CHAOS-漆黒の破壊神-

玉響

プロローグ


 馬の嘶きと、馬蹄の響き。

 兵士や男たちの怒号。

 女や子供たちの悲鳴や泣き叫ぶ声が、辺りに響き渡る。

「ひとりも逃がすな!女も子供も皆殺しにしろ!!」

 新月の、深い深い闇の中。

 赤い紅蓮の炎が鮮やかに照らす光景は、つい先ほどまで確かにそこにあった人々の営みを壊していく。燃え盛る炎は勢いを増し、人も、家屋も全てを飲み込んでいった。

「ああ……」

 少女は目の前の無残な光景に、恐怖と絶望で動けず立ちつくしていた。

 

 何故?

 

 どうして?

 

 疑問と混乱で、少女は頭を抱えてその場に座り込む。

 一族の奇異なる力の為、気味悪がられる事も多々あった。が、それは仕方のないこと。己と違う力を持つ者に畏怖を感じるのは、人間の本能だ。

 そのため、どの国にも属さず中立を守ってきたのだ。そして、どの国にも公平に力を貸してきた。

 恐れられる反面、この異質な力に感謝してくれる人々もいる。

 その人たちの笑顔を見るたび、手を貸しているのはこちらの方なのに心が救われた。

 裏で異形の力と恐れられても、笑顔を思い出すたび自分達はこの世に存在して良いのだと安堵した。そして、この力を恐れ攻めてくる国もなかった。

 未知なる力。未来を予見出来る預言の力を恐れ、どの国も手が出せなかったのだ。


(それなのに、何故)


 少女は顔を上げ、業火に包まれた眼前に広がる光景を見つめた。村のほとんどの家は焼け崩れている。逃げまどう村人も、息絶えた村人も、全て炎の中に包まれていく。

 確かに、不穏な気配を感じていた。

 『北の大国に気を付けよ』と暗示が出ていた。何度占っても結果は変わることはなく、気になっていた。


(まさか、攻めて来るなんて……)


 予想出来なかった。いや、予想もしていなかった、が正しい。

 気弱な王だった。

 争いを好まず、民の平穏を願う心優しい王だった。

「それなのに、何故」

 少女は先刻、心に抱いた疑問を再び口にした。

「マヤ!」

「マヤ!どこだ!?どこにいるんだ!?」

 聞きなれた声が聞こえ、少女は振り返る。

 黒髪の男性と、長く艶やかな黒髪の女性が走って来るところだった。

 ずっと自分のことを探してくれていたのだろう。ふたりとも酷く息が切れていた。

「お父様!お母様!」

「マヤ!良かった……よく無事で……」

 黒髪の女性が、少女を優しく抱きしめた。

 マヤと呼ばれた少女は、母親が無事であったことに安堵のため息を吐いた。

 彼女の父である男性は、マヤの姿を認めると安堵の表情を浮かべたが、すぐに厳しい表情に変わった。

「ここも危ない。はやく逃げよう」

 マヤと母親である女性は頷き、立ち上がり歩を速める。

「大巫女様は?大巫女様はご無事なの?」

 大巫女とは預言の一族である族長の呼称だ。

 王族のように血筋継承ではなく、一族の中で最も力が強い者が受け継ぐ。

 女性の場合は大巫女、男性の場合は大巫覡と呼称される。

「大巫女様はご無事だ。血を絶やすわけにはいかないと、他の者たちを助けに行かれた。ひとりでも多く、無事に生き延びよとの仰せだ」

 父の言葉にマヤは再度、安堵のため息を吐いた。その時だった。

「見つけたぞ!」

 馬の嘶きと共に、大勢の人間の足音。

 後ろを振り返ると、黒い甲冑を身にまとった壮年の騎士が三人を馬上から見下ろしていた。

 兜の奥で光る騎士の眼光は鋭く、恐怖に身が竦む。

 父であるテオは、腰に佩いている剣の柄に手をかける。大巫女の親衛隊長でもある彼は、一族の中でも一、二を争う武術の持ち主だ。

 騎士の隣に立っていた歩兵のひとりが、テオに切りかかって来る。

 その剣先をかわし、一刀のもとに切り伏せる。

 飛び散る鮮血。

 ぐらりと、歩兵が地面へと倒れ込む。

 壮年の騎士は目を見開き、新しいおもちゃを見つけた子供のように楽しそうに微笑んだ。

「はやく逃げろ!」

 テオは二人を背にかばい、森の方角を指さした。

 今宵は新月。木々生い茂るの闇の中へと姿を消してしまえば、逃げ切れる可能性はある。

 森の地理は熟知している。地の利はこちらにある。

 母であるイリィはテオの言葉に頷き、マヤの腕を引っ張る。

「でも、お父様!」

「いいから早く行け!」

「逃がすな!」

 テオの声と、騎士の声が重なる。

 イリィは急いでマヤの手を再度引っ張り、走り出したがもう遅かった。歩兵のひとりがマヤの腕を掴み、イリィから引き離したのだ。 

「マヤ!」

「死ね、娘!」

 マヤに剣が振り下ろされる。しかし、切られた痛みは訪れることはなく代わりに眼前に黒い髪が広がる。

 長く艶やかに輝く黒髪は、愛する母のものだった。

 マヤをかばうように倒れ込む彼女の白い服が、見る見るうちに鮮血で染まっていく。

「イリィ!マヤ!」

 二人を助けに行こうとしたテオは、大勢の兵士たちに囲まれて身動きが取れずにいる。いくら彼が村随一の剣士であろうと、多勢に無勢。たったひとりでこの場を打開するには、あまりにも敵兵の数が多すぎた。

 そして、二人に注意が向いた一瞬の油断が、非情にも彼の運命を変えた。背後から切りつけられ、動けなくなったところを何本もの槍が彼の身体を貫いていく。

 地面に座り込み母の身体を抱えたマヤは、父が殺されていく様を指一本動かせずにただ見つめていた。

「マヤ……、お前だけでも、はや……く」

 テオが倒れ込んだ地面が、血でどす黒く染まっていく。吸い込み切れぬ血が、地面に血だまりを作る。

「とう、さま……かあ、さま」

 ピクリとも動かなくなってしまった二人の姿に、死んでしまったのだと理解した。

 頭は理解したが、その事実を認めるにはあまりにも急すぎた。

 つい先ほどまで、三人で話していたのに。

 抱き締められた腕は、温かかったのに。


(朝だって、いつも通りおはようって挨拶したのに)


 いつも通りの日常が、平凡だが何よりも大切な日常が明日も明後日も続いていくはずだったのに。

 こんなにも呆気なく人は死んでしまうのか。

 こんなにも急に、日々の幸せは失ってしまうものなのか。と、マヤは命の儚さと絶望を知った。

 この世に、不変なものなど無い。

「娘、次はお前だ。異形の一族に生まれたことを恨め」

 騎士はマヤに向かって、剣を振り下ろした。


(恨め?異形の一族に生まれたことを?)


 この男は何を言っているのか。

 この力で迷惑をかけただろうか?

 迷惑をかけるどころか、この力を頼り欲したのは誰であったか。

 お前たちではないのか?

 自分達の力ではどうにもならなくなった時、人の力を頼り、不要になれば差別し殺すのか。

 マヤは胸の奥から、どす黒い感情が渦のように湧きあがって来るのを感じた。

 顔色ひとつ変えず人を殺せる目の前の男の方が、自分と同じ人間と思えない。 

 目の前の男に、激しい怒りと狂おしいほどの憎しみを覚える。

 常日頃から大巫女が口にする忠告は、マヤの脳裏から消え去っていた。


『決して、人に憎しみや怒りの感情を抱いてはいけないよ』


『お前の力は強いからね。良からぬものを呼び寄せてしまう』


 そうきつく言われていたのに。


『怒り、憎しみ、絶望、悲しみ…負の感情はあいつの好物だ』

 


――……憎いか?



 深い闇の向こうから、声ならぬ声が聞こえてきた。

「……誰……?」

 目を凝らしてみるが、何も見えない。



 ――憎いか?



 姿は見えないが、声だけはやけにはっきりと頭の中に響く。

「誰なの?」



 ――我の問いに答えよ。人間が憎いか?



 声は段々と近付いてくる。しかし、姿は見えない。

 ただ闇がそこにあるだけだ。

「……憎い。父様と母様を殺した男も、みんなを焼き殺した兵士たちも、それを命令した王も、この世の全てが憎い…」

 なぜ、殺されなければならなかったのか。

 ただ穏やかに、静かに、暮らしていきたかっただけなのに。

 それ以上、領土も、地位も、野望も何も望んではいなかったのに。

 ただこの穏やかな暮らしが、ずっと続いくようにと願っていただけなのに。



 ――この世の全てか。



 くっくっくっと、低い声で愉快そうに笑う声が響く。

「そう、この世の全てが……人など、滅んでしまえば良い」

 そう、こんな汚く穢らわしい生き物など、ひとり残らず滅んでしまえば良い。



 ――その願い、我が叶えてやろう。我が器よ。



 マヤの体の中で、黒い何かが爆発し飲み込んでいく。

 力が漲って、どこまでも飛んでいけそうだ。

 そんな不思議な感覚が全身を駆けめぐる。


 絶望と憎悪を一身に背負った少女は、穢れなき清らかであった身も心も混沌の闇へと落とした。




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