☆2☆ めぐりあい、根野にぬ奈

「――ふぇ?」


 彼は今なんと言ったか。


 遅れて理解した紗弓は、

「ほ、ほほほっ、ほんとにっ!?」

 と机に乗り上げかねない勢いで訊き返す。


 プロデューサーが頷けば力抜けたようにソファへ沈み込んで天を見つめた。


「……やった」


 小さく呟き、両腕で顔を隠す。

 そうして今度は、


「……やったよぉ」


 と湿っぽい声を漏らした。


 まだアイドルになれると確定したわけではない。

 それでも、ここまで本当に遠い。

 遠かった。


 アイドルになりたいと思ったのが、五歳の頃。

 レベルが上がるようにと、身長を伸ばすのと同じつもりで、好き嫌いなくバランス良く食べ、適度な運動もしてきて十年間。

 もうレベルは上がらないだろうと一度は諦めたのが三年前。

 はやりんのおかげで夢を取り戻したのが二年前。


 本当に僅か……僅かな勝率だった。

 紗弓にとっては、まさに一かゼロかの勝負。


(でも勝った。ううん、ここからが本番。八十三人のわたしが敗れた壁に、挑まなくちゃならない)


 紗弓は顔をゴシゴシこすってから腕を離す。

 少しだけ目元が赤くなっていた。


「プロデューサー、ほんっとうにっ、ありがとうございます!」

「まだ喜ぶには早いですよ。それでは私は少し席を外しますから、自由にしていてください。それから今後についてお話させていただきますね」

「はひっ。よろしくお願いします!」


 彼が部屋から出て行ったなら紗弓は早速、腕を胸の高さまで持ち上げ、腕時計型多機能端末スマート・ウォッチの電話機能を起動。

 空中に青色の二次元ディスプレイが投射された。


 ディスプレイ中央で〈呼び出し中〉というドット文字がくるくる回るのを眺めていたらパッと画面が切り替わる。青色の背景に母の顔が映った。


「おっ、さゆちゃん、上手くいったみたいじゃん」


 母は開口一番そう言った。

 娘の顔を見てすぐに察しがついたようだ。


「うんっ! っても、まだ候補生だけど」

「いいじゃん、いいじゃーん。首の皮一枚って感じ。ママ、そういうの大好き」


 いつものようにけらけらと笑う母に、紗弓は羨ましいような呆れるような気持ちだった。


「ママが好きでもしょうがないけどねっ。それでね、これからたぶん説明とかあるから、帰るのちょっと遅くなるかも」

「そっかー。じゃあ、お赤飯でも炊いとくかねー」

「まだ早いよ!」

「そお? まー、さゆちゃんがそう言うなら、いっか。普通に待ってるねーん」


 電話を切ってから間もなくプロデューサーは帰ってきた。


「お待たせしました。では参りましょうか」


 地下へと降りるエレベーターに乗っている間、紗弓はニコニコしっぱなしだった。

 垂れ気味の目元はますます垂れ下がり誰の目にも浮かれていること明らかだった。


 体はゆらゆら、肩に届くほどのツーサイドアップもぴょこぴょこ揺れている。

 ひとりだったら鼻歌も交えていたことだろう。


 なにせレッスンルームに行くと言うのだ。

 舞闘者アイドルたちが日々トレーニングをするための場所。

 それは白鳥が浮かぶ湖の水面下のようなもの。

 ひた隠しにされた舞闘者の秘密。


 そこに立ち入ることを許されて浮かれずにいられるファンがいるだろうか。

 鼓動の高まり鎮められるファンがいるだろうか。


 いざレッスンルーム。

 意気揚々と入れば――、凛、――とした空気に、思わず息を飲む。


 先客がいた。

 青色のジャージを着た少女が、部屋の真ん中で正座をし、目をつむっている。


 きれいな子だ。

 頭は卵形をしているし、白い肌は雪原のよう。

 艶やかな黒髪はスッと伸びた背筋に、小川の如く落ちていく。

 すらり、しなやかな体躯は柳のそれ。


 なによりも、その瞳がきれい。

 人の来ない山奥で静かに澄み渡る湖のようだ。


 紗弓は、ゆっくり瞼を開いた彼女と、目と目を合わせた瞬間、そう思った。


 胸の鼓動がやけにうるさい。


「生実さん」


 プロデューサーの声で紗弓はハッと我に返る。


「生実さん。紹介しますね。こちら、四月からうちでデビューしていただく予定の……」


 少女がすくっと立ち上がり深々と頭を下げた。


根野ねのにぬ奈です。初めまして」

「生実紗弓ですっ。やっぱり新人さんだ。おめでとう!」


 一瞬の間。


「ありがとうございます」

「わたしはまだ候補生なんだー。でも絶対、一緒にデビューするねっ」


 紗弓は目を輝かせながら、ぶんぶん激しい握手を交わす。

 にぬ奈はにぬ奈で顔色一つ変えずに手を振られ続けるものだから、ほどほどのところでプロデューサーがやんわり止める。


「それでは生実さん。貴女には今から根野さんと闘っていただきます」

「はひっ。……えええええええ!?」


 丸い目をいっそう丸くして紗弓はすっ頓狂な声をあげた。

 予想外の言葉だった。


 舞闘者アイドルどころか異能力者でもない。

 そんな自分が異能力者と闘うだなんて想像できるはずがなかった。

 戸惑いはあまりに大きい。


「む、無理ですよ」


 そんな弱気な言葉も口をついて出てしまう。


「では候補生の話はなかったことになりますが」

「え」

「まず、異能力に目覚める確実な方法はありません。これだけは重々承知していただきたい」


 紗弓はしっかり頷いた。

 自身もネットなどで、レベルを少しでも上げる方法を調べたことがある。

 それこそ無数にあったし、どれも噂やおまじないの域を出ないものだったが時に実行もした。

 結果はこの通りである。


「ですが相原あいはらさんは、この方法で目覚めました」

「はやりんが……?」

「はい。他の八十二人の候補生の方々は残念ながら目覚めませんでしたが、それでも現状で最も可能性があるのは、この方法だと考えています」


(初耳。けどはやりんはインタビューで異能力者になるのは『すごい大変だった』って言ってた。……このことだったんだ。やっぱり、ここを選んで良かった。ここが頑張りどころだ!)


 紗弓は弱気を吹っ飛ばすように元気よく答えた。


「わたし、やります!」

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