自らの道を進め

「これをすることは禁じられているんじゃないか、そう思うと、何をするにも臆病になってしまう」


 なるほど、時代と国と境遇まで違っているのに、何故か俺にも共感が沸き起こる。世界から見れば、俺の国はとても平和で教育が行き届き、とても幸福に見えるんだろう。俺もそんな気がするが、そんな幸福感は殆ど味わった事が無い。世界から見れば贅沢な悩みってもんだろう。だが、どうにもこのすれ違っている感覚を埋めることが出来ないんだ。


 とにかく、民族や宗教について、住んでいた場所や辛かったことについて、話してくれてありがとう。どうやったらお礼が出来るのかわからないから、俺の幼少期のことを話してそれに代えさせてもらいたい。今のうちに言っておくが、書こうと思っている時点で恥ずかしさがこみ上げてるんだぜ?


 俺は幸運にも「あれはダメ、これもダメ」と国に禁じられることは無かった。無かったんだと思う。で、そんな俺の幼少期はどんな様子だったかと言うと、


 月曜から土曜までは学校だ。現在俺の国は完全週休二日制で通学は金曜までなんだが、俺の幼少期にはその制度が徐々に変わっていった。土曜日まで通うが、土曜日は半日。隔週で土曜日は休み。完全に週休二日。そんな風に変わっていった。


 で、学校が終わった後だが、月曜は子供向け数学教室。火曜日は音楽教室。水曜日は子供向け英語教室。木曜日は子供向け体操教室。金曜と土曜はそろばん教室。だった。日曜日は書道教室。たまに地域の子供の集まりに関わることもあった。そんな感じだった。


 それで、俺の家なんだがね。何かから隠れて過ごす必要はなかったはずなんだが、非常に窮屈な感じがした。この点に関しては記憶が曖昧で上手く思い出せない。とにかくそんな感じだ。そして、創造性がないとか自主性に乏しいとか、消極的で引っ込み思案だとか、そんなことを言われ続けたんだ。お前のポジティブさが眩しい。だが、これも外から見ているからそう思うわけだよな? 実際どうだったかは本人にしかわからないだろう。


 返答として書くのもキツイ話になってしまうが、●の心理学者にV.E.F.という人物がいる。その人が記したものによると、ある事象に入りつつある段階、その事象の中での段階、そこから解放された段階というのがある。大雑把に言うと抑圧から解放されても、それだけで「めでたし、めでたし」というわけにはいかないということなんだ。


 つまりどうすればいいかはまるで解らないんだが。きっと自分にしか表せない何かを発し続ければ、今この状態まで引きずっている何かから解放されることもあるんじゃないかって事なんだよ。


 あなたに答えることでその役割を少し果たせるなら、こんなに嬉しいことは無いよ。


 ありがとう。


K

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