魔女の靴職人

 魔女の靴工房というから期待していたのに、あんまりだ。

 巧は、まるで黒いフェルトのように光沢を失った目をして、工房を見回した。


「木型は多いのに……」


 どうしても不満が漏れでる。魂と一緒にだ。ずさり、と床に膝をつき、倒れる躰を両手を突っ張り棒にして支える。それでも足りない。


「も、森村くん!? 森むら――」


 真央の声が遠くなっていく。打ち砕かれた期待の破片を探すしかない。

 ――もっとも、巧の絶望は誤解に基づいている。自らがそうしてきたゆえに抱いてしまった憧憬、すなわち二十四時間フル稼働ではたらく職人の群れという光景だ。そんなものは、たとえドイツの靴職人がミシン針を開発した時代まで遡っても、そう多くは存在しない。そしてそれは、労働力や技術力の問題ではない。


 純粋に、無尽蔵に靴を作る意味など、無いからだ。

 元々、革靴自体が必要に応じて生まれた道具である。需要があって――つまり注文を請けて初めて作られる工業製品なのだ。


 巧が憧れた大勢が同時に靴を作る光景は、先立つ大量受注がなければ現出しえない。それは例えば兵士の足を守るための大量生産であり、例えば王侯貴族たちの服飾趣味に基づく大量消費である。

 つまり真央に言わせれば、魔女の家の靴工房にいる職人が少ないのは、


「ごめん。言ってなかったね。模造靴でも魔女の靴だから、個数管理されてるんだ」


 と、いうことになる。

 二人の様子に気づいたか、読書中だった職人が本を置き、立ち上がった。

 ゴン、ゴン、と重く鈍い靴音がする。どうやら工房では靴音が鳴るらしい。音の正体は職人が履いている薄茶色のエンジニアブーツであった。つま先の内側にプラスチックや鋼板によるプレートを仕込み、落下物から足を守る靴だ。


「ってなんでだよ! そんな重いもんねぇだろ! 靴工房には!」


 巧はツッコミを入れつつ立ち上がった。が、すぐに口を噤む。

 ギロリと睨む職人は、真っ赤なソフトモヒカンも厳つい強面だった。本を読んでいる姿では気づけなかった。年は巧よりも二つか三つは上。背こそ低いものの筋肉質で、靴職人というより重量挙げの選手と言われた方が納得がいく。


「てめぇが禁制靴を作ったガキか?」

「そ、そうみたいです……」


 巧は脂汗をかきつつ視線を落とした。常日頃から靴工房に入り浸っているのもあって、付き合いもそう広くはない。もちろん本格的な不良の世界を除いたこともなく、言葉遣いと外見に、完全に委縮させられてしまった。


「そうみたいだぁ? てめぇのせいで俺らの作った靴が――」


 野太い怒声に、巧は身を竦めた。上げ底で身長足してるチビのくせに、と心中で毒づいてみる。しかし、真正面から顔を見るのは難しい。


「彼のせいではないよ。やられたのはボクだからね」


 真央が巧と男との間に割って入った。


「それに靴は道具だ、って、いつもキミが言ってくれてることじゃないか」

「でも、チャッカ姐さん!」


 ――姐さんて!

 巧は口の中だけで神速のツッコミを入れていた。普段ならただの冗談や愛称の類だと笑っただろう。しかし禁制靴だのなんだのと、まるで一昔前のギャングである。


「でも俺、許せないッスよ! 姐さんらが必死ンなって回収してるってのに!」

「スータリ。喚く暇があったら、腕を磨いてほしいんだけどね」

「そんな! 俺らはこれでも――」

「ボクには判別できないよ」


 言いつつ真央は手でスータリを制し、振り返った。


「森村くん。ざっとここで作っている靴をみて、どう思う?」


 巧は慌てて首を振った。職人たちも手を止めている。みな、お手並み拝見と言わんばかりに、ふんぞり返っていた。


「ちょ、ちょっと見せてもらいますね」


 冷や汗を流しつつ、巧はまずツールボックスに目をつけた。職人ごとに道具が分けられているし、それぞれの道具に工夫もされている。使い込まれて打面が丸くなりつつある木槌やポンチには歴史も感じる。革切り包丁の刃もよく研がれ、完璧だ。


 ああ、いいなぁ。

 と巧は我知らず頬を緩めていた。革のつり込みに使うワニ――ペンチ状の工具――も、祖父が使っていたものと同じ製品らしい。まったく別の時間、別の場所で働いている職人が、まったく同じ道具を使っているのだ。その事実だけでも、魔女の家の職人たちもまた一流であると示してくれている。


 ――はずだったのだが。

 巧は靴の木型を見て、眉根を寄せた。ひとつ手に取る。やはり知らない木材で作られている。動物の骨のような木型もある。それ自体は大きな問題ではない。しかし、


「ここ、履く人に合わせて作ってないんですね」


 その一点だけが、とても残念だった。

 靴の制作に木型を使うのは、基本的に、同じデザインの靴を大量生産するためである。また工程をミシンが短縮した現代において、手縫いのウリは、履く人に合わせた成形にこそある。


「しょうがねぇだろ。誰が履くのか分からねぇんだから。だいたい、お前の作った靴はどうなんだよ?」

 

 スータリは吐き捨てるようにそう言った。

 一緒にすんな、と巧は思った。


「――そもそもの条件が違うだろ。俺が最初に売った靴はたしかに既成靴だよ。爺ちゃんの資料から真似して作ったもんだし。でも、それから来た客は、みんな図面も材料も持ってきてたんだ。木型も含めてだぞ?」

「偉そうに語ってンじゃねぇよ! テメェの立場ぁ、分かってんのか!?」


 スータリの今にも殴り掛かってきそう恫喝にも、巧は肩を竦めただけだった。

 喧嘩という非文明的な行為は嫌いだ。子供の頃からそうなる前に距離を置いてきたから、暴力性には躰が強張る。だがしかし――、


「うるせぇよ! 怒鳴んな! そんなんだから中身のねぇラインになんだよ!」


 靴づくりに関してだけは、たとえ死んでも、譲るつもりはない。

 スータリの前にあった靴を取り上げる。見ればわかる革の微妙なたわみ。ズブの素人なら騙せるだろう。

 しかし今日までの十七年の内、八割を靴に捧げた彼の目は誤魔化せない。


「作ってる数が少なすぎんだよ! 革なんざなんでもいいだろ! 数作れよ!」

「ンだとテメェ!」


 叫んだスータリが革包丁に手をかけたところで、


「スータリ!」


 真央が名前を強く呼び、止めた。他の職人も苦笑いである。


「ボクはキミと喧嘩させるために森村くんを連れてきたんじゃないんだ。ボクらの工房を自慢するつもりだったんだよ。でも、これで台無しだ」

「チャッカ姐さん!」


 スータリは弾かれたように振り向き、両手を膝に当てて頭を下げた。


「すんませンっした!」

「ヤクザかよ……」


 その古ぼけた映画じみた光景に、巧の口から暴言がこぼれる。

 即座に再燃しかけた喧嘩は、真央と他の職人によって抑え込まれた。

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