第21話 樹海にて
時を遡ること数時間前、圭一郎達が出発する直前、『彼』がコロの枕元に座った。
「大丈夫か」
「まだ少しダルいけど、大丈夫」
「そうか。ワシらはすぐに出る」
「うん、行ってらっしゃい」
「これを持っておけ」
「これは?」
「ワシの脚からほじくり出した発信機だ」
「え、あ、ありがとう」
「何もなければ役には立たんが、何かあったら役に立つかもしれん、まあお守りだと思えばいい」
「うん、そうする」
自分の拳ほどの大きさのそれを、コロは受け取った。そして、いま。
黒塗りの高級乗用車の後部座席に居た雉野真雉に、自動車電話で一報が入ったのは、高速道路を移動中のことだった。
「対象を確保とのことです」
「うむ」
「天の眼は追って来るでしょうか」
「来れば良し。今日こそ決着をつけてくれる。来なければ又良し。神の復活が支障なく行われよう」
「はい」
「時は満ちたのだ。もはや怖るるものあらず」
車はトンネルを抜け、一路富士へと走る。
先頭のイヌワシの足には、僕と『彼』がつかまれている。二人目のイヌワシにはもーきんが、オジロワシにはシャモ中尉が、そして最後尾にハチクマ先生が続いた。カラスコンビは庵の様子を見に戻った。
「方角的には富士に向かっておるな」
『彼』の言葉に一斉に翼が傾く。山脈の遥か向こうに富士が霞んでいる。
僕はふと気になった。
「発信機の電池はどれくらい持つの」
「そうさな、丸一日くらいは持つだろう」
「それまでに追いつけるかな」
「追いつかねばのう」
「……そうだね」
「母親が心配か」
「そりゃね。だけどこっちを片付けなきゃ、母さんを助け出してもただの脱獄犯にするだけだ」
「そうだな、具体的に何ができるかは行ってみないとわからんが、とにかく雉野真雉を何とかせねば、ずっと警察に怯えて暮らさねばならんのは確かだ」
僕らのすぐ後ろには、もう一人のイヌワシに掴まれて、もーきんが続いている。
「もーきんは心配じゃないんだろうか」
「両親の事か、そりゃ心配だろうさ。だがあれもひねくれとるからのう、そんな気配は顔に出さんだろう」
「そういうものなのかな」
「そういうもんなのだ。若い奴は色々と面倒臭いのだよ、あいつといいおまえといい」
「え、何で僕が」
「おまえは特に自覚が無いからのう、困ったもんだわい」
「え、ちょっと、それ、どういう、どういう」
前の二人は随分と会話が弾んでいる。やる気満々なのだろう。いや、俺だってやる気はある。あるのだが、いまひとつピンと来ない。自分達はこれから何をするのだろう。『彼』がコロに渡した発信機が凄い速度で移動している、ってのはわかっている。と言うか、それしかわかっていないのだ。
状況を見る限り、コロはさらわれたのだろうと俺も思う。では誰に。シャモのオッサンの言う事を信用するのなら、軍は関わっていない、らしい。ならば例の雉野真雉とかいう奴が糸を引いてるのだろう。まあそこまでは良い。そういう前提でいまは行動しているし、理解している。
しかし問題はそこからだ。何をどうする。コロを助け出す、それはハッキリしてる。けど、それで全て終わるのか。
敵の秘密基地に突撃して悪い奴らを蹴っ飛ばして、最後に大爆発して一件落着になるんなら話は簡単だ。だが軍も警察も動いてる。俺らの気持ちや気合や根性程度では動かせないモノが既に動いてる訳だ。そんな中で俺らが現場に殴り込んで、いったい何ができるのだろう。いや、何をしなけりゃならないのか。
たとえば、そうたとえば、雉野真雉を殺す? それくらいの事をしなきゃ収集が付かないレベルにまで状況は進んじまってるんじゃないのか。だが実際にそれができるか? 俺に人が殺せるのか? そもそもそれが正解なのか? そう考えるように誰かに仕向けられているんじゃないのか?
「圭一郎」
師匠の声にハッとする。いつの間にか隣に並んで飛んでいた。
「何を考え込んでる」
「いや、何って言うか、その」
「いまは考えるな。これから何が起きるのかわからないのに、考えるだけ無駄だ」
「でも師匠」
師匠は一瞬、後ろを気にした。シャモはずっと無線で連絡を取り続けている。
「臨機応変、なんて簡単に言いたくはないが、とにかくいまはコロを助けることだけ頭に入れとけ。難しいことは俺が考えておいてやる」
「いやでも」
「どうした弱気か。お前のハートは猛禽なんだろ」
「……うっす」
それを言われちゃあ、仕方ねえんだぜ。
三軍の長はまた顔を合わせている。内線電話の受話器を戻し、オオワシが言った。
「ハヤブサ小隊を樹海に配置完了した。これでどの角度から侵入しても必ず網にかかる」
ダチョウがうなずく。
「突撃要員として駐屯地からヒクイドリ十名が向かっている。本部からはシャモ十名を向かわせた。制圧は時間の問題だろう」
コウテイペンギンはまだ少し迷っている。
「うちの部隊も配置は完了している。そちらが動き次第、動くけどね。本当に大丈夫なんだろうか、こんなことして」
「何を今更」
ダチョウはつぶやく。
「軍は国家を守る為の組織だ。国家を守るためならば、いかなる可能性も否定してはならない」
「しかし、それは原理主義的に過ぎないだろうか」
食い下がるペンギンに対し、今度はオオワシが言う。
「予言者や
「わかった、わかったよ。多数決には従おう。議論はすべてが終了した後だ。それで良いだろう」
降参なのかお手上げなのか、ペンギンは両翼を上げてひらひらして見せた。
ああ、また夢を見ている。夢の中で最初に浮かぶのは広々とした草原。自分の背より高い青々とした草が延々と生い茂っている。その草原を見下ろしている、自分は何処に立っているのだろう。ブランコか、ジャングルジムか、それとも半分埋められたタイヤか。
そんな物に実際に上った記憶があっただろうか。それは定かではない。ただ夢の中では必ずそんな草原があって、その向こうには高層ビルの群れ。旅客機は宇宙を飛び、列車は宙に浮き、運転手の居ない自動車が走る、そんな世界。
そんな街に暮らしてみたいと私は言い、いつも叱られていた。誰に。父だったろうか、それとも母だったろうか。その誰かはいつも言っていた。人間は恐ろしいと。人間には近づいてはならないと。けれど私は笑っていた。そんなに恐ろしいものなどいる訳がないと。なのに……ああ、ああ恐ろしい、何故こんな事に。
――唯一の実験個体
ああ、何故私が、ああ、誰かこの夢を覚まして早く。ああ、ああ。
「目標確認、西三南一から二、オオタカ、十、荷物有、追跡を開始する」
ハヤブサ小隊からの一報が軍本部へ届く。
「それでは、うちも作戦を開始しますか」
コウテイペンギンが内線で指示を出し、海軍が動いた。
ハヤブサから続報が入る。
「目標、高度下げ、樹冠の下に入る」
樹木の枝葉が生い茂っている部分を樹冠と言う。オオタカはその下を潜って飛んで行く。ハヤブサ小隊は樹冠の上と下二隊に分かれオオタカを追跡する。
それは黒い波に見えた。海面すれすれを横一列になって、真っ黒な背中と真っ白な腹のウミガラスの集団が翼を高速で羽ばたかせながら飛行してくる。そして波止場に近付くと一斉に高波の様にジャンプし、埋め立て地へと降り立った。その目の前にあるのは、小国医療化学第一工場。
ハヤブサ小隊の追跡に気付いたか、オオタカ部隊は一気に分散した。
「アルファ1、木が邪魔で見えない、目標ロスト!」
「アルファ2、ロスト!」
「アルファ3……」
空から追跡したアルファ分隊十五名は樹海の樹々の密度の高さに、早々に目標を見失った。
ヨチヨチと覚束ない足取りで工場に侵入してきたウミガラスの集団に、多くの工員は注意を払わなかった。どう見ても危険な存在とは思えなかったからである。それでも、工場長のウズラには見捨てておけなかった。
「こらこら、何だあんたらは。勝手に入って来るな」
パン! と乾いた音。ウズラ工場長がそれを銃声だと認識するには、数秒の時間が必要だった。天井に向かって威嚇射撃をした銃口をゆっくりとウズラに向け、ウミガラス部隊の隊長は言った。
「海軍です。みなさんの保護に参りました。確かあなたは工場長さんですね。お話があります。よろしいでしょうか」
樹冠の下から追ったハヤブサのブラボー分隊は、アルファ分隊よりは長くオオタカを追えた。しかし。
「くそっ、速すぎて追いつけない!」
単純なスピード勝負なら、ハヤブサがオオタカに負けるはずは無い。だが樹冠の下となると話は別だ。ハヤブサは大空の鳥であり、オオタカは森林の鳥だからである。つまり、樹冠の下をオオタカ程の高速で飛ぶ技術を、ハヤブサは持っていない。従って、樹冠の下ではハヤブサはオオタカに追いつけないのだ。
かくして、ハヤブサ小隊は十人のオオタカ部隊を全員見失ってしまった。
ソファを蹴倒した。オオワシが感情的になるのは珍しい。フクロウ部隊の件といい、失態が続いたためか。見なかった振りをして、コウテイペンギンはダチョウにたずねた。
「そろそろ来てくれるのかな」
「ああ、そろそろ到着するだろう」
小国医療化学第一工場の門の中に、軍の装甲車が次々到着した。まだ中の騒ぎに気付いていない工員たちが目を丸くして見ている。装甲車から降りて来たのは、陸軍施設中隊の真っ白な羽毛でほっそりとした体のコサギ部隊。出迎えた黒いウミガラス部隊の隊長と敬礼を交わした。コサギ部隊の隊長が問う。
「状況は予定通りですか」
ウミガラスは答えた。
「予定通り、工場も全て遅滞なく操業を続けております。ただ工場長が頑固者でありまして、中央制御室の操作盤の使い方を教えません。ですが、これもじき何とかなるでしょう」
オジロワシは前に出、先頭のイヌワシに並んだ。シャモ中尉が『彼』に尋ねた。
「発信機はまだ追えていますか」
「追えとるよ。何かあったのかね」
「軍が樹海で接触しましたが、逃げられました」
と、言いにくいだろう事をあっさり言った。
雉野真雉は樹海を縦断する道路の途中に車を止めると、そこから東へ東へ、老人とは思えない恐るべき健脚で、道なき道を走り進んだ。警護隊長は真雉について行くだけで精一杯である。
一時間くらい走ったろうか、真雉が不意に木の陰に身を隠した。上空に何か動く気配がある。警護隊長も慌てて真雉の近くに身を寄せた。
「ハヤブサじゃな。軍か」
「どう致しますか」
「なに、上から簡単に見つかる入口ではない。我らの到着する方が早いわ」
そう言うと、真雉は再び森の中を飛ぶように駆け抜けて行った。その姿、さながら山の怪の如し。
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