第7話 死の気配
「ギャオオオォォォォォォォ!!!」
突如魔物の叫び声が、アルゴと向かい合っていた魔術師少女のさらに奥の方から聞こえて来た。
少女は声に驚き、声のした自らの後ろの方へパッと振り返りアルゴに背を向けるとすかさず右手を構え、声の聞こえた方を見据えたまま瞑想するかのように何かに集中し始めて動かなくなった。その行動は少女からすると見知らぬ怪しい男に無防備な背中を晒すことになる。怪しい男に襲われる危険性もまだ捨てきれないが、その時はどうあがいても死を免れないだろうと判断し、彼女は声から尋常では無い威圧感を感じさせた魔物に備える。
魔物の声が聞こえた時、アルゴは影すら見えない相手が放った咆哮のあまりの迫力に無意識のうちに体を怖気付かせ、尻餅をついた。ここまでの死を覚悟させるような張り詰めた緊張感と威圧感を感じたことは日頃から命をかける冒険者業をしているときにもなかった。体が思うように動かせず、足が鉛のように重たい。しかしそんな中、目の前の少女が後ろに振り返り構えたのが目に入る。
少女は戦おうとしている。歳だってアルゴの半分くらいしかないだろう。あんなにか細くてアルゴが触れればすぐに折れてしまいそうな細い腕を懸命に伸ばして構えている。それは魔術という人知を超えた力を持つが故に出来る芸当なのかもしれない。それでも、たとえ自らの力が及ばなくとも、少女一人を矢面に立たせるわけには行かない。
アルゴは自らを鼓舞し、重りがついたように重たい足を震わせながらも必死に立ち上がった。そしておぼつかない足取りで、一歩、また一歩と確実に前へと進む。次第に足の動きが早くなり少女の元へと駆け寄る。
今のアルゴは武器もなく、無いも同然の薄い皮防具を身につけいるのみ。今から相まみえるであろう自分の力量をはるかに超えている相手に対して丸腰の状態でできることは何一つないだろう。それでもたとえ魔術師であろうと自身に比べるとはるかに弱々しく見える少女一人を戦わせることはアルゴの矜持が許さない。
猛然と走り必死に少女の方に駆け寄るアルゴ。少女は走り寄るアルゴを横目で見て少し驚いた表情を見せるも、すぐに前へと向き直し集中した様子に戻る。そしてアルゴが少女の隣に並び立とうかという時、目の前の煙の中から大きな化け物が姿を現した。
体長五メートルはあるだろうか。全身が真っ赤な色をしながらも人の形を成し、手足の長さは二メートルを上回るだろう。大木のような太い足に樽のように太い腕、体は筋肉で盛り上った分厚い胸板で覆われている。顔は大人も思わず漏らしてしまいそうなくらい鋭く恐ろしい顔つきをしている。そして、なによりも特徴的なのはその頭に生える二本の黄色いツノだろう。
「鬼……」
アルゴが初めて見たにも関わらず、すぐに言い当てられるほど特徴的な魔物の名を呟く。
刃をも弾く鋼鉄の体を持ち、リーチのある長い手足から全てを粉砕する攻撃を繰り出すその魔物は、上級冒険者が何人も集まってやっと倒せるといわれるほどの強大な相手である。
鬼は地面を揺らしながらも悠然と歩いてやってくると二人の前で立ち止まった。
そして、無数のオークの残骸が転がっている周囲を見回し、それから二人を睨みつけるように見下ろしたまま動かなくなる。
勝てない。いや、生き残ることさえ不可能だろう。そう思わせる威圧感でアルゴは足をガクガクと震わせるもここで倒れては意味がないと気力を振り絞ってなんとか立ち続ける。
「焼き焦がせ!」
アルゴが強敵を前に何もできずにいた時、先ほどまでじっと集中するように相手は睨みつけているだけだった少女が突然大声をあげた。
声を上げるとほぼ同時に少女の手のひらに光が集まったかと思えば、そこから猛烈な勢いで業火が放たれた。少女の手から放たれる炎が続いたのは時間にして一秒にも満たない一瞬のことだったがそれでも鬼は火の手に包まれる。
まじかで初めて見た魔術の威力にアルゴは鬼を見たときに匹敵するほどの驚きを感じた。オークをも一瞬で焦がしていたこれなら鬼すらも倒せるかもしれないと一縷の望みを抱き、相対する巨大な相手を見上げる。
しかしそこにいた鬼はたしかに炎に包まれながらも健在であり、動じた様子はない。
「嘘っ……」
そんな鬼の様子を見て先ほどまで気丈に振舞っているように見えた少女が悲嘆の入り混じった声をあげる。
どうすることもできないのかとアルゴが鬼を睨みつけていると、炎の中の鬼が一瞬口角をあげて不敵に微笑んだように見えた。ひやりと背筋に冷たいものが走しる。とっさにアルゴはその大きな体ですぐ隣のきゃしゃな少女に対して抱きついて守るように覆いかぶさった。
覆いかぶさる瞬間鬼が大きな手を振り上げながら俊敏にこちらに踏み込んでくるのが見える。
せめて少女だけでも守れればとアルゴが少女を抱き込んだままグッと全身に力を込めるとほぼ同時に鬼の大きな手のひら手打ちが二人を襲う。あまりの衝撃に痛みを感じることすらできずにアルゴは少女はうちに抱きながら吹き飛んだ。
そして走馬灯のように流れ行く周囲の景色の中、意識を手放した。
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