円満の太刀

会心の威勢で応じたは良いが、いまだ機は熟さず、剣豪の本心は気が気でない。


一方で、姫の心身に焦りは無く、まるでなよやかな花木など取り持つようにして、鉾をやんわりと構えている。


これはこれで、警戒の印か。


かの剣豪は、刀法の極意を奮発すると宣言した。


それが如何いかなる術理であるのか定かでない以上、無闇に打ち込むのはまずい。


勝つため、生き残るためには手段を選ばぬ彼のことだ。 どのような悪法を用いるか、まったく知れたものではない。


「……姫さま」


「大丈夫」


何より、先頃から妙な殺気が、周囲にチクチクとただよい始めている。


気配の発端を知ろうと意識を澄ますも、ただただ背筋に悪寒おかんが伝うのみで、判然としない。


また、正体を特定するにも至らない。


なにか、良からぬものがこの場に現れ出ようとしている。


「………………」


古流の奥義には、特定の型を持たないものが多い。


こういった構えから、こういった術を用いよと限定するのではなく、あくまで心の持ち方や精神性を謳い、これを流儀の奥伝として、後代に授けてゆくのである。


例えば、“剣を抜いて敵と相対あいたいした場合は、ひとえに大海を飲み干す心持ちで備えよ”


例えば、“天地人のことわりを好機と見なし、勝負の推移によくよく着眼すべし”


あるいは、“剣を抜かぬのが意地。 常日頃から他人に無礼を働かず、りとて、常に差料さしりょうの刃は鋭く保っておくこと”等々。


くして、が流儀、二天一流の極意は“円満”


自力では不足と見れば、迷わず他力にる。


敵の兵具ひょうぐに合わせて、己の得物を自在に持ち換える。


時には文筆を駆使し、正義の在処ありか気疎きょうとないまでに主張する。


これはひとえに、勝負の効率を徹底的に円滑とする目的だ。


平たく言えば、“勝つため・生き延びるためには、角を立てずあらゆる物皆を活用すべし”という事になる。


「ぬ!?」


姫の身体にまとわりつく棘のある冷気が、にわかに逆風をこうむり、つむじのように吹き上がった。


その狭間はざまを駆けた長剣が、危うく彼女の鼻先をぎり、かと思うと、息もかせぬに、元の軌道へ切り返した。


「ち……っ!」


数束のおくれ毛を犠牲に、これをすんでに避けた姫は、鋭意して鉾を構え、意気を整えた。


いつの間のことか、目先には、丈の高い一刀をたずさえた老剣士の姿がある。


この人物というのが、たたずまいからして尋常のものではない。


目元には幾許いくばくかのしわを含んでいるが、眼光はいまだ衰えず、鷹のように此方こちらうかがっている。


何者かと考えたが、すぐに合点がいった。


「燕返し……。 佐々木の巌流がんりゅうか」


「左様。 左様であろうな」


まったく無法もはなはだしい。


かの剣豪は苦しまぎれに、己がかつて殺めた亡者を、冥府の奥底から引っ張ってきたのだ。

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