモグさせながら、斜め後ろの男子を仰ぎ見た。


「何?」

「クリスマス、男子は10人くらいになりそう」

「おー、女子もだいたいそのくらい」


 二人が話し始めたので、私は髪の毛を左手で押さえながら、黙々とうどんを食べる。味のしみたお揚げがとても美味しい。

 不意に視線を感じて顔を上げると、真衣と話している男子が私を見ていた。

 なんだろう、と思うよりも先に相手は視線をそらしたので、たまたま視界に入っただけだろうと結論づけた。

 しばらくすると、話の終わった男子は友達のところへ戻ったので、真衣は前に向きなおって、お弁当の残りに手をつける。


「ごめんね。話の途中で」

「ううん、気にしないで」

「それで、クリスマスなんだけど」


 と続きを話しかけると、今度は女子二人に話しかけられた。

 彼女たちも同じクラスで、佐藤さとうさんと大園おおぞのさんだ。

 二人して「彼氏がほしいよー」「合コン行こう」と教室でよく騒いでいるので、彼氏はいないはずだ。クリスマスパーティーに参加するのだろう。

 聞こえてくることによると、話の内容もクリスマスパーティーに関することだ。クリスマスのプレゼント交換はどう行うのか、プレゼントは何円までか、一緒に買いに行こう、などなど。


 話に時間がかかりそうだな。

 真衣が食事を中断している向かいで私はうどんを食べきり、お出汁の効いた汁も飲み干してしまう。

 空になった鉢の底を見て、どうしようか、と迷ったのは一瞬のこと。私は鉢をお盆に置くと、立ち上がった。


「真衣、先に戻ってるね」

「え、ちょっと茜!」


 引き留める声に背を向けて、お盆を持って返却口に向かった。


「……なんか感じ悪っ」

「聞こえるよ、さとちゃん」


 さとちゃんというのは佐藤さんのあだ名だ。

 私に聞こえるようにわざと言っているのだろうか。そう勘ぐりたくなる大きな声の佐藤さんに、真衣がこそこそと注意をする。

 その会話は全て筒抜けである。


「真衣って幼なじみだか何だか知らないけど、よく仲良くしてるよね。桂木さんって真衣の他に友だちいないでしょ。いつも一人で暗いし、苦手」

「幼稚園から今までずっと同じ学校で、家も隣なんだって? それでも、あたしなら無理だなー」

「茜は人づきあいが苦手なだけで、いい子だし、そんな嫌な子じゃないんだよ」


 三人の会話を耳に入れながら、食器を返し、外に出た。

 その途端、体がぶるっと震える。

 温かいものを食べて、体の芯から温まったはずなのに、なぜだろう。さっきよりも寒く感じる。

 心は冷え切っていた。


       ☆


 授業も終礼も終わり、荷物をまとめ席を立つと、同じように席を離れた真衣と目があった。

 真衣はクラスメイト達に「バイバイ」と手を振りながらこちらへやってくる。


「茜、昼に話してたクリスマスパーティーのことなんだけど」


 私は真衣の方を振り向きながら、申し訳なさそうな表情を心がける。

 昼間、真衣が私を評していた『人づきあいが苦手』とはまさにその通りで、笑うにしろ何をするにしろ、意識しないとできない。身構えてしまうのかもしれない。

 いつでも笑っている真衣は、どうして自然とできるんだろう。


「ごめんね、その日はバイトがあって」

「バイト?」


 真衣が「聞いてない」と言いたそうな顔になる。知っているはずなのにおかしいな、と思いながらも説明をした。


「そう。先月からケーキ屋さんで始めてね。クリスマスイブとクリスマスは1年で一番忙しいみたいで休めないの」


 これは事実だ。

 バイトの面接のとき、クリスマスは臨時バイトを何人か追加するくらい忙しいので、休みは取れないと言われている。

 だからこそ、私は働くことにしたのだ。


「バイトだったら仕方ないけど、毎年、なんだかんだと理由をつけて断るじゃない。みんなとだったら楽しいし、私だって、祝いた――」

「あ。今日もバイトなんだ。時間、遅れそう」


 私は黒板の上にある時計を見て、話を打ち切った。

 また明日ね、と笑って手を振ると、マフラーを首に巻いて、教室を飛び出した。


 走るように校舎を出て、オレンジ色に染まる街を駅へと急ぐ。

 モヤモヤとした気持ちを持て余し、それから逃れるように空を見上げた。そこには、まだ暗くなりきっていないというのに、星が浮かんでいた。思わず足を止めて、星を見つめる。薄い青色と眩しいくらいのオレンジ色に輝く空に、白っぽい点のような星がたったひとつ。

 まるで私みたいだ。

 ひとりぼっちで孤独な星。

 私には誰もいない。

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