第2話叫ぶ

昔読んだ絵本。タイトルどころか内容すら覚えていない絵本。でも、一つだけ覚えていることがある。




穴を掘って、その中に本音を吐き出す。




まだ幼かった私には衝撃的で、その時点で溜め込みがちな性格だったからすぐに実践した。子供ながらに大きな穴を掘って、誰にも見つからないように気を配って、思い切り言葉を流し込んでいた。確か、最初は嫌いになった親友の愚痴だったと思う。

これが妙に気持ちよくて、まだ一桁の歳の私はハマった。二十四になる今年まで途切れることなく、月に一回穴を掘っては撒き散らした。飽きもせずだ。


「哲也の大馬鹿野郎!! 私の誕生日忘れてんじゃねえ!!」


山の手前に建てられた寂れた神社の裏側で、掘っては埋めてを繰り返した焦茶色の穴に顔を突っ込む。大人になった私はこの程度で声が抑えられないことなんて理解していたけど、どうせ誰も来ないと高を括っていた。


どうしようもないのだ。これを我慢してしまうと喉元が痒くなる。ジャンキーに近い依存力からはもう逃げられない。


「私を受け入れられないなら付き合うとか言うんじゃねぇよ!!」


頭がクラクラするほど声を出し続けていると、軽いトリップ状態になる。

もう少しだ。もう少しで一線を越える。


「この……っ!!」

「……なに、してるんですか?」




だからだ、後ろから声を掛けられるまで人がいるなんて気付かなかった。





「あ……あの」

「………………」


心臓が飛び出しそうになるほどの巨大な鼓動を一つ。すぐさま振り返りそいつを確認した。

地元高校の制服を着た男の子。背も声も普通で印象に残らない奴だった。深緑の淵の眼鏡が見るからに陰キャラだ。

そいつは狼狽えていた。馬鹿なことをしているのは私なのに、まるで隠しているエロ本が親にでも見つかったように目が泳いでいる。


見つかったのが知り合いじゃない、大人じゃない安心感と、あと一歩で気持ちよくなれたところの寸止め。絶頂に近いそれを止められた私はイライラとムラムラでぐちゃぐちゃだった。

次に喋り出す頃には、もう開き直っていた。


「……何かな? お姉さんに何か用?」

「いえ……叫び声が聞こえたので、気になって……」

「そう、ごめんね。何でもないからあっち行ってくれるかな」

「えぁ、うぅ……」


完全拒否を示した私に、そいつの顔は徐々に恐怖を感じている。怯えた瞳はしっとり潤んで、不自然に光を吸収していた。

なのに、全然逃げていかない。


「あの、話……聞きましょうか?」

「…………」


誰も来ないような潰れかけの神社で、スーツのまま地べたに這いつくばって穴に向かって叫ぶ女。そんなヤバい私に追い払われても引かない。そいつもきっとどこかぶっ壊れてるのだと、正常な判断を失った私は決めつけてしまった。

まるで迷う余地もなく、私の足はごく自然にそいつのもとへ踏み出された。


「あ……」


涙を溜め込んだ不安そうな顔。小さな呻き声に劣情を抑えきれなくなった。

息が触れ合う距離で覗き込んで、そいつの髪を撫でる。


「ぅん……!!」


そして、無理矢理そいつの唇を奪った。


軽く引き剥がそうと藻掻くのを抑えつけて、舌をねじ込んだ。思春期の男の子だ。それだけで脳が溶けて動けなくなるはず。

相手の押し返す動きを、柔らかくかわして絡み付ける。後頭部を引き寄せて腰をピッタリとくっつける。


例えようのないほど、興奮した。


そいつの動きがだんだん鈍ってくるのがわかると、私もこめかみのあたりが痺れ始めてきた。

身体が無意識にビクッと震えて、堪らなく気持ちよくなる。


(あぁ、気持ちいい……もう許してあげよう)


ドロドロに混ざりあった舌を引き抜くと、そいつの顔がハッキリと見えた。気持ちよさに惚けているのかと思ったけど、どちらかというと悲しそうに涙を流していた。


「気持ちよくなかった?」

「………………」


私の手から離れたそいつは、泣きながら座り込んでしまった。その姿を見ても、股間の膨らみに目が行ってしまう私はまだ壊れているんだろうな。

そいつがどうなろうと、特に興味はない。私はもうスッキリしたんだ。早く帰ってラーメンでも食べよう。


「変な人に、声をかけるもんじゃないのよ」


あまりにも最低な発言を残す自分に酔いしれながら、私はその場を去ろうとした。


「ぅぐ……次は、話……聞きますから……」


だから、そいつの言葉に無性にイラッとした。私を受け入れるつもりなのか、子供のくせに軽い言葉吐きやがって。私のシナリオは嫌われて終わりなんだ。なんでわからないかなぁ。

でも、言い返すほど元気でもない。仕事以外で面倒くさいことに首を突っ込みたくない。とにかくその場に居たくなかった。




そいつを放って立ち去った私は、罪悪感と背徳感でまた欲情していた。商店街をふらふらと進む足に力が入らず、一晩中浮気セックスをした後のような汚い満足感で満たされていた。


(いつから、私はダメになったのだろう)


インスタントのラーメンとお惣菜を手にぶら下げた私は、空の鏡で自分を見つめた。

昔はもっとお淑やかだったと思う。好きな人に告白も出来ず、目が合うだけでドキドキして、友達に相談してはきゃっきゃと盛り上がっていた。穴に叫ぶ言葉も、好きな人に想いをぶつけるものだったのに。

それが今はどうだ。ダメ男に振り回されるわ、未成年の知らない男の子にヤバいセクハラをするわ、あまつさえそれで絶頂するわ。完全にバグっている。






まぁ、嫌いじゃないけど。







その日、家に帰ってから

好きでもない彼氏を押し倒した。

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