第四話:久しぶりの体育館

 その日はあっという間にやって来た。インターハイへの道のりとなる、高校総体の神奈川県予選の日を迎えた。

 佑太は未央に指示された通り、試合会場となる市民体育館の最寄りの駅に降り立った。続いて章人も電車を降りる。

「ここか、意外とすぐだったな。もうちょっと寝たかったあ」

 章人がうーんと腕を伸ばして欠伸をしながら言う。

「こっからどれくらいなんだ?」

 章人が佑太に尋ねる。

「そんなに遠くないはずだよ」

 駅からその体育館までは、歩いて十分程の距離だと未央から聞いていた。改札を出ると佑太はスマホで地図を表示し、体育館までの道のりを調べて先頭を歩み始めた。

「それにしても慶太と光太郎、うけるな」

「ああ、ほんと笑ったよ」

 慶太と光太郎は先日の中間テストで赤点を取っていた。明成高校では赤点を取った生徒には漏れなく補修授業が組まれることになっている。四人で今日の試合を見に来ようと言っていたにも関わらず、その補修が重なってしまい二人は置いてけぼりをくらうこととなったのだ。

 佑太と章人は横並びになって道を進む。道中にはこれと言った建物もなく、長閑な景色が続いていた。道端に生えた若葉が青々とした色を付け、陽の光を眩く跳ね返している。「まず迷うことはないから安心して」と未央に言われていたが、その言葉通りすぐにその体育館は視界に捉えることができるようになった。

 体育館の敷地内に到着し駐車場を見ると、何台も大型バスが停車していた。今日の出場校の生徒たちを運んできたのだろう。佑太は中学時代の大会を思い出し、少し懐かしい気持ちになっていた。会場に到着したバスを降り、現地の空気に触れるとき、いつも全身に力がみなぎってくるものだった。この日の為に自分たちは必死に努力して来たのだと、天からの啓示を受けたような気にさえなる。佑太はその瞬間がたまらなく好きだった。

「思ったより立派な建物だな」

「そうだね。何人くらい入るんだろう」

 エントランスのガラス戸を押し開け、体育館の中へと入った。そこには、様々な色やデザインのジャージに身を包んだバスケ部員たちの姿があった。高校ともなると、各校のジャージにもかなりオリジナリティーが出てくるようだ。佑太はさりげなくそのバスケ部員たちに目をやりつつ、エントランスフロアを抜けて観客席への階段へと進んだ。

 階段を上がり、扉を開けた。すると、懐かしいものたちが一斉に自分を出迎えてくれた。

 見慣れたバスケットボールコート、その中で弧を描いてゴールに向かって飛んで行くボール。そして、シューズから発されるキュッ、キュッという体育館の乾いた音や、床の上をダムダムと弾むボールの音。目も耳も、久しぶりの刺激に驚きつつも、どこか喜んでいるように思えた。最前列の座席に腰を下ろし、コートの中を眺めながら、佑太は小学生の頃に初めてバスケットボールに触った日のことを思い出していた。


 当時佑太はまだ九歳だった。渡されたボールを見よう見まねで体育館の床についてみるが、ボールはこちらの思いなど全く汲み取ってはくれずに自由に暴れ回った。当時の佑太にはその橙色の生き物を意のままに制御することは到底不可能だった。だが、見事にそれをやってのける男が佑太のすぐ側にいた。

「はは、こうやるんだよ」

 彼は見事に両手を駆使し、床にボールを突いて自在に操ってみせた。ダム、ダム、ダムとボールは規則的な音を上げ、毎回行儀良く彼の手の中にすっぽりと収まって行く。その一連の動きを「ドリブル」と呼ぶということを佑太はもう少し後になって知ったが、佑太に華麗なドリブルを披露した彼こそが、景山雅史。マサ兄だった。

「見てろ」

 そう言うと雅史はドリブルをしながら前に走り始めた。視線の先にあるのはバスケットゴール。右斜め四十五度からゴールに向かって切り込んだ雅史は、軽やかにジャンプをして右手でボールを頭上に高く掲げた。そのまま雅史の手からふわりと放り出されたボールは、バックボードに当たり綺麗にゴールネットの中に吸い込まれていった。

「すっげえ……」

 目の前で見せられた流麗な一シーンに、佑太は思わず声を上げていた。佑太は当時バスケのルールは文字通り何も分からなかったが、雅史の見せた動きが正しく、かつ非常に洗練されたものであることは一目で分かった。

 バスケって、めちゃくちゃかっこいい。その心象が佑太の心に強く刻み込まれ、それはその後も色褪せることなく佑太を駆り立ててくれることになったのだった。


 意外と、鮮明に覚えてるもんだな。佑太は回想後にそう思った。

「おーい」

 感傷的な気分に浸っていた佑太の耳に、眼下のコート内から聞き覚えのある声が聞こえて来た。声のする方に目を向けると、ジャージ姿の未央がこちらに向かって手を振っていた。

「お、鈴村じゃん」

 章人が未央に手を振り返す。佑太も軽く手を上げて応えると、未央は観客席の真下に走って来た。佑太と章人も席から立ち上がり、手すりから身を乗り出して未央を見下ろした。

「ほんとに来てくれたんだ」

「だって、約束したじゃん」

「嬉しいな。でも、今日は四人じゃないんだね」

「慶太と光太郎、赤点で補修受けさせられてんだよ」

 章人がニヤニヤと笑いながら言う。

「あ、そうだったんだ。それにしてもちょうど良いタイミングだったね。今ウォーミングアップが終わった所で、もうすぐ試合始まるよ」

「そっか。相手はどう?」

「みなと学園。まあ、格上の相手だね。でも頑張るから応援してて」

「うん」

「応援なら任せとけ」

「ありがと。じゃあ、ロッカールーム行ってくるね」

 未央はこちらに向かって手を振ると、そのままコート外に姿を消した。佑太と章人は再び観客席に腰を下ろした。

「いやあ、バスケのことは全然わかんないけど、楽しみだな」

「でも、みなと学園ってのは結構厳しいな」

「強いのか、そこ」

「うん、バスケ部は神奈川県では名門って言われてて有名だよ」

「へえ、名門ねえ。そりゃまた大変」

 

 待つこと数分、再び両チームの選手たちがコートに入場して来た。

 いよいよ始まるか……そう佑太が思ったとき、不意に自分たちの名前を呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。

「あれ、大石と仲本じゃん」

 振り返ると、客席の数段上にジャージ姿の葉月が立っていた。

「おっす」

 章人が葉月に声をかけた。佑太も控えめに手を上げて応じる。葉月はそのまま階段を降り、佑太の隣の席に腰を下ろした。

「あんた達に似てる人がいるな、と思って近くまで来てみたら、まさか本人たちだとはね」

「この前、鈴村に誘われたんだ」

「で、ついでに俺も誘われたってわけ。慶太と光太郎は補修受けてる」

 章人はケラケラと笑ってみせる。

「そっか」

 そう言うと隣の葉月は少しバツが悪そうな顔をした。

「あのさ大石、この前はごめんね。ひどいこと言っちゃったなって反省した」

「良いよ、横山が言ってたことは間違ってないし」

「優しいね、大石は。あんなこと言っちゃった後だったから、こうして体育館に大石がいて正直びっくりしたよ。未央、どんな魔法を使ったんだろうって思った」

「まあ、色々話はしたね。で、その後にちょうど今日の試合に誘われたんだ」

「ふうん」

 葉月はそれ以上その話を掘り下げることはしなかった。章人は何かしらの事情を推し量ったのか、珍しく会話に入り込むことなく口を閉ざして二人のやり取りをじっと眺めていた。

「未央も喜んでると思うよ、大石がこうやって観に来てくれて。そう言う私も、めちゃくちゃ嬉しいし」

「そうかなあ」

「そうだよ。……お、見て、いよいよ始まりそうだよ」

 コートに視線を戻すと、両校の先発メンバーがジャージを脱ぎユニフォーム姿となっていた。

「いよいよか。待ちくたびれたぜ」

 話題が切り替わったのを確認したのか、章人が調子を取り戻して陽気な声を上げる。

 さすがに高校の試合ともあって、選手の迫力は中学時代とはまるで違った。190センチはあろうかという選手がみなと学園には二人いた。一方の明成高校にも、周りから頭一つは優に抜けている大きな選手が列の先頭に立っていた。おそらくキャプテンなのだろう。

「うちに、でかい選手いるんだね」

「そう、あれがキャプテンの高山さん。センタープレイヤーだね。高山さん自身はサイズもスキルもあって、県内でも有数のセンターって言われてるよ」

「へえ、そんな良い選手がうちにいたんだ」

「二年前にうちが県大会決勝まで行った時も、一年生ながらセンターでレギュラーだったらしいしね。今日のみなと学園は名門で良い選手が多いけど、センターの所は互角以上に戦えると思う」

「なあなあ、センターって何だ?」

 章人の問いかけに、一つ席を隔てた葉月が応じた。

「一番ゴールに近いとこでプレイする選手ね。外れたシュートを拾ったりしなきゃいけないから、基本的に背が高い選手がそのポジションにつくよ」

「あー、いわゆるリバウンドか。体育の授業で習ったな」

「そうそう、リバウンド」

「他にはどんなポジションがあるんだ? 確か全部で五人だよなバスケって」

「そう、他に四つポジションがあるのね。ガードとフォワードに分かれてて、それぞれ二つずつポジションがあるんだけど、まずチームの司令塔的存在がポイントガード。視野が広くてパスがうまい選手が適任かな」

「司令塔なのにポイントって名前つくんだな」

「攻撃の起点になるってイメージね。逆に点をがんがん取る役が、シューティングガード。バスケの神様って呼ばれてるマイケル・ジョーダンもこのシューティングガードだよ」

「おお、ジョーダン! なるほど、点を取るポジションだからそりゃ目立ちやすいわけだ」

「残り二つが、スモールフォワードとパワーフォワード。スモールフォワードは、この五つのポジションの中でちょうど真ん中にくるイメージかな。何でも出来る万能型の選手が多いね。パワーフォワードは、センターの次にゴールに近いとこでプレイするよ。ここも背の高い人が務めるのが基本だね」

「これで五つか。サンキュー、何となくイメージ湧いたよ」

 コート上では先発陣がコートの中央に集まり、審判を挟んで両陣が相並んだ。そのまま高山とみなと学園のキャプテンが前に進み出て握手を交わした。握手を終えると、選手たちがぞろぞろと配置に付き始めた。高山はそのまま中央に残り、ジャンプボールに備える。

「さっきも言ったようにセンターでは互角以上に戦えるだろうけど、それ以外のポジションは結構厳しいな……特にガードの部分がね。司令塔とポイントゲッターがいないんだよねえ……」

「ガードが課題か……」

 佑太はぼそりと呟く。バスケは他のスポーツと比べて得点頻度が高いスポーツだ。スコアが100点を超えることも珍しくはない。そのため、もちろんディフェンスも非常に重要だが、そもそも得点がしっかり取れないチームでは勝ちようがない。特に強豪と渡り合う為には、一定水準以上のオフェンス力は必須だ。そして基本的にそのオフェンスの核を担うのが、ポイントガードとシューティングガードと呼ばれる、いわゆるガードのポジションだ。

 ガードが弱いとなると、厳しい試合になりそうだな。

 試合開始を前にして、佑太はそう試合の行く末を案じてしまっていた。


 バッ!

 コート中央のセンターサークルの中で、審判が真上に放ったボールをめがけて両チームのセンターがジャンプした。ティップオフ、試合開始だ。

 バチッ! 

 手で弾かれたボールはみなと学園の選手の手に収まった。みなと学園のオフェンスからスタートだ。ポイントガードがドリブルでボールを運ぶ。

 速い……!

 佑太は思った。しかもボールハンドリングも巧みだ。ディフェンスを次々とかわし、あっという間にインサイドに切り込んでいった。そのままゴールまで突き進むかと思われたが、ポイントガードは急にその場でストップし、両脚でコートを蹴って上にジャンプした。

 ストップ&シュートだ。俊敏な動きの後にシュートに持ち込むため体もブレやすく、通常のシュートよりも難易度が高い技だ。しかしそのポイントガードは綺麗に体幹を保ち、理想的なシュートフォームに移っている。

 あの人、かなり上手いな。

 佑太は即座にそのポイントガードの実力を察した。しかし、明成も黙ってはいない。高山がその身体からは想像出来ない俊敏な動きでそのポイントガードに飛びかかり、手を伸ばしてシュートをブロックしようとする。

「おおっ」

 高山の最高到達点の高さに会場から軽くどよめきが起こった。あの高さで手を伸ばされたらシュートには行けないだろう。佑太がそう思った次の瞬間、ポイントガードは空中で器用にボールを持った手を引っ込め、そのまま高山の身体の横から味方の選手にパスを通した。

「おおおっ!」

 先ほどよりも大きなどよめきと歓声が会場から上がった。パスを受けた選手はそのままガラ空きのゴールにいとも簡単にレイアップを決める。開始早々みなと学園は鮮やかに先制点を奪った。

「さすが……」

 隣の葉月が唸った。

「あのポイントガード、相当上手いね」

「伊達に県ナンバーワンポイントガードと呼ばれてはないからね」

「そうなの?」

「うん。みなと学園三年、御子柴みこしばりょう。ずば抜けたスピードとクイックネスでオフェンスを牽引する、超オフェンス型ポイントガードだよ。彼が勢いに乗ったら誰も止められない。御子柴さん以外にも、今年のみなと学園には良い選手が揃ってる。センターの畠山はたけやまさんとパワーフォワードの田ノたのうえさんは、両方190センチオーバーのビッグマンでツインタワーって呼ばれてるし。どっちも三年生だね」

「へえ……」

 中学時代の記憶を遡るが、葉月に紹介された選手達の記憶はさっぱりなかった。まあ同じ大会に出ていたとしても、当時の佑太はまだ一年生で大した余裕もなかったため、覚えていなくても仕方ないかもしれないが。

「シューティングガードの桑本くわもとさんも、二年生だけどかなり良いスコアラーだよ」

「……あの人はちょっと見覚えあるかも」

「そうなんだ。二年生で活躍してる選手や、スーパールーキーって呼ばれて早くも先発入りしてる一年生たちもいるから、大石の知ってる選手も色々見かけるかもね」

「そうかもね」

「あ、ボールとられたぞ……!」

 唐突な章人の言葉通り、コート上では明成のパスが厳しいチェックでカットされ、みなと学園ボールに切り替わった。再び御子柴がボールを持ち、フルスピードでコート上を駆け上がる。カウンター攻撃を食らう形になった明成は、ディフェンスに戻り切れず数的不利を強いられた。

「二対三……! 頑張って止めて!」

 葉月が隣で声を上げる。しかし御子柴は容赦なく明成陣営に切り込んでいく。ディフェンダーが一人かわされ、遂に一対三に。御子柴は左右を見渡し、どちらにでもパスが可能であることを確かめた。

 しかし最後の一人となった明成ディフェンダーはその状況にあっても冷静だった。御子柴の動きを落ち着いて見定め、御子柴がパスを出そうとした方向にぐっと踏み込んで手を出した。

 取った。

 明成サイドは誰もがそう思ったはずだが、その気持ちは見事に裏切られた。御子柴のパスモーションは完全にフェイクだった。パスを出す振りをして、御子柴はそのままもう一段ギアを上げて自分でゴールに切り込んだ。呆気に取られるディフェンダーを尻目に、御子柴は悠々とレイアップを決めた。再び二点がみなと学園のスコアボードに加えられた。

 

 その後もみなと学園は御子柴にオフェンスを牽引され、次々と得点を重ねていった。多彩な攻め手を思う存分に活かし、インサイド・アウトサイド満遍なく得点を重ねて行く。御子柴の振るうタクトに身を委ね、交響楽を奏でるようにみなと学園の選手たちはコート上で躍動した。そのままみなと学園優勢のまま時間が経過し前半が終わった。スコアは22対43と、明成はみなと学園にダブルスコアに近い大差を付けられる形となった。

「21点差かあ……」

 佑太は苦しげに呟いた。すかさず章人が率直な思いを口にする。

「これ、大丈夫なのか? まだ逆転の可能性あるのかよ?」

「うーん、厳しい展開ではあるよね」

「御子柴さんに良いようにやられちゃってるね。でも、あそこさえ抑えられれば状況は変わりそうなんだけどな……」

 隣の葉月も歯切れの悪い声で会話に加わる。

「あのスピードはなかなか厄介だね」

「でも、鈴村監督ならきっと何とか対策練ってくれるはずよ。ディフェンスの指導にかけては県内随一って言われてる名将だからね」


 果たしてその葉月の言葉通り、後半に入って明成は徐々に意地を見せ始めた。御子柴をチームディフェンスで周到にマークしてペースダウンさせることに成功し、やられっ放しの一方的な展開を拒んだ。

「いいぞ、ディフェンス効いて来てる!」

「うまく御子柴さん抑え始めたね。あそこを潰せればでかい」

「鈴村監督仕込みの明成伝統のチームディフェンスが機能して来てるわ。もともとうちは昔からずっとディフェンス力で勝ち上がるチームだからね」

 確かに統率の取れた明成のディフェンスは見事だった。前半で緊張も程よくほぐれたのだろう、選手たちの動きも格段に良くなっている。特に高山の強さと高さは明成にとっての大きな武器となっていた。リズムが乱れて外れることも増えてきたみなと学園のシュートのリバウンドを、片っ端からその太い腕でもぎ取っていた。190センチ以上あるみなと学園のインサイド陣さえも苦にしていない。

 しかし試合を見守る三人の顔は、再び徐々に曇っていった。

「点差、縮まらないね……」

「オフェンスがね……」

「もどかしいな、これ」

 明成は攻め手を欠いていた。ディフェンスでみなと学園をスローダウンさせることは出来たが、一方で自分たちも思うように得点を積み重ねられないでいた。相手を上回るペースで得点を加えられない以上、必然的に点差は縮まらない。一定の点差間隔を右往左往しながら、試合は残り時間を減らしていった。

 ああ、何であのフリーのシュートを外すんだ……

 コーナーにフリーの選手いるのに一人で無理に突っ込むなよ……

 佑太は試合を見ながらもどかしい気持ちを何度も感じていた。明成のオフェンスは中学を卒業したばかりの佑太から見ても物足りないものだった。

「あっ、やられた!」

 葉月が声を上げる。徹底マークにあいながらも、御子柴は要所で個人技で得点を奪っていた。個人の実力に裏付けされた自力の差が、徐々に点差となって現れて来た。明成はジリジリとみなと学園に再びリードの幅を広げられていった。明成にはもう打開策は残されていないようだった。


 ピーッ!

 コート内に審判のホイッスルが鳴り響いた。試合が終わった。

 45対76 。

 明成はみなと学園に完敗を喫した。


 試合後、観客席を立って出口に向かおうとした佑太に、後ろから「あの」と声がかけられた。佑太が後ろを振り向くと、Tシャツにチノパンというラフな出で立ちの少年が立っていた。見た目から、恐らく同年代くらいだろうということは窺い知れる。

「人違いだったら申し訳ないんすけど、もしかして大石佑太くん?」

「あ、そうですけど……何か?」

 急に自分の名前を出されて、思わず佑太は怪訝な表情を浮かべた。目の前のこの少年には全く見覚えがない。

「おー、ずっともしかしてって思ってたんだけどほんとだったんだ! 俺、東京の桜ヶ丘さくらがおか高校のバスケ部一年の須田すだ拓人たくと。今日は神奈川県総体の様子を見に来てるんだけど、去年の全中で見覚えのある顔がいるなって思ってたんだよ」

「全中……?」

「そう、大石くんがいた竹早中が準優勝しただろ? 俺も東京代表の本庄中の一員として出てたんだよ。あっさり一回戦で負けちゃったけどね。いやあしかし大石くんのプレイは凄かったな」

「どうだかね」

 佑太は答えにもならないような曖昧模糊とした返事を返す。いきなり見ず知らずの人間に話しかけられ、何を話して良いかも分からなかった。しかし目の前の須田はそんな佑太には構うことなく話し続ける。

「ここで観てたってことは、もしかして大石くん明成に行ったの? 何でまた明成に?」

「いや、色々あってね。今はバスケもやめてるから」

「まじ? それはびっくりだなあ……」

 その時、階段を登りきった章人が後ろに佑太が付いて来ていないことに気付き、下を見下ろして声を掛けて来た。

「おーい、どうした佑太? 知り合い?」

「いや、ちょっと話してただけ。今いくよ」

 そう言って佑太は須田との会話を打ち切ろうとした。

「ごめん、友達待ってるしもう行かなきゃ」

「あー悪い悪い。でもごめん、最後に一個だけ質問させて!」

 須田が胸の前で両手を併せて嘆願してきた。

「明成に溝口慶太っていない?」

「えっ?」

 思いもよらない名前が須田の口から飛び出し、佑太はぎょっと驚いた。

「溝口慶太。俺と同じ中学でバスケやってて一緒に全中にも出たんだけど、親父さんが転勤になるとかで、三年の秋に神奈川に引っ越しちゃったんだよな。で、確か明成高校に進学したって聞いたからてっきり今日出てくるもんかと思ってたんだけど」

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