300字くらいの掌編たち
永坂暖日
01~10
地下牢の主
バトルバルクの砦にある地下牢には、主と呼ばれる捕虜がいる。
「捕虜が主? なんだよ、それ」
砦に来たばかりの従士ジェイラルは、鍛錬の休憩中にそんなことを言ったアルトカーンに怪訝な顔をして見せた。アルトカーンも砦の新参者だが、ジェイラルより二月ほど先に来ていたので、先輩気取りでなにかとジェイラルの世話を焼きたがる少年だった。
「身代金を取るために捕まえた、サレストの騎士か何かだろ、どうせ。見張りより身分が高いから主とか言ってるだけじゃないのか」
「いや、僕もよくわかんないんだよ。でも、ここ数年は小競り合いだって起きてないだろ。それなのに捕虜が砦にいるなんて、おかしいと思うだろう」
バトルバルクの砦は、隣国サレストとの国境が間近にある最前線の砦だ。ジェイラルたちの祖父の代から、サレストとは小競り合いを続けていて、国境線は前進したり後退したりしている。しかし、アルトカーンの言うとおり、この三年ほどは、目立った小競り合いはこの最前線の砦周辺でも起きていなかった。四年前に即位したサレストの王は、戦をあまり好まない人物らしく、国境線上の諸問題はもっぱら話し合いによって解決されていた。
「そりゃ思うけど、じゃあ、その主と呼ばれる捕虜は何なんだよ」
「四年以上前に捕まえて、身代金を払ってもらえなかった捕虜とか?」
「そうだとしても、何年も地下牢で生きられるわけないだろ」
砦の地下牢は、文字通り地下にある。ジェイラルはまだそこに行ったことがないが、窓もなく閉め切られた空間に違いないその場所はさぞかし居心地が悪いことだろう。捕まえた捕虜の扱いは、身分によって多少変わるが、良い待遇をされることはまずない(地下牢に入れられる時点でお察しだ)。小競り合いで傷でも負っていれば、手当はしてもらえるだろうが、劣悪な環境下では数ヶ月と生き長らえることはできない。
「そうなんだよ。僕もそう思うんだけど、先輩従士に聞いても、そんなこと知るかって言われるしさ」
アルトカーンはそのときのことを思い出しでもしたのか、ため息をついてうなだれる。しかし、すぐに顔を上げた。
「だから、確かめに行ってみないか?」
「は?」
「主と呼ばれる捕虜が本当にいるのか、いるとしたら何者なのか、確かめてみようよ」
「……勝手に地下牢に行って、大丈夫なのかよ」
「見張りはいないよ。ちゃんと確かめたから、そこは心配ない」
どうやらアルトカーンは、前々から噂の真相を確かめたかったらしい。しかし先輩従士は誰も彼に付き合ってくれないから、唯一の後輩(実はジェイラルの方が歳は一つ上だ)であるジェイラルが現れたのをこれ幸いと、誘っているのだろう。
「地下牢に誰でも行けるのなら、その主とやらの正体はとっくに知られてるわけだろ。それなのに正体不明ってことは、見たらいけない知ったらいけないたぐいのものじゃないのか」
「ジェイラル、もしかして、怖いの?」
アルトカーンが、へえそうなんだ、と小馬鹿にしたような顔をする。あからさまな挑発だとわかっていたが、たかが二ヶ月先にバトルバルクの砦に来た一歳年下のアルトカーンに馬鹿にされて、黙っていられるわけがなかった。
「怖いわけあるか」
「じゃあ、確かめに行こう」
「おう。いますぐにでも行ってやるよ」
「そうこなくっちゃ」
アルトカーンの思惑にまんまとはまってしまい、しまった、と思ったがもはや後の祭りだった。
砦の地下は食糧貯蔵庫と台所、それに井戸がある。地下牢の通じる扉は、食糧貯蔵庫の奥まったところにあった。貯蔵庫の出入り口近くはすぐに使う食材などが積まれていて、隣は台所ということもあり、人の出入りは頻繁だ。しかし、長期保存のきく食糧が積まれている貯蔵庫の奥は、ひっそりとしていた。この付近の食べ物は、食糧不足や籠城する際の非常用なのだ。天井近くまで積み上げられたそれらに視界を遮られ、入り口近くからでは、地下牢の扉の様子はまったく見えなかった。
ジェイラルとアルトカーン、二人の従士が貯蔵庫へ入るのを見咎める者は一人もいなかった。台所で忙しそうに働く女たちは、何かの手伝いをしていると思ったか、忙しくて視界にも入っていなかったのだろう。存外簡単に、地下牢の扉にたどり着けた。
アルトカーンが事前に下見をしたとおり、扉の前に見張りはいなかった。鍵さえかかっていない。こんなにあっさりと中へは入れるのなら、下見をしたときにそのまま中へ入ればよかったのではないか。ジェイラルはアルトカーンの横顔をこっそり伺った。地下牢に何がいるのか、好奇心で紅潮しているが、ほんの少しだけ、瞳には恐怖も浮かんでいるように見える。もしかしてこいつ、一人で見るのは怖いから、ジェイラルを誘ったのではないだろうか。だんだんとそんな気はしてきたが、ここまで来たからには、今更つっこむ気にもならない。
アルトカーンが扉をそっと開けた。中から漏れ出てきた空気に、二人は一瞬顔をしかめる。長い間閉ざされていたせいで、地下牢の空気はこもっていて、すえたにおいが充満していた。アルトカーンが用意した手燭だけでは、とてもその全容を照らし出すことはできない。真っ暗な空間が、二人を飲み込もうとするかのように広がっていた。
見張りがいないということは、見張るべき対象がいないからだ。松明どころか蝋燭の灯りさえない地下牢に、主と呼ばれる捕虜がいるとは思えない。仮にいたとしても、こんな真っ暗な空間で長く正気を保っていられないだろう。ここが長らく閉ざされていたのは、こもった空気のにおいで明らかなのだし。
「……入ってみる?」
予想以上の暗さに怖じ気づいたのか、あるいは最初から実は怖かったのか、アルトカーンがやや気勢の削がれた顔をジェイラルに向ける。
「確かめようと言ったのはおまえだろう」
「そうだよ」
「もしかして、怖いのか?」
先程の仕返しとばかりに、ジェイラルは意地が悪い声で言う。
「まさか!」
「じゃあ先には入れよ。おまえが言い出しっぺなんだから」
「う、うん。よし、入るよ」
貯蔵庫の床は石畳だが、地下牢は剥き出しの土だった。踏み固められて、じっとりと湿っている。入ってすぐ、鉄格子のはまった独房があった。石壁で隣の独房としきられている。一つ一つの独房はひどく狭く、奥行きもない。両手を伸ばすことはできるが、伸ばしたまま一回転するのは到底無理だ。
そんな独房が、三つ四つ並んでいて、まだ奥にもあるようだ――。
「珍しい。来客か」
手燭の光が届かない奥から、男の声がした。アルトカーンがひゃあと驚いた顔を上げて、蝋燭の灯りが大きく揺れる。男のくぐもった笑い声が聞こえた。
「い、いた……」
「おい、奥に行けよ」
ジェイラルはアルトカーンの背中をこづいた。手燭を持っているのはアルトカーンだけなのだ。
「行くの?」
「何をしにここまで来たんだよ」
小声でひそひそと話していると、また、奥から男の笑い声がした。
「ここへ来いよ、坊やたち。退屈しのぎの話し相手になってくれ」
長く地下牢にいたとは思えない、張りのある声だ。まだ姿は見えないが、声の様子から、男盛りの年齢だろうかとジェイラルは当たりを付ける。
アルトカーンの背中はほとんど押すようにして、二人は奥に向かった。それほど奥まっているわけではない。数歩歩けば、男の姿はおぼろげに見えてきた。しかし、手燭の灯りで男の姿が徐々に浮かび上がるにつれ、アルトカーンの足取りは重くなり、ジェイラルも目を見張った。
地下牢のいちばん奥の独房に、その男はいた。独房の狭さは他と変わらない。鉄格子の太さも、その間隔も。
鉄格子の間隔も狭く、掌は出せても腕を出せるほどの余裕はない。しかし、最奥の独房にいる男は、腕を独房の外に突き出していた。左腕だ。その手で、こっちへ来いよと手招きする。アルトカーンとジェイラルは、男のいる隣の独房の前までは来た。しかし、そこから先へはもう進めそうにない。アルトカーンは押しても一歩も前に踏み出さないし、ジェイラルも、そんなアルトカーンを弱虫め、と笑うことができなかった。
「なんだ。来ないのかよ」
男が残念そうに言う。
男は左腕だけを独房の外に突き出しているが、その左腕は、手首と肘の間ぐらいのところを鉄格子に貫かれていた。まるで、鉄格子を刺されたように。だが、男の腕からは血の一滴も流れていない。男も、独房に入れられているというのに、たくましい体付きで目はギラギラとして、いまにも暴れ出しそうなほど元気があるように見える。
「新入りの従士か? 地下牢に主がいると聞いて、見に来た口だろう。バトルバルクの砦の伝統行事だな、もはや」
完全に固まっているジェイラルたちを見て、男はおかしそうに笑った。
「どうしてこんなことになっているのか、不思議だろう。理由を教えてやろうか? 知りたくないと言っても、俺は退屈だから話すがね」
ジェイラルたちの返事など待たず、男は勝手に続ける。
「俺はサレストの騎士だ。もう――もう何年前になるのかわからないが、見ての通り捕まってここにぶち込まれた。俺がサレスト王の縁戚と知ったこの砦の連中は当然ながら身代金を要求したが、大伯父はケチな男でな。敵に捕まるような情けない騎士に払う金はない、と突っぱねたんだ。そうなると俺はどうなる? 金にもならない捕虜を生かしておく理由はないよな。当然、俺は殺された。ぶすりと心臓を刺されてな。ところが、俺はそこで一度倒れたものの、すぐに起き上がったんだ。俺にとどめを刺したと思った男のそのときの表情は、いまでも思い出すと笑えるよ。まあ、またすぐに刺されたが。それでも俺は死ななかった。男は半狂乱になって、俺の首を落とした。それでも、俺は死ななかった。首が繋がって、起き上がったのさ。殺しても殺しても、俺を殺せない。金にはならないが、かといって解放するわけにもいかない。そこで、砦の連中は、俺をここにぶち込んで、逃げられないようにこうして鉄格子で縫い止めたのさ」
「……どうして、あんたは死なないんだ?」
自慢話をするような男の独壇場にジェイラルが割って入る。男は不快な顔をすることはなく、おや、とおもしろそうな表情になった。
「いいことを聞いてくれたな、坊や。何故俺は首を落とされても死なないか。不思議だろう。不思議だよな。だが、なんてことはない。俺は、他人より怪我の治りが少し早い。それだけのことさ」
「それにしちゃ、常軌を逸する早さだろう」
「坊やはなかなか度胸が据わっているな。大抵の従士は、そんなことは聞かないで、俺の話の途中で逃げ出していくぜ。――まあ、少々怪我の治りは早い。もちろん生まれつきじゃない。大伯父が飼っていた魔術師のおかげさ。怪我をしてもすぐに治る戦士を作れば、戦力が不足することはない。そんな単純な考えで、俺は魔術師に体をいじられた。そしてこの通りだ。もっとも、俺のようになった者は、他にいなかったがな」
「……痛くないのか、腕」
「ジェイラル。もういいだろう。戻ろうよ」
「あいつは動けない。見ればわかるだろう」
「痛くはないさ。刺されたときは痛いがな。怪我の治りは早くとも、痛みは少しも変わらないのは厄介だ。どうだ、なんなら近くで見てみるか?」
男の腕は鉄格子で貫かれている。右腕を突き出すような隙間はない。興味を引かれたジェイラルは、アルトカーンを押しのけて、男の独房に近付いた。
「ジェイラル! もう戻ろう」
アルトカーンがジェイラルの袖を引く。ジェイラルはそれを振り払った。
「これくらいで怖いと言っていられるか」
「でも、君に何かあったら……」
不安そうな顔のアルトカーンを無視して、ジェイラルは男の前に立った。左腕は確かに鉄格子で刺し貫かれていた。しかし、まるでそこから生えているように男の腕の肉はぴったりと鉄格子を包んでいる。手燭はアルトカーンが持っていてジェイラル自身で影を作っているせいで、少し見えづらかった。
「見えにくいだろう。もう少し近付いてもいいぞ」
男の左手が招く。ジェイラルはその言葉に誘われ、半歩ほど前に踏み出した。
次の瞬間、喉を鷲掴みにされた。アルトカーンが叫ぶ。しかし、ジェイラルは声も上げられなかった。
「見たところ、なかなか仕立てのいい服を着ている坊やだ。いいとこの坊ちゃんじゃないのか?」
男の握力は驚くほど強かった。怪我の治りが早いだけでなく、もしかしたら、男は衰えもしないのかもしれない。そうでないと、長年閉じ込められていたのに、男が最前線で戦っていてもおかしくない体付きをしているわけがない。
「そっちの坊や。この坊ちゃんを絞め殺されたくなかったら、ここの鍵を持ってこい。それと、剣だ。この際坊やの剣でもいいぞ」
男の口調は、身の上話をしているときとさほど変わりはなかった。アルトカーンは蒼白になって、いままで以上に凍りついていた。
「さっさとしろ、坊や。ガキの喉を潰すのなんて簡単なんだぞ」
「アル……やめ……」
声を絞り出そうとしたが、喉を掴む力が強くなり、ジェイラルは咳き込んだ。
「わかっているだろうが、誰にも知らせるな。誰かを連れて戻ってきたら、その瞬間にこいつの喉を潰す。いいな。わかったら、さっさと鍵を取ってこい!」
男の怒鳴り声に打たれたように、アルトカーンが慌ててきびすを返した。あかりが亡くなり、地下牢が真っ暗になる。目の前にいる男の顔も、ジェイラルの喉を掴む腕さえも見えなかった。
「さて、今度こそ成功するといいが、どうだろうな。あの坊やは一人で戻ってくると思うか、坊ちゃん。いままで五回、こうして捕まえるのには成功したが、鍵を取りに行かせたら、全員が人を連れて戻ってきたよ」
今度こそうまくいくといいな、と笑う男の声が、真っ暗な地下牢に響き渡った。
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