第6話 篠田ちゃん

「初めまして、篠田ちゃんを担当している岩井千穂です」


 NICUの入口で伊坂と中沢を出迎えた千穂が、丁寧に挨拶した。


 随分若いな、と伊坂は思った。


 千穂の制服は、半袖にズボンだった。色はピンク。キャラもののペンが何本か、胸ポケットに入っている。深夜だというのに化粧をしっかりしていて、特に目は力が入っていた。


 千穂の挨拶が済むと中沢は、


「じゃあ、僕は医局に戻るから。面会が終わったら呼んで」


 と言って、ドアのところで二人を見送った。



 蛍光灯に照らされた無機質な通路。伊坂の少し前を歩きながら、千穂は説明した。


「篠田ちゃんは熟睡中です。さっきミルクの時間が終わって」


 千穂が通路の突き当りのドアを開けると、そこには保育器が整然と並んでいるのが見えた。


「篠田ちゃんはあそこですよ」


 千穂が、入口から三つ目の保育器に伊坂を案内した。


 伊坂がまず目を引かれたのは名札だった。


 「篠田理世ベビー様」と書かれたピンクの紙は、ハートや星などの、様々なシールで飾り立ててあった。周りを見ると、どの保育器も同じだ。深刻な状態の子どもばかりだろうに、無理に明るくしている感じがして、伊坂は違和感を覚えた。


  二人が娘の保育器の前まで来ると、


「篠田ちゃん、パパ来たよー」


 そう言いながら、千穂はそっと、伊坂の背中に手を添えた。その仕方がとても自然だったので、伊坂はつい一歩踏み出して、保育器に近づいた。そして千穂に促されるままに眠っている娘を覗いた。


「かわいいでしょう?」


 伊坂の隣で千穂が言った。


「パパ似だと思います」


 ――どこが自分に似ているというのだろうか。


 うつ伏せで眠っている娘が身に着けているのは大きすぎるオムツだけ。体は小さくて皺だらけでまだ胎児そのもの。鼻や口、体に色々なチューブやパットが付けてあって、ただひたすらに痛々しい。


「お食事――母乳ですけど――は三時間毎で、お母さんにもその間隔で絞ってもらう必要があるんです。今のところ何とかやれてますけど、退院後にどうなるか心配です」


 千穂は棚に置いてある箱から医療用手袋を取りだして手にはめると、保育器側面の窓を二つ空けて、両手を入れた。そして丸まっている篠田ちゃんの頭とお尻にそっと手を当てた。


「こうすると、赤ちゃんは安心して元気が出るんです。でも篠田ちゃんのママは、一度も触ってくれていません」


 理世がさっき言っていた「頭とお尻」はこれか。


「三時間毎っていうのは、夜中もですか? 子供を産んだばかりなのに、満足に睡眠もとらせないんですか?」


 伊坂の問いに、千穂は笑った。


「そうですよ。だって、子どもを産むってそういうことですから」


 その言い方は伊坂を苛立たせた。仕事で疲れていた上に長距離の移動、病院に駆けつけてみれば理世はひどい態度で、今度は若い看護師が知ったふうな口をきく。伊坂にしては珍しく、きつい言葉が口をついた。


「じゃあ看護師さんは――岩井さんは、子供を産んだことがあるんですね?」


(今の嫌味?)


 千穂は驚いた。いい年をした知的な風貌のこの父親が、こんなことを言うなんて。自分はまだ二十四歳だ。とても子供がいるようには見えないはずだ。


 その時、篠田ちゃんが付けているアラームが鳴った。


「あーいけない、篠田ちゃん、パパ意地悪でびっくりしたねー」


 さりげなく嫌味を返しながら、千穂は篠田ちゃんの足の裏をくすぐった。すぐにアラームは止まった。しかし千穂が伊坂をふり返ると、その表情はこわばっていた。


(驚いたんだな)


 伊坂の動揺を察して、千穂は説明した。


「まだ呼吸が不安定で、たまに息をするのを忘れてしまうんです。そうするとアラームが鳴って、足の裏をくすぐってあげると、また思い出します」


 子どものケアだけでなく、親を安心させるのもNICUにいる看護師の大切な仕事だ。篠田ちゃんのパパは冷たそうで、さっきは嫌味まで言われた。でも優しくしなくては。


 篠田ちゃんが帰るところは、パパとママのいるお家だ。良いパパとママになってもらわなくては困る。


  

 伊坂はもう一度中沢に会って話を聞き、病院を出たのは午前二時を過ぎていた。この三ヶ月、多忙すぎて理世に会っていなかったとはいえ、こうなる予兆はあったはずだ。彼女の変化に全く気付けずにいた自分が、ひどく間抜けに思えた。


 病院前に停車していたタクシーに乗り、自宅の場所を告げる。シートに体を預けて目を閉じる。


 八か月といえば、そろそろ産休に入る頃だったはずだ。

 会社にはどう説明していたのだろう。

 自分に隠し通して産んで、どうするつもりだったのか。


 ――ああそうか、一人で育てる気だったんだな。自分は理世に信頼されていないのだ。


 強烈なダメ出しを食らった気分だった。

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