第2話

 最初に見たものは、中世ヨーロッパ風の田舎町が平原の真ん中にポツンとある絵だ。


 いや、絵ではない。実際に陽の暖かさやそよ風に乗ってきた花のような甘い香りを感じることが出来る。

 それはつまり、その場所にあるのであって、絵ではないのだから夢ではないのであって、つまりこれは……。


「異世界に、来れたんだ!」


 ファンタジーとは架空の中でしか存在しないもので、映像の中でしか見たことがなかった。それこそ、月のように近くにあっても手の届かない世界であった。

 けれど、人類は月面に足跡を残すことに成功した。それと同じく、俺もまた、映像だけだと思っていた世界へ旅立つことが出来たのだ。


 異世界の空は、青かった。


「よっしゃー! これで俺は、あの狭い世界から解放されたんだ! いじめられっ子の俺さよなら、勇者の俺こんにちは!」


 心臓が子ウサギの様に跳ね、胸の高鳴りに任せて短い草を踏んでどんどん歩む。

 RPGの主人公見たいで、これからの未来に妄想が止まらない。いや、止めたくない!


「きっとあの町から俺の冒険は始まるんだ、クエストをこなし、かけがえのない仲間と出会い、多くの人の信頼を集め、魔王を討つ。それが俺の物語なんだ!」


 加速する妄想に、もはやブレーキなどという無粋ぶすいなものは使いたくない。

 ここには可哀想な人を見る目も、金づるとして扱う奴もいないんだ。

 俺が、俺らしくいられる場所だ。


「よーし! 町に着いたらまずギルドを探そう、そこで冒険者になって、早速クエストだ!」


 ゲームのように段取りを決め、可愛い子と仲良くなれないかなとか考えていた最中、顔面に鈍痛が走った。


「いってぇぇ~~! 誰だよこんなところに壁を作ったのは! 妄想の邪魔だ!」


 楽しくなってきていた妄想は、物理的な壁によって止められる。

 もう一度妄想しなおそうか考えるも、先程の衝撃が車の衝突を体感的に思い出させる。

 空を飛ばなかっただけマシかと自分を納得させ、起き上がろうとすると、左端から腕が差し伸べられる。


「大丈夫かい、怪我とかない?」


 声がする方を見ると、若い男が立っていた。

 俺は一瞬後退りあとずさり、それが親切心からくるものだと遅れて理解し、その手を握る。

 生まれ変わってもトラウマは簡単に抜けないらしい。親切にされたのが小学5年ぶりというのが理由ではないはずだ、多分。


「すいません、歩いてたら壁にぶつかっちゃって」


  アハハと笑ってごまかすが、何故だか男はキョトンとした後、糸が切れたように腹を抱えて笑いだした。


「ぷっ、あっははは! 歩いていただって、君に気付いてからずっと見てたけど、君は走ってたよ」


 笑いのツボでも入ったのか、目尻に涙を浮かべて笑いまくっていた。いや、それよりも。


「え? 走ってた?」


 全く覚えがない。妄想にふけっている間に走り出していたのだろうか。

 言われてみると周りの風景が違う。町の方にもこんな壁があったと思う。

 けれど、ちょっと前に見たときはだいぶ距離があるように見えた、そんなにはしゃいでいたのだろうか?


 しかし俺が、こんな不注意をするだろうかうんするな。


 俺の死因、脳裏に焼き付いた衝突事故。

 青だと思っていた信号に確認もせずに駆け出した。ふらふらしていたことや、慣れない熱気、一番の原因である田中の存在も加えればむしろ仕方のない出来事であった。


 不注意といっても様々な要因があっての不注意だ、今回も何か原因があって壁にぶつかったに違いない。

 そういえば、さっきから頭が痛いな。体感的に事故にあってまだ間もない。

 ならこれは頭痛のせいだ、そうだ、そうに決まってる。


 何となく自分の中で結論付いた頃、ようやく男は落ち着いたようで、こちらに顔を向けた。

 紅色の短髪、青みがかった黒い瞳、身長は俺より一回り高く、体格もがっしりしていた。

 見れば服装は、RPGに良くでる皮の胸当てにブーツといった駆け出しの身なりだ。


「おおー本当に着てるよ、現実だとこんな感じなんだ。でも、こうして見ると中々カッコいいな」


 ゲームの中でしかお目にかかれなかった防具が現実味を持って俺の前に存在する。

 序盤ではお金も中々手に入らないので、防具で手を出せるのは決まって皮製の防具であった。見た目のかっこ良さには欠けるものの、何かとお世話になったりしたものだ。


 しかし、こう生で見ると皮製の防具も中々悪くない、ここはいっそ皮製の防具で身を固めるか? 案外似合ってるかもしれない。


「え~と、とりあえず大丈夫そうだね。それで、この町に何か用事かい?」


 ハッと我に帰る。

 そうだ用事だ。この町にギルドがないか聞き込むところだった。

 助けてくれたお礼も程々に、この町にギルドがないか短髪の男に尋ねると。


「あるよ、というか俺、そのギルドの冒険者なんだ」


 仰天した。

 え? 冒険者ってこんな簡単に会えるものなの? ふらっと来てすぐ会えるものなの? ちょっと待って、目と口が閉じない。


「何でそんなに驚いてるんだい? 冒険者なんてそこら中にいるものだろ。まさか、初めてってことはないだろ」


「……初めて見ました」


 気さくに笑っていた短髪の青年は今度こそ驚いて固まった。


 なるほどね、冒険者ってそこら辺にいるものなんだね、うん良くわかった、だから本気で驚くのは止めて。


 一瞬逃げようか考えるも、ギルドに入れば何度も顔を合わせることになるだろうという理由でその場に押しとどまる。

 恥は一瞬と逃げたい自分に言い聞かせる。


「驚いたよ、冒険者を見るのが初めてなんて人がいるとは思わなかった」

 本当に意外そうで、どこか落ち着かない様子で後頭部辺りを擦っていた。


 これからは言葉を慎重に選ぼうと心の中で決意した。


「冒険者っていうのは、俺みたいに仕事を受けて魔物を退治したり、迷宮なんかを調査する奴らのことを言うんだ、詳しいことはギルドの受付嬢に聞けば良いよ。

 ちなみに、俺はこれから殴り兎パンチラビットの討伐に行くんだ。君は依頼しにギルドへ? 格好を見るにここら辺の人じゃなさそうだけど」


 男に釣られて自分の服装を見ると、ドット絵がプリントされたTシャツにカーゴパンツ。

 どうやら服も転生したらしい。まんまだから間違いない。


「これはその……何て言うか、そう! 最近地元で流行りだしたファッションなんだ! ほら、服にこんな感じの絵を描いてそれをプリントする、な! カッコいいだろ」


 何故言い訳口調になっているのか自分にも分からない。恐らくパシり時代の癖が抜けていないのだろう。

 自分でも驚く程の饒舌ぶりに驚きながら、男は「ファッションねぇ~」と半信半疑の様子で納得したように頷いた。


 服装がそのままだったなんて気付いていなかった。

 注意が足りていなかったと反省しつつ、ギルドへ冒険者登録したい旨を伝えると。


「なら、このまま真っ直ぐ進むと良いよ。途中でとんがり屋根が見えたらそこに入るんだ、そこが、君の目的であるギルド『レプラコーン』の拠点だからさ」


 レプラコーン、そこが俺の新たな伝説が始まる場か。

 押し寄せる希望が濁流となり駆け出したい気持ちを後押しする。


「俺、早速行ってみます! ありがとうございます」

 そういうやいなや、真っ直ぐ続く道を頼りに駆け出す。


「待って、君の名前は?」


  短髪の男が尋ねる、急かす想いを押し留めて、大声で答えた。


「鍵弥 忍、これからよろしくな! え~っと……」


「デールだ! よろしくな!」


 大きく手を振るデール、このやり取りはまさにRPGで良くある相棒になる奴が見せるフラグ。

 そういうことか、と悟った俺はその場で止まり、デールに振り返る。


「これからよろしくな! デール!」


 サポート的な意味で、未来の相棒へ手を振り返した。


 本当にこの世界は最高だ!

 再び、ギルドへと続く道を駆け出した。



 □■□■□■□■□■□■□■□



 赤いとんがり屋根が特徴の建物、『レプラコーン』

 野郎共が頻繁に出入りする巨大なギルド……とは程遠く、どちらかというと2階があるファミリーレストランぐらいの奥行きと高さだった。

 

 欲を言うなら有名なギルド、あるいは有名だったギルドの冒険者になりたかった。

 前者なら人の数も多く、大きな仕事を受けるチャンスが舞い込んでくる、また上級職のベテランがわんさかいるだろう、その人たちの力を借りて一気にレベルを上げるのも楽しそうだ。


 後者なら失った名声を取り戻すと同時に、過去の因縁やギルドの歴史を追っていくなんていうのも楽しそうだ。


「待てよ、後者ならまだあり得るかもしれない」


 赤いとんがり帽子を被った可愛らしい建物だが、こういうところこそ昔は有名な~、なんてことがあるものだ。


 結局のところ入るまで分からない。仮にそうでなかったとしても、デールのような良い冒険者と一緒にクエストをこなしていく未来は残っている。

 つらい過去はもうない。いじめっ子も泣く母も説教する親父もいない。


「そうだ、俺はRPGの主人公になったんだ。もう怖いものなんてないさ!」


「ママ~、あの人ずっとぷるぷる足が震えてるよ」


「しっ! 大きな声出さない、邪魔になるでしょ!」


 お母さんが男の子の手を取り、そそくさと意味深な言葉を残して去っていった。

 奥さん、一体何がどういう風に邪魔になるのか説明してもらいましょうか? あとガキ! 別に震えてないから! これは武者震いだから!


 このままでは他の人にも勘違いされそうだ。そう思った俺は意を決して取っ手を掴み、どうにでもなれ精神で勢い良く扉を引っ張り開けた。


「た、たのもー! 冒険者になりたくて来ました!」


 結果だけを先に言うと、大笑いされた。

 中年ぐらいのおっさんなんて、人差し指をこちらに向けながらジョッキを傾け中身を飲みながら笑っている。せめてどっちかにしてほしい。

 なぜ笑われたのか分からないまま呆然と立ちすくむと、カウンター台から綺麗なお姉さんがこちらに向かって歩いてくる。


「こんにちは、初めまして。貴方はここに訪れたのは初めてですね」


「はい! そうです。でもなんで分かったんですか?」


「あんなに元気良く挨拶する人はいませんから」


 ふふ、と控えめに笑うお姉さん。


 冒険者デビューする前から失敗した。たのもーって、ここは道場か、RPGだって何も言わずに建物に入るのに。

 俺のバカ! もう逃げようかな……。

 ふと出口に振り返ろうとすると、お姉さんが。


「では、受付にご案内致します、あちらです」


 と、カウンターの方に案内される。自然と扉も閉まり逃げる機会は無くなってしまった。


「では、ご用件を伺います、冒険者登録についてですね」


「はい……」


 何故だが無性に恥ずかしくなってきた。顔も熱い。背中に感じる視線は恐らく冒険者達のものだろう。

 井戸があったら入りたい。


「では、簡単にご説明しますね。冒険者ギルドでは様々なお仕事クエストを取り扱っております。狂暴な魔物の討伐から、ゴミ拾いまで、幅広くご依頼の声をお聞きし、それを冒険者が引き受け解決するという順番になっております。ここまでで何かご質問はありますか?」


 首を横に振る。聞く必要もないくらいRPGのクエストと同じであった。仕事の幅広さだけ除けばゲームと何ら変わらない。

 むしろ馴染みがありすぎて困る。


「では引き続きご説明しますね。クエストをこなした際の報酬は、2割をこちらに頂き残り8割を差し上げるという順番です。また、緊急クエストの際は、その働きに見合った報酬を差し上げます」


 なるほど2割取られるのか。定着したRPGの常識と細かいところは違うものの、2割だけならお金も困らないだろうとか考えている時だ、「ここで注意点です」という声。


「規則上、この領地に住む領民、または同盟を組むギルドなどに怪我を負わせた際、冒険者の権利を剥奪、停止を行います。もちろん窃盗もいけません。

 更に、罪の重さによっては強制的に移動監獄『ジェイル』へと投獄されるので、ご了承下さい」


「……移動監獄ジェイル?」


 ここまでRPGのおさらいみたいであったが、物騒な内容と、いかにも危なそうな監獄の名前を繰り返してしまった。


「はい、国をおびやかす犯罪者などを閉じ込める場所です。けれどご安心を、ジェイルは最先端の魔法と科学を使っているので、囚人を逃がしません。それに、物を壊した程度では投獄されないのでご安心下さい」


 心でも読み取ったのか、お姉さんはウインクしてそう告げた。

 これがプロなのだろう、冒険者の精神衛星もバッチリである。


「ご説明はこれで以上です。他にご質問はありますか? もし、よろしければギルドへの介入に必要な契約書へのサインをお書きになって下さい」


 受付のお姉さんに言われるがまま、必要な書類にサインしていく。お疲れ様ですという台詞を聞いた時、やっと終わったと同時に、冒険者になった喜びが込み上げてくる。


「貴方は今日から、冒険者ギルド『レプラコーン』の鍵弥 忍です!」


 暖かい拍手の音、それが一気に後方で盛り上がる。見れば今まで笑っていた冒険者達が俺に向かって歓声をあげていた。

さっきのおっさんも、片手のジョッキを上げて祝福してくれる、合間に飲んでるけどね。


 小さな町で、小さなギルドのその場所で、俺は冒険者となった。

 そう、今日は、俺が冒険者になった日だ。

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