第24話 変容

 ――リューナ、ホントはね……オレが…………


あのとき、アイキは何を言おうとしたんだろう。もうアイキの声は聞こえない。


 あたしはなんでこんな性格なんだろう。お父さんもお母さんも普通なのに、あたしは普通じゃない。あたしも普通がいい。普通の女の子みたいに好きな男の子の話をしたり、愚痴ったり、恋をして"幸せ"って言ってる方がずっと気楽だと思う。


 変な王子様と音楽家に出会ってから、あたしは常に二人に執着していた。女であることを捨てた訳じゃないけれど、恋愛に興味も無くなった。もっと運命的な、使命的なものに取り憑かれている気がする。


 でも、あたしの運命ってなんだろう……使命って何なんだろう。目的地を目指して進んでいる筈なのに、目的地が何処なのかもわからない。


 真っ白な空間にごろんと寝転がって目を閉じる。


 アイキの魔法を見ていた筈なのに、気がついたら、この何もない真っ白な空間にいた。どっちが上でどっちが下なのかもわからない。どこまでも限りなく続くこの空間に、時間の流れがあるのかどうかもわからない。


 立ち止まって時間だけが過ぎていくなら、死んでるのと同じだ。あたしの魂は無限でも、この体という魂の器は有限だ。一日一分一秒が惜しい。


 それなのに……ここから、どうやって帰ればいいんだろう。帰る方法がわからない。

 

 このままここで果てるのかもしれない。そんな不安が胸をよぎる。


 きっと、きっと何か帰る方法があるはず……。


 前なのか後ろなのかもわからないけれど、じっとしていられなくて立ち上がる。歩きだそうとした時……背後に人の気配を感じた。


「どこに行くのですか?」


 突然、声をかけられて振り返ると、見知らぬ男の人がいた。目が合うと、男の人はにっこりと微笑んだ。


「元いた場所に戻りたいの。でも帰る方法がわからない」


 男の人は微笑んだまま、あたしの胸元を指差す。ふと、自分の胸元を見ると黒い靄が花のように幾重にも内側から外側へと開いて散っていく。それがあまりにも気持ち悪くてゾッとする。


「何これ……これが、アイキが言っていた魔法……?」


 あたしは驚いて男の人へと視線を戻すと、男の人は手を降ろして頷いた。


「……それが貴女に掛けられた魔法。あとは、貴女がその魔法を手放せばいいのです。そうすれば、その古の魔法は完全に消える」

「手放す……って、どうやって?」


 男の人は優しく微笑む。


「アイキさんが羨ましいですか? 見目麗しく、実力も伴うあの方は本当に素敵ですよね」

「あ……アイキを知っているの?」

「もちろんです。アイキさんは僕の大切な仲間ですから」

「仲間……?」

「僕はビシュと云います。よろしくお願いしますね、リューナさん」

「あたしのことも知っているの? あなたは……?」


 ビシュと名乗る男の人は、質問には答えずにあたしの後方を指差した。恐る恐る振り返る。


「ひゃっ……またこいつ……?」


 あたしの後方にあの黒い魔物がいる。でも、翼をバタバタさせながらも、その場から動こうとはしない。襲いかかってくる様子もないので、視線をビシュに戻した。ビシュは、何もないこの空間を感じ入った様子で見渡している。


「ここは貴女の心の中です。貴女の心の中は真っ白なのですね。だから、様々な事象を自分の心の中に映し出し易い……つまり、感受性が豊かなのです」


 何が言いたいのかわからないけれど……なんとなくわかるような気もする。あたしは、他人の影響を受け易い。だからきっと、ルーセスに執着してしまった。アイキに嫉妬してしまった。


「目を閉じて、思い出してください。貴女の足元には大地があります。広い、広い大地です。そこは草原でしょうか……草も育たぬ荒野でしょうか?」


 何を言いたいのかわからないけれど……ビシュは微笑んだまま、あたしが答えるのを待っているようだ。言われたことを頭の中で反芻しながら、目を閉じて、思い浮かべてみる。


 広い大地……獣さんの背中に乗って駆け抜けた草原を思い出す。気持ちの良い風が吹いていて、風になったみたいだった。


「そうですね……では、地に足をついて、空を見上げてみてください。ああ、いい天気ですね……陽射しが強いので、水の冷たさが気持ちがいいです」


 頬に水が当たるのを感じてまぶたを開く。


 さっきまで真っ白で何も無かった空間には、どこまでも青い空が広がり、白い雲があちこちにふわふわと浮いている。男の人の言う通り、陽射しが強くて暑いけれど、パラパラと小雨が降っていて気持ちがいい。足元には柔らかな草が生い茂り、空と同じように果てしなく続いている。さぁっと風が吹き抜けて草が揺れると、雨の雫が陽射しにキラキラと煌めく。


「風に吹かれて、雲が流れていきますね……そうです、常に時間は流れていて、同じ時は巡らない。そして、同じように人も変わりゆくもの」


 ビシュは、またあたしの後ろを指さした。あたしが振り返ると、さっきと変わらず、黒い魔物が草原に座ったままじっとしている。


「その魔物は此処で、ずっとずっと長い間……背後からリューナさんを見つめていたのです。貴女もそれを知っていた。でももう……その魔物は解放してあげましょう」


 あたしは確かに、この魔物を知っていた。いつも悩み、苦しいときにはこの魔物の陰が、あたしの影を濃くしていた。


「この草原の景色も移り変わる。ひどく雨が降る時もあれば、大地が乾くほどに陽射しが強くなる時もあるかもしれない……けれど、此処には本来、貴女以外には何人たりとも存在することができません。その魔物も、存在しないはずです」


 あたしは魔物に向かって歩き出した。魔物は黒い瞳でこっちを見ているけれど、怖いとは思わなかった。一歩ずつ、草の感触を確かめながら魔物へ向かって歩いていき、手が届くところまで近づくと、魔物へと手を伸ばす。


「……もう、帰りなよ」


 突如として、強い風が背後からびゅうと吹いてきた。魔物が上を向いて翼を広げると、地面を強く蹴って飛び上がる。


「わっ……!」


 強い風に煽られながら魔物を見上げると、黒色の羽根がはらはらと落ちてくる。そしてそのまま魔物は崩れるようにカタチを失くして、数多の羽根だけを残して消えた。舞い落ちる羽根は黒から白へと色を変えて、風に煽られながら空に溶けるように消えていく。


 ふと自分の胸元を見てみると、黒い靄が消えて黄金色に輝いていた。


「なに、この光……」


 ビシュは、嬉しそうに微笑んでいる。


「その光は、ルーセス王子の光の魔法です。ルーセス王子は光の魔法を手にしました。そして、その力でリューナさんの黒い魔法を消し去ったのです」

「ルーセスが……魔法を?!」


 ルーセスの光の魔法なんて……なんだか信じられない。でも、こんなに綺麗な黄金色の輝きを見たこともない。きっと、あたしのために頑張ってくれたんだ……。胸に手を当てて、光を包み込んでみると、喜びが込みあげてくる気がした。


「さぁ……目覚めてください、リューナさん。もう、思い出しましたよね」

「思い出すって……?」

「目覚める方法ですよ。皆さん……リューナさんのことを心配しています」


 心配してる……? そっか、そうだよね。また心配かけてる……起きなくちゃ。


「ありがとう……ビシュ」

「僕は何もしていませんよ」


 ビシュは優しそうな笑顔のまま、その手を天に向かって高く伸ばした。その次の瞬間、強い風がぴゅうと吹いてきた。あたしは風を避けるように目を閉じる。


「ひゃぁっ!」


 思わず胸の前に重ねた手を強く握ると、手を握り返される感覚がした。


『――――リューナ』


 声が聞こえる。誰かがあたしを呼んでいる。


 起きなきゃ……起きなきゃ!


 ―――――――――――――――――――――


 まぶたを開くと、木で造られた天井が見える。頭を少し動かすと、心配そうな表情であたしを覗きこむ、ルフの顔が見えた。柔らかな陽の光が、少し眩しい。


「ルフ……心配かけてごめんね」

「リューナ……」


 ルフが手を握ってくれている。さっきのは……ルフが握り返してくれたんだ。ルフの手は温かい。嬉しくて、その手を強くぎゅっと握った。

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