第3話 主治医・中沢

 その頃「篠田ちゃんのパパ」は――伊坂和哉なのだったが――NICUの面談室にいた。


 F総合病院に着いた時には午前零時を回っており、面会時間はとうに過ぎて入口は閉まっていた。伊坂は守衛室に行き、院内に入るために「入院中の妻が取り乱して電話をかけてきた」とか「入院中の子どもが重体らしい」など、知っている範囲の事実を脚色して伝えた。そして守衛は、NICUに連絡をした。


 その日は篠田ちゃんの主治医が当直で、病院側が母親である理世の扱いに困っていたこともあり、深夜の面談となった。

 主治医の中沢は三十五歳、短く切りそろえた髪と朴訥とした話し方が、誠実な人柄を思わせた。


「失礼ですが、篠田さんとご結婚はされていませんよね?」


 中沢が伊坂に確認した。


「ええ。していません。子どもが生まれたというのもさっき突然電話で知って。妊娠していたことすら……」


 伊坂は黙った。

  

 そういうことか、と中沢は思った。


 篠田ちゃんの母親は妊娠を隠していたのか。それが突然早産してしまい、後遺症の可能性もあるとなれば、気が動転するのも無理はない。


 テーブルを挟んで座っている篠田ちゃんの父親は、際立った容姿をしている。身なりもいい。さぞモテるだろう。結婚を渋るこの男に対して篠田ちゃんの母親が強引な手段に出た、というところだろうか――下世話な勘繰りはさておき、当面の問題を共有しなくては。


 中沢は伊坂に、篠田ちゃんの状況について一通り説明した。伊坂は、表向きは特に動揺することもなく、落ち着いて聞いていた。中沢が続ける。


「問題なのはですね――母親の理世さんが、出産後、一度しか娘さんに会いに来ていないことです」


「え?」


 それまで伏し目がちだった伊坂が視線を上げた。初めて、伊坂の表情に戸惑いが見て取れた。


「自分のしてしまったことへの罪悪感からでしょうか、娘さんから心をそらしています。理世さんは間もなく退院予定です。このままだと退院後、篠田ちゃんの――僕たちは娘さんをそう呼んでいるのですが――面会に来ないかもしれない。そうなると一番の問題は、篠田ちゃんに母乳を与えられないことです。未熟児の成長にとって、母乳はとても大切なんです。それに、時期が来れば篠田ちゃんは退院する。理世さんがちゃんと育てることができるのかも、とても気がかりです」


「……意外です。彼女がそういう子供じみた態度をとっているとは」


 まさか、という表情で伊坂は言った。

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