上原うえはら、好きだ」


「えっ……? か、からかわないでくださいよ、横溝よこみぞ先輩」


 テニスサークル終わり、冬の夕陽をバックに、先輩が不意に言った。西日が眩しく逆光になっていて、表情は分からない。

 でも先輩が俺を好きだなんてこと、ある筈がないんだ。先輩は、女子に凄くモテたから。

 だから、たちの悪い冗談だと笑い飛ばしてしまいたかったのに、上擦った声は震えてしまう。本当だったら良かったのに、という想いで。

 今口を開いたら変な声しか出なさそうだったから、唾液を飲み込んで空咳を幾つかし、喉の調子を整える。


「からかってねぇよ」


 相変わらず、表情は分からない。

 日焼けした大きな右手が、スッと俺の方に伸ばされた。手のひらを上に向けて。


「お前も好きなら、一緒に来いよ。手を取ってくれ」


 心臓が、うるさいくらいに鼓膜を叩く。もし本当だったら、俺は先輩と、公私ともにダブルスを組んで、一緒に生きていきたい。

 でももし手を取って、冗談だよと失笑されたら? 立ち直れない。最近涙腺が緩くなったから、泣いてしまうかもしれない。そんなみっともない姿だけは、先輩に見せたくなかった。


「上原」


 分からない。表情が、分からない。からかってるのか、本気なのか。

 ぼんやりと見上げたら、覗き込むようにして、先輩の真剣な顔があった。

 冗談じゃない? 俺は嬉しさに、顔が笑ってしまうのをこらえられなかった。


「一緒に、行きます。先輩。俺も。ずっと……」

 

 それまで真剣だった顔が、不意に笑み崩れた。え。


「お前が居眠りするなんて珍しいから、調子でも悪いのかと思って心配したけど。優雅に夢なんか見てたのか」


「夢」


「おう。寝てたぞ、上原」


 ……そうか。そうだよな。先輩が、俺のことを好きな訳がないんだった。


「おいおい、そんな露骨にガッカリするほど、良い夢だったのか? 俺の夢だろ? どんな夢だか教えろよ」


「いえ、あの……」


 俺は、嘘や言い訳が苦手だ。口ごもってしまう以外の選択肢がない状況だったから、いつもは好ましくない悪友の声も、天の助けに思えた。


「横溝せんぱ~いっ! 今日の合コン、どうします~?」


 先輩の視線が俺から逸れて、ホッと胸を撫で下ろす。


「あ~、悪りぃ。今日はやめとく」


 だけど視線はすぐに戻ってきて、心臓が口から飛び出るような思いをした。


「え~! 先輩、今日ホワイトデーだって分かってます~?」


「知らねぇよ。年中無休で発情してるくせに、イベントにこだわるな」


 顔も向けずにそう言って、長机に両手を着いて長居を決め込む。


「今日、ホワイトデーなんだな? 上原、知ってたか?」


「あ……はい。義理チョコくれた女の子たちに、クッキー焼いてきました」


「はぁ? お前、手作りか?」


「はい」


 先輩は俺の顔の前で人差し指を立てて、ゆっくりと左右に揺らした。


「義理なんだろ? 手作りなんて返したら、好意があるって思われるぞ」


「ええと……手作りのチョコをくれた子も居たから、俺もみんなに作ろうかなって」


「おい、ちょっと待て」


 途端に、先輩の眉根が寄った。機嫌の悪いサインだ。


「手作りチョコ貰ったのか?」


「はい」


「それ、義理じゃねぇだろ。本命チョコだろ。手作りで返したら、カップル成立しちまうだろ!」


「え……」


「上原。上原上原上原。いい加減、お前のその天然直してくれよ!」


 な、何だろう。先輩、怒ってる。何でだか分からないけど、俺は取り敢えず謝ることにした。


「す、すみません」


「上原。俺が何で怒ってっか、分かってねぇで謝ってるだろ」


 見透かされて、俺は俯いた。


「あ……はい。でも、俺が悪いんだろうなって……」


「そんなことやってっと、気が付いたら好きでもねぇ、押しの強いその辺の女と付き合ってる羽目になるぞ!」


「え……」


「クッキー出せよ。没収」


「は、はい」


 一枚ずつラッピングしたクッキーを、全部机の上に出す。

 先輩は次々とジャケットのポケットにそれをしまい、残った一枚は丁寧にラッピングを解いていった。


「ん。美味い」


「あ、ありがとうございます」


「上原。今日が何の日か、知ってるよな?」


「え? ですから……ホワイトデー……」


「プレゼント貰ったから、お返しをしなくちゃな。吞みに行こう、上原」


「……へ?」


 日焼けした大きな右手が、スッと俺の方に伸ばされた。手のひらを上に向けて。

 表情は、俺だけに向けてくれる、優しげな微笑みだった。


「お返し貰う気あるんなら、一緒に来いよ。手を取ってくれ」


「……はい!」


 また、顔がほころんでしまう。

 手のひらを重ねると力強く握られ、グッと引っ張り上げられて、強引に外に連れ出された。


 誰よりも君を想ってるのは

 今日も明日も俺だから

 ずっと好きだってことを言わないと

 会えなくなる前に

 言えなくなる前に

 その手を……


End.


※ばっくなんばーの『恋』という曲から、ネタを頂きました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る