「ああ」とか言いつつ実はエロい妄想してるのやめなさい

桂 守秋

第1話 えっちなビデオと鯛焼きと三角関係

 三戸内人さんのへうちひとは迷っていた。これは究極の選択だ。右手と左手のジャケットを何度も見比べる。右手のジャケットには両手にポンポンを持った女性が全裸でポーズをとっている。タイトルは「専属チアガールのえっちな応援」。左手のジャケットには衣服のはだけた優しそうな顔の女性があひる座りをしている。タイトルは「おっとり美女の痴態全部見せます」。両者を見比べる眼は真剣そのものだ。どちらを、どちらを買うのか。

「ああ……」

 神を呪うように力なく呟く。しかし、そこに天啓。目に留まった文字。思わずケースを棚から取り出す。そのジャケットには二人の美少女があられもない姿で並んでおり、タイトルは「きもちよさ2倍 双子でえっちなご奉仕」。姉妹丼、そういうのもあるのか。

「ああ……」

 しかし、天は彼を見放した。二択が三択に増えてしまったのだ。彼は三枚に増えたケースを見比べながらまた溜息をいたのであった。


 ビデオ屋を出た内人、その手には何もない。結局買わずに出てきてしまった。しかし、頭の中では先程の選択肢がぐるぐると回っている。その時、不意に声をかけられた。

「ミト!」

 咄嗟とっさに振り返って返事をする。

「ああ」

 内人に声をかけたとびきりの美少女はその大きな瞳で内人を見つめると、呆れたように言った。

「『ああ』とか言いつつ実はエロい妄想してるのやめなさい!」


 三戸内人は高校生である。しかしその長身から、制服さえ着ていなければ、大人と間違われることも少なくない。だからこそあんな場所にいたわけで。ちなみに彼は言葉には出さないがすけべである。むっつりすけべだ。

 一方、内人に声をかけた美少女、彼女は伊地知唯依いちじゆいという。腰まで届く長い黒髪を揺らしながら振り返り、呆れたように両手を上げて言う。

「あーあ、ミトはどうしてそんなにえっちな子になっちゃったのかなぁ。ちっちゃい頃はあんなにかわいかったのに」

 やれやれと溜息をくようだ。それに対して内人は抗議する。

「ああ」

「はいはい。まあせっかく会ったんだし一緒に帰ろうよ」

 内人に向き直った唯依は、一転、仔猫のような笑顔でそう問うた。

「ああ」

 内人もそれに答えて二人は歩き出す。二人の家は隣どうしであった。途中で思い出したように唯依が言う。

「あっ、たいやき食べたい。いつものとこによってもいい?」

「ああ」

「あはっ、やったね。じゃあいこういこう」

 唯依が内人の手をとり引っ張っていく。唯依の行きつけの鯛焼き屋、みっどないと、へと歩を進めていく。その途中で、首の後ろで束ねられた、腰まで届く黒髪が揺れているのを見た。唯依はそちらに呼び掛ける。

咲良さら!」

 その声に前を歩いていた黒髪が振り返る。その容姿は唯依と瓜二つであった。にっこりした笑顔で答える。

「唯依ちゃん」

「咲良も今帰り? 遅くまで何してたの?」

 唯依が不思議そうに訊く。伊地知咲良いちじさらは笑顔のままゆったりと答える。

「料理部の友達と、お買い物して、お話してたら、こんな時間に……」

 そうしてそのまま爆弾を投げた。

「ミトくんと唯依ちゃんはデート?」

 それに対して唯依はやれやれと首を振る。

「ちがうちがう。えっちなビデオ屋さんから出てきたミトを捕まえただけ」

「えっちな? 二人でえっちな? お姉ちゃんはまだ許してませんよ」

「だからちがうって! わざとやってるでしょ! あとお姉ちゃんぶらないで!」

 唯依がきゃんきゃんと吠える。咲良が悪戯いたずらっ子のように舌を出した。

「ごめんね、唯依ちゃん。ちょっとからかいたくなって……」

 言ってふふっと笑う。唯依はまだふくれていたがそのまま言う。

「咲良もたいやき食べよ?」

「うん。ちょっとおなかすいちゃったし、そうしようかな」

「じゃ、いこ」

 そう言って唯依は笑った。彼女は鯛焼きが好きだ。双子の姉、咲良のことが大好きだ。そして、内人のことがとても好きだ。でもその想いは言葉にはしていない。

「じゃあ、ご一緒しますね」

 咲良にとって双子の妹、唯依は大切だ。そして、内人のこともとても大切だ。二人とも大切だからこそ、彼女もそれを言葉にできない。

「両手に花で嬉しいでしょ? ミト」

「ああ」

 内人も本心を喋らない。かくしてこの面倒臭い三角関係は、目下継続中なのだ。内人がどう思っているのか、本当のところは彼にしかわからない。


「たいやきみっつ」

 鯛焼き屋のスタンドについた唯依が元気よく言う。

「はいよ」

 鯛焼き屋のお姉さんがいつものように紙袋を渡してくれる。唯依はにこにことそれを受け取った。それからしばしの間。唯依が不思議そうに口を開く。

「あれ? 咲良とミトは買わないの?」

 また一瞬の間、

「え? あ、唯依ちゃん一人でそれ全部食べるの?」

「うん」

「そっかぁ……。ミトくんはどうします?」

「ああ」

「そうですか。じゃあ私はクリームを一つ」

「はいよ」

 咲良にも紙袋が渡される。中にはあつあつの鯛焼きだ。

「へも」

 鯛焼きをかじりながら唯依がく。

「よくわはるよね。ミトの言ってること」

 確かに先刻さっきの会話で、会話と呼べるのかも怪しいが、咲良は内人の「ああ」に込められた意図を読みとった。ちなみにそれは、俺は甘いものはあんまりいらない、である。唯依も内人とのつきあいは長いが、というか咲良と同じだが、先刻さっきのような細かい意味までは読みとれない。せいぜい、肯定なのか否定なのか、喜んでいるのか怒っているのか、といった程度である。その部分で唯依は咲良に知らず嫉妬していた。

「なんとなくわかるのよ」

 ほらこの調子だ。唯依はうめきたくなったが、鯛焼きとともにそれを呑み込む。代わりに意地悪をしてみる。

「ねえミト、咲良のひみつ、知りたい?」

「ああ」

「え、そんな……。恥ずかしい。唯依ちゃんもミトくんもやめてよぅ……」

 今のはどんなやりとりだったのだろう。唯依には内人がただ肯定しただけのように聞こえたが……。

「ああ」

「もう! 知らない!」

 内人が追い打ちをかけて、今度は咲良がふくれてしまった。その様子を見て、唯依はおかしくなるのと同時に寂しくもなった。この二人は自分の立ち入れない領域にいる。でもわたしだって想いは負けていないと内人に問いかける。

「じゃあ、わたしのひみつ、きたい?」

「ああ……?」

「ちょっと! なんで疑問形なのよ?」

「秘密なんてあるのかって訊いているのよ」

「あるわよ!」

 がるると唯依が吠える。そこに思わぬ攻撃が入った。

「秘密ってクマちゃん抱いて寝てること?」

 咲良だ。単純に彼女は気になって訊いてしまった。

「それとも未だに人参が食べられなくて、私のお皿にけること?」

 心底不思議そうに続ける。

「それとも……」

「ちょっと! ストップ! ストップ!」

 致命的な秘密を言われる前に唯依は咲良の口を塞ぐ。

「もがもが……」

「咲良! 怒るよ?」

「ごめんなさい」

 二人のやりとりを内人はやれやれと見ていた。


 内人は自室のベッドに転がっていた。ぼんやりと天井を眺めながら考えているのは、あの二択、いや三択のことだ。目を瞑る。唯依が現れた、右手にトランペットを持っている以外は一糸纏わぬ姿だ、見たことはないが。手で見えないように隠している。そして恥ずかしそうに言うのだ。

「ミト、応援してあげる」

 震える手でトランペットを構える。両手が塞がったせいで露わになる。顔を真っ赤にしながらも唯依は真っ直ぐにこちらを見てくるのだ。

「ああ!」

 内人は悶絶した。だが、すぐに別の声がしてそちらを向くのだ。そこには咲良がエプロンだけをつけた姿でいる。彼女が身じろぎするとエプロンにしわがより、中身が零れそうになる。

「私の恥ずかしいところ見てください」

 そう言ってするすると後ろの結び目をほどくのだ。

「ああ!」

 内人は悶絶した。そんな彼の前に二人が並んで現れる。二人はお互いに指を絡ませ、抱き合うようにしながらこちらを見てくるのだ。

「私たち二人いっしょにもらってくれますか?」

「ああ!」

 三度内人は悶絶した。


 唯依は自室のベッドに転がっていた。ぼんやりと天井を見ている。思い出されるのは今日のことだ。唯依は咲良が好きだ。だから咲良には幸せになってもらいたい。今日のように阿吽あうんの呼吸でいられるような人と一緒にいてほしかった。でも、唯依も内人が好きなのだ。どうしようもなく好きだ。咲良には幸せになってもらいたいが、自分も幸せになりたかった。内人と幸せになりたかった。咲良に負けたくない。それは諦められない恋心によるものだったし、同時に彼女のプライドでもあった。相反する二つの思考を抱えて唯依は溜め息をく。それは、どうしようもない現実への不満でもあったし、こんなことを考えてしまう自分への自己嫌悪でもあった。うつ伏せになる。枕に顔を埋めてみるがこの気持ちは楽になりそうになかった。


 咲良は自室のベッドに転がっていた。目を瞑っている。思い返すのは今日のことだ。失敗した。ダメだなぁ私、聞こえない声で呟く。咲良は唯依が大切だ。唯依は内人が好きだ。そして、内人も唯依が好きだ。だから咲良は身を引こうと決めた。二人を応援すると決めたのだ。しかし、今日、自分のせいで二人は仲良くできなかった。私が余計なことを言ったから、私がミトくんと仲良くしたから。彼女もまた大きな溜息をいた。そうしても、自身を責める気持ちは膨れ上がるばかりだ。また聞こえない声で呟く。ごめんね、唯依ちゃん。

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