8 王子の帰還

 ビアズ村のモンスターを何とか退治したアーマたち。

 大爆発と火事の時点で、大半の村人が村から避難していたため、モンスターの被害にあった人間はいなかったのが不幸中の幸だった。

「じゃ、とりあえず焼け出された村人は、オルガン村に誘導してください。キオー・ナムも、もうアーマさんを狙ってくることはないでしょうし」

 そう言うユンに、ディジーが尋ねた。

「そういうあんたは、これからどうするんだい」

「とにかく手近な神殿に急行して、上司への速達を出します」

「そのあとは?」

 ユン沈黙。

「まさか一人であいつを追おうなんて思ってないだろうね」

「……追ったって追いつけませんよ、はっはっは」

「笑ってごまかすなっての。あの男、〈つるぎの王子〉を解放する気なんだろ。封印場所はどこなんだい」

「……正確な場所は私は知りませんが、フリーダ国内には違いないです。フリーダなら、恐らくキオー・ナムは〈帰還〉で帰れる。至急報を出しても、解放阻止には多分間に合わないでしょうね……」

「あのキオーって魔術師だって、まだ見つけてないかもしれませんよ!」

 ウォルフが楽観論を述べたが、

「彼はずっとフリーダにいたんですからね、希望的観測はやめときましょう。解放阻止に間に合えばそれでよし、間に合わなかったとしても、現地にいないと対処ができません。とにかくフリーダの上司のところに行きます」

「上司って、教団の人間だろ? 大丈夫なのかい?」

「あの人は〝穏健派〟ですから。もし王子が解放されても、ある程度は教団の〝強硬派〟を抑えてくれるはずです。その間に、何とかできれば」

「あんた一人で、何とかできるのと思ってんの」

「……本当に〈剣の王子〉が解放されたら、フリーダは戦場ですよ。そんなところに、ディジーさんやアーマさんに来てもらうわけにはいかないじゃないですか。まあ、魔剣は完成させてほしいですけど」

 ウォルフはどうでもいいのか。

「作ろうと思えばどこでだって作れますぅ♪」

 さんざん気がのらんと言ってたのはどこのどいつだ。

「アーマの魔剣ができたとして、誰がそれを振るうのさ。あんたに剣が使える? 教団に使える奴がいるのかい。

 この剣に、一番慣れてるのは、このあたしだよ」

「ディジーさんが〈ディルムント〉に真っ向から立ち向かう気ですか!?」

「あんたはそれをする気だろ」

「私は……神官ですよ。モンスターから人々を守る義務があります」

「そんだけ?」

「そんだけって……」

「個人的な感情のほうなら理解できるって、言っただろ」

 そう言って目をそらしたディジーのあとを、アーマがうけた。

「私もディジーさんも、ユン様のお父さま助けたいですぅ♪」

「一応、僕も加えておいてください、あははははー」

 自分で言わないと、存在を忘れ去られているウォルフ。

「……神殿は近いからいいとして、フリーダまでは相当かかりますよ? 私は、教団の交通網を自由に使えるほど偉くありませんから」

「アレを使うですぅ♪」

 アーマの指さす先にあったのは、一台のリヤカー。青ざめる一同。

「〈れっつごーグリちゃん1号〉ですぅ♪」

 リヤカーに名前がついた。


   ◇


 〈飛翔〉は高速だけれども、飛行持続距離は短い。

 しかし、〈浮遊〉でリヤカーだけ浮かせておいて、それをグリーデルに引かせて飛ぶ分にはグリーデルの体力次第であり、もちろんそれは人間の体力とは比べ物にならない。〈浮遊〉は魔術師二人が交代でかけられる。

 というわけで、教団の権威フル活用で十日かかるはずのフリーダ-レント間、それと変わらないくらいの期間で到達した一行であった。

 フリーダ国境地帯の山地に降りたアーマたち。これ以上グリーデルで飛ぶのは、ストーレシア教団の勢力の強い土地でケンカ売ってるようなものなので、ここからはロワの神殿目指して歩く。

 しかし、そう長く歩かないうちに、人影が近づいてきた。

「遠くてまだ誰か判別できませんけど、服の感じが教団の神官ぽいですね。まずいですね、もしかしてグリーデル目撃されましたか?」

「てことは、まさかあんたみたいに『ふぁっはっはっは、出たなモンスター! このユン・シュリが光皇こうおうストーレシアに代わって成敗してくれるわ!』とか叫んでいきなり攻撃してくるのかい?」

 的確な観察力だ、ディジー。

「いや、そういう神官ばかりいるわけではないんですが……」

「おーっほっほっほ、出たわねモンスター! このゼゼ・アノが光皇ストーレシアに代わって成敗してあげるわ! 覚悟なさい!」

 そういう神官ばかりだった。

 まだ顔も見えないくらい遠いくせに、びしっとこっちを指さして高笑いしている。声の感じからして、十代くらいの女の子のようだった。

「……ゼゼ・アノ? ゼゼなんですか?」

 ユンが呼び掛けると、

「その声はもしかして……ユン兄さま!?」

 急にきゃぴきゃぴした調子になると、声の主はこちらに走ってきた。

「きゃーっ本当にユン兄さまっお久しぶりーっっ!」

 確かに神官の格好はしているのだが、何というか非常にそれらしくない女の子が、ユンに飛びついた。

「フリーダに向かってるのは知ってたけど、すっごい早かったのねー!」

「それより、どうしてゼゼがここに」

 ユンもかなり意外そうである。「本来あなたは……」

「うん、そうなんだけどね。ここんとこあたしロワにいるのよ。きゃーでもホントうれしい! こんなに早くユン兄さまに会えるなんてー」

 黄色い声というのは、きっとこういうののコトに違いない。

「えー……誰、コレ」

 ディジーがぶすっとして口をはさんだ。そこで初めて、少女は他の人間の存在に気づいたようである。

「あ、ユン兄さまのおともだち?」

 きんきんした声で少女は自己紹介した。

「あたし、ゼゼ・アノって言います。16歳でーすっ! ユン兄さまには、孤児院の頃にすっごく面倒見てもらってー」

「何か、妙になつかれてましてねえ。セリフまでマネするんですよ」

 それでかい。

「そーいえば、さっきのグリフォンはどうしたんだろ。確か気配はこの辺に……あっ!」

 神官ゼゼ、アーマの後ろのグリーデル発見。というかアーマより絶対デカいのに、今までゼゼの目に入らなかっただけなのだが。

「出たわねモンスター!」

 だからさっきからいたってば。

「このゼゼ・アノが光皇ストーレシアに代わって……」

 攻撃態勢に入ろうとするゼゼを、慌ててユンが止めた。

「あ、えーとこのグリフォンは大丈夫なんです。攻撃しないでください」

「……そう?」

 むちゃくちゃ不服そうなゼゼ。「まあ、ユン兄さまがそう言うならー」

「アーマさんも気にしないでくださいね」

 後ろを向いてユンがささやく。

「ゼゼは、モンスターに家族殺されて孤児院に来たものですから」

「……アーマ? じゃあなたがアーマちゃん?」

 ゼゼが目を見張る。

「あ、そーか、一緒に来るってユン兄さま書いてたものね! じゃーあなたがディジーさんであなたがウォルフくんなのね。でしょ?」

「ウォルフですーよろしく!」

「……ども」

 非常に機嫌の悪いディジー。アーマは何だかさっきからぼーっとしていて、返事もしない。何考えてるかわからないのは、いつものことだが。

「こんなところじゃなんです、神殿に行って話をしましょうか」

「えー、もう?」

「そうですよ、そのために私は来たんですから。……神殿に入ったら、ちゃんと神殿モードに戻ってくださいね」

「はあい」

「……神殿モード?」

 聞きなれぬ言葉にディジーが突っ込んだが、返答はなし。

 足輪ないので神殿近づけないグリーデルだけその場に残し、神殿に向かう。

 ロワの神殿は、国境付近ではあるがフリーダ国内では一番大きい。その、このあたりでは中心地である神殿に一行が入ると、居合わせた神官が

「お帰りなさいませ、ゼゼ様。モンスターは?」

「ああ、あれは私の見間違いでした。それより、お客様なの。しばらく私の部屋に誰も近づかないでもらえるかしら」

かしこまりました、ゼゼ様」

 うやうやしく頭を下げる神官。ゼゼのほうもさっきとかなり様子が違い、敬意を受ける態度に演技とか無理とかが全くない。これが神殿モードらしい。

「この教団は二重人格の集まりか……?」

 つぶやいて、ふっとディジー気づく。

「……もしかして、このコって、エラい?」

 ディジーが尋ねると、事も無げにユンは言った。

「ま、エラいですね、高司祭ですから」

 高司祭。

 ユンがヒラ神官で、その上が司祭。さらにその上。

 実はこのゼゼ・アノ、全カールアでもいったい何人いるかという、高位の人物の一人なのである。

「神殿一歩でも外に出るとあの調子なので、教団関係者以外は誰も、彼女が高司祭だなんて思ってないでしょうけれどね、はっはっは」

 そりゃそうだ。

「……ねえ、ストーレシア教団のエラさの基準って、なに?」

「そりゃーもう、いかにモンスターを倒せるかという。強いんですよー彼女。私と違って相手に触れずに〈浄化〉できますし、はっはっは」

 聖職者の基準間違ってるぞ、教団!

 ゼゼ・アノは本来ロワにいる者ではないので(この神殿の最高責任者は、年配の司祭が別にいるそうだ)、彼女の部屋と言っても一時的なものなのだが、結構立派だ。さすが高司祭。

「改めまして、ゼゼ・アノです。私、普段は一人でハープ村というところにいます。ハープはフリーダ王都からそう遠くない、一見何の変哲もない村なんですけど……実はそこが、〈剣の王子〉の封印場所なんです」

「!!」

「ほら、私って一応高司祭なのでモンスター倒すのは得意なんですけど、なぜか誰もそう思ってくれないらしくって。私を見張りに置いておけば、誰もハープがそんな重要な場所だとは思わないからカモフラージュになるだろうってコトらしいんですけど、どういう意味なんでしょうね?」

 ゼゼ、自分ではよくわかっていないらしい。

「……カモフラージュとはいえ、一人でそんなところの守りを任されてるなんて、高司祭さんって本当に強いんですねえ! あははははー」

 ウォルフが単純に感動していると、ゼゼは複雑な笑みを浮かべた。

「そうね、カールア中の高司祭を集めてくれば、王子ごと〈ディルムント〉を〈浄化〉できると、教団内では言われているわね」

 ディジーがはっとユンを振り返る。

「……でも、あなたはできる限りそれをしないようにしようと、教団内で主張してくれている。ありがたく思っていますよ、本当に」

「モンスターを倒すためとは言え、助けられるかもしれない人間を敢えて殺すのは教団のやることじゃないわ。それに……ユンのお父さまだものね」

「あ……じゃあこのコが、あんたの言ってた〝穏健派〟の」

「そう。私の直属の上司ですよ」

 ユンが、ゼゼに向かって言った。

「高司祭。私はあなたと話すためにフリーダに来たのですから、このロワで予想外に早く会えたことはうれしく思います。しかし……ということはつまり、ハープは」

「そのとおりよ、ユン。〈剣の王子〉は解放されました」

 室内に沈黙が満ちる。

「……私はそのとき、ハープの隣村にモンスターが大量発生して、その救援に行っていたの。まさか、キオー・ナムがモンスターを操れるなんて思っていなかったし、それに……教団の結界を無力化できる、なんてね」

「……グリーデルの足輪、ですか」

 ユンがうめいた。「報告書は一応、届いたんですね?」

「昨日ロワに着きました。あれを読むまでは、どうしてあんなところでキオー・ナムが死んでいたのか、わからなかったけれど」

「キオー・ナムが死んだ!?」

「ええ。私がハープに戻ったときにはもう〈剣の王子〉の姿はなくて、キオー・ナムの死体だけがあった。剣で真っ二つよ。恐らく〈剣の王子〉を制御しようとして失敗して、逆に殺されたんでしょう」

 そう言ってふう、とため息をく。

「哀れなものよね。ユンの報告書を読んだ限りでは、あの男の動機にも同情できる部分はある気がしたのだけど。だからといって、行動の全てを認めるわけではないけれどね」

「キオー・ナムが殺された……それでは、〈剣の王子〉は?」

「〈剣の王子〉は今、」

 そこでゼゼは一度言葉を切り、宣告するように言った。


「……フリーダ城に、います」


「フリーダ城……」

 それは予想外の場所のようでもあり、またある意味いちばんふさわしい場所であるような気もした。

「……〈剣の王子〉は、自分の城に帰ったのですね」

「ちょっと待ってよ」

 ディジーが口をはさむ。

「キオー・ナムが死んだってことは、あいつが王子を操ってるわけじゃないんだろ。なのに何でモンスターのディルムントが、自分からそんなところに行くのさ」

「たとえディルムントに身体を乗っ取られ、王子の意識が眠りについているにせよ、彼の記憶がディルムントに影響を与えるということは考えられるわ。

 さもなければ……私はこちらではないかと思っているのだけれど、王子の意識がまだ覚醒している。100%ではないかもしれないけれど、自分の身体に対する支配力をまだ持っている」

「……意識がまだ、あるんですか!?

 確かに27年前はかなり長い間、彼の精神も抵抗したらしいですけど、完全に支配されるのは時間の問題だと……だからこそ、封印して……」

「私もそう聞いているわ。でもね、ユン。

 ……キオー・ナム以外に、死者が出てないのよ。一人も。

 城にいた執政一族とか、他の貴族も民衆も都を逃げ出してるんだけど、追おうとか殺そうとか全くしてないの、今のところ。27年前のディルムント本体と比べたら、考えられないことだわ」

「27年前のときって、そんなに大変だったんですか!」

 驚くウォルフ。

 アーマはぼーっとしていて、全然話に入ってこない。

「……あっという間に、国の1/3くらいの人口は、喰われたそうよ。ストーレシア教団だってただ手をこまねいていたわけじゃないけど、ディルムントを倒せるだけの顔触れをここに集結させるのには、時間がかかりすぎた。それを待っていたら、国がなくなっていたわ。

 だから、オルト・カレはあの魔剣を作った。フリーダ王国としては彼に頼るしかなかったし、実際それが最善だったんじゃないかしら。教団には面白くなかったとしてもね」

「……王子が完全にディルムントに支配されているなら、こんなに沈黙しているはずがない、と」

「私はそう思うわ。中央にも、そう報告した。王子の意識があるなら、なおさらそれを殺すなんてことは、するわけにはいかないもの。

 でも、その辺は多分、無視されるわ。『ディルムントが殺戮さつりくを繰り返さないという保証がどこにある? 大人しくしているなら、今のうちに倒さない手はない』、ってね……。

 〈剣の王子〉解放の報が中央に届いたら、全カールアに高司祭の招集がかけられるわ。ここから一番近くにいるシュウ高司祭がフリーダに着くのが、早くてあと半月後くらいかしら。ユンは知ってると思うけれど、彼は筋金入りの〝強硬派〟よ。もちろん彼一人でディルムントをどうこうするのは無理だけれど、でも彼が来たら、もはや私にも〈浄化〉への流れを止めることはできない。

 だから、ユン。

 〈剣の王子〉の命を助けたいのだったら、時間がないわ」

「助けるっつったって……」

 ディジーがうめいた。

「王子の意識があるんだろ? アーマの魔剣は、精神だけしか効かないとはいえ、人間もモンスターもいっしょくたなんだ。あれじゃたとえ完成したとしても……」

「……ディルムントを倒せるほどの攻撃をしたら、間違いなく王子の精神も持ちませんね。教団の〈浄化〉と、結果は一緒ですよ」

 冷静に言うユンだったが、表情は苦渋に満ちている。

「王子の意識が本当にあるかどうかは、まだ私の勘に過ぎない」

 ゼゼが全員を見渡しながら言った。

「それが事実か否かで、どういう対策をとるべきかがかなり変わってきてしまう。だから――確かめに行こうと思います。フリーダ城へ」

「! ……高司祭自ら、ですか」

「ロワの神官たちには黙って行くつもり。ついてくるって言われても、もしかのときには犠牲が増えるだけかもしれないから。

 ……ユンにまで黙って行くのはどうかと思ったから話したけれど、ついてくるのは認めませんからね」

「どうして」

「私がもしも帰って来なかったら、そのときは多分、私がディルムントに殺されたってことでしょう。つまり、王子の意識はもうないわ。心置き無く、完成したアーマちゃんの魔剣でディルムントを倒して、王子を助けられるじゃないの。そのときのために、あなたたちは残っていなくっちゃ。

 まあ、私も殺されるつもりはないから、ここで結果を待っていて」

「……待ってる時間、ないですぅ」

 唐突に、今まで黙っていたアーマが口を開いた。

「王子様だって、そういつまでもディルムント抑えられないですぅ」

「アーマさん?」

 ユンが怪訝な顔をする。「どういう意味です、それ?」

「キオーさんは、魔剣〈ディルムント〉で、斬られたですね? だったら、それは王子様じゃないです。王子様なら、キオーさん殺したりしないですぅ」

「それはそうかもしれないですが……」

「……でも〈ディルムント〉は、相手の力を吸い取って自分の力にする剣、ですね?

 キオーさんは、モンスターを制御することのできる魔術師さんでした」

「あっ……」

 ユンとゼゼが同時に叫んだ。

「そう……か。つまり、封印を解かれたときには、〈剣の王子〉は完全にディルムントに支配されていたんです。けれど、キオー・ナムを斬ったことで、彼の制御能力が吸い取られて……」

「でも、キオー自身は、ディルムントの制御に失敗してるんだろ?」

 ディジーの疑問に、ゼゼが答えた。

「王子の精神力との相乗効果、ってことは考えられます。27年前は、一時的にせよディルムントに抵抗した精神の持ち主だもの、彼は」

「一時的」

 ユン、無意識にゼゼの言葉のその部分を繰り返す。

「……そうね。いくら相乗効果でも永遠には続かないわね。一度は完全に支配されたってことは、ディルムントのほうが上なのは間違いないし」

「王子が完全に支配されるまで、待ちますか? そうすれば、アーマさんの魔剣の完成版が使える可能性出てきますけど」

 ウォルフの提案もそれなりに一理はあったが、

「最終的にそれしか手段がなければ仕方がないけど、できれば王子の意識がある間に何とかしたいわ。完全に支配されたら、ディルムントの殺戮が始まるものね。もちろん、もう城には誰も残ってないんだけど。……どうしたの、ユン?」

 何か考え込んでいたユンが、顔をあげた。

「……なぜ彼は、城に帰ったのでしょう?

 意識があったのなら、そして、それが長続きしないことも知っているなら、再び彼がディルムントの支配に堕ちたときには、その場が戦場になることは見当がついたはずです。単に帰りたかっただけとも思えないんですが」

 ユンのつぶやきに、アーマが衝撃の言葉を放った。

「王子様、ディルムントごと自分を殺してほしいじゃないですか? フリーダのみんなの目の前で、みんなにわかるように……」


   ◇


 彼の名は、かつてジェダ・ローといった。

 今でもそれは変わらないのだろうが、そう呼ぶ者はほとんどいない。〈剣の王子〉とか、〈ディルムント〉とか言われているようだ。

 正確には〈ディルムント〉というのは彼が握る剣の名前で、そこに巣食うモンスターの名がディルムントなのだが、そういう区別を厳密にしている者はほとんどいなかった。同じものと、みなされているのだ。

 彼は帰ってきた。自分の城、フリーダ城へ。

 27年、という月日が流れたことは、数字としては認識している。だが実感はなかった。全てが夢の中のことのようだった。

 彼がはっきり覚えている最後は、あの、ディルムントとの戦いだ。

 魔力付与術師オルト・カレの作った魔剣を手に、単身モンスターに挑んだ。生きて帰れないかもしれない、と覚悟していたが、何とか命を落とすことなく倒すことができた。

 ……全てが狂い始めたのは、それからだった。

 ディルムントに斬りつける度に剣に吸い取られた、切れ切れに寸断されたモンスターの力。それが、じわじわと寄り集まろうとしていた。剣だけではディルムントの器としては足りず、それを握る彼にまで侵蝕してきた。

 すぐに彼は、自分の身体を自分のものとして動かすこともできなくなった。だが、まだディルムントの自由にもさせなかった。身動き一つせず、眠りについたような状態で……彼の身体はハープ村に運ばれ、そこで封印された。

 そして、暗い地下室の中で、彼の意識は闇に堕ちた。

 ディルムントが彼の身体の支配権を握ったのだったが、結界の中ではモンスターもどうすることもできなかったのだろう。

 時々、ディルムントも眠るか何かしていたらしく、彼の意識が表面近くにまで浮かび上がることがあった。そんなとき彼は暗い地下にいながらにして、外のいろんなことを感じることができた。

 もともとそういう能力があったわけではないから、これはディルムントの持つ能力なのか、モンスターと一つの身体の中にいることによって呼び覚まされたものなのだろう。

 彼が捕らえたのは、感情だった。国王が崩御したときの、国民の悲しみ。それから、プライ・シュリの死の知らせを受けたときの、家族の嘆き。どうやらプライは遠い土地にいたらしい……彼に分かるのは、せいぜいフリーダの中での出来事だったが、それで十分だった。

 みんな死んでしまったのだ! 父も、それからプライも。

 彼が感じたものは、他にもあった。

 〈剣の王子〉を疎む思い。あれは彼は会ったこともない、執政の娘だった。疎まれるのは、まだよかった。国民の中には、〈剣の王子〉の帰還を恐れる者が増えつつあった。モンスターに支配された王子!

 悲しいことではあったが、それは事実だった。国民がそう恐れるのを、非難することはできなかった。

 たとえばここ最近ハープ村にいた神官などは、彼を助けたいと思ってくれていたようだが、彼はもはやそれを望まなかった。

 自分はあのとき、死ぬべきだったのだ。そうすれば、後にまでこんなに尾を引くこともなかった。自分が中途半端に生きているからこそ、全てに終止符を打つことができないのだ。

 今からでも遅くはない。〈ディルムント〉が斬り殺したあの魔術師の力で、彼がディルムントを抑えているうちに、衆人環視の元で退治してくれれば。ディルムントとともに、ジェダ・ローなる一人の人間もこの世から抹殺してくれれば、この国は新しい王を立てるなり何なりして、始めることができるだろう。

 そのときが早く来ることを、彼は願った。

 彼のその声は、少なくとも一人の人物には、届いているはずだった。

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