第22話 祈るか、生きるか。
「ほぉぉぅ、これはこれは――なかなかですね」
操縦かんの下から引っ張り出され金色の頭を空の下に現したパルムシェリーは、感慨深げに辺りを見回した後、背もたれに向かって首をそらしてにこにこと。
「ホントにな」
空の上の興奮を隠しきれない谷の子は、夕焼けに染まる山々や美しい森、それからその間を流れていく川といった眼下の景色と、操縦かんを握る相棒の後頭部を見比べて。
――ふと。
「? ……どうした? あんまり騒がないじゃねえか?」
と、思っていたよりも喜びが薄い相棒の方へと身を乗り出した。
「え? そ、そうですか? こう見えて、私は今とても感慨深い気持ちですよ」
と、慌てて景色に視線を向けるパルムの耳をいぶかし気に眺めたディンは。
「……成程ね」
とちょっと白けた気持ちになって操縦席の背もたれに両手を乗せる。
「な、なんですか?」
「あの白い魔獣の方が、高く飛んだんだろ?」
と、意地悪極まりない低い声でささやくと、夕焼けに染まった金髪頭は微かな無言の間を作り。
「まあ、確かに。私にはもっと高くを飛んだ経験がありますけど……」
と気まずそうに告白をした。
「ふ~ん。そいつはすげえや」
と、ふてくされた声が背中から離れていくのを感じたパルムは、軽くため息をついて。
「もう。仕方がないじゃないですか。確かに私はディンさんの様にはしゃいだりはしませんが、心の底まで幸せが染みわたっているのですよ」
くるりとディンを振り返り、軽く小首をかしげて見せる。しかし哀れな焼きもち男は、座席にそっくり返ったまま。
「そうかい、そいつはよかったぜ。っつうか、手を離すなよ。あぶねえだろ」
と唇を尖らせて、パルムの背もたれをげしげしと蹴ってくる始末。
「危ないのはそちらです。何かのはずみで私が落ちたらどうするつもりですか?」
「はっ、んなわけねえだろ。ほら、ここにあのメガネがかましてきた見えない障壁みてえなのがついてるじゃねえか。飛竜だってそうだったろ?」
いつまでもすねた口調で見えない壁をこつこつと叩いて見せる相棒の態度にさすがにむっとしたレディは、
「まあ、私はこれよりも遥かに高いところから飛び降りた経験がありますので、ちっとも怖くないですけど」
と、ふふんと自慢の金髪を指で払う。
すると子供の様にすねた男は。
「……うるせぇな」
と言って、そっぽを向いてしまった。
「なんなんですか、もう。はいはい、分かりましたよ。分かりやすく喜びます。わーいわーいディンさんディンさん、お空の上ですよぉ。とっても楽しいですねぇ~」
「……お前な」
間抜けな顔で両手をひらひら踊り始めた生意気女の鼻を摘まんでやろうと、ディンが手を伸ばした時。
がくん、と。
「っ!?」「きゃっ!!」
突然、何かにぶつかったかのように挙動を乱した古の乗り物の中で、二人の身体が大きく揺れた。
「パルムッ!」
とっさに伸ばした腕で、パルムの肩を掴んだディンは。目が覚めたかのように頭と視線を動かし始める。
鳥も、風も問題ない。楽しい楽しいお空の旅で、何かにぶつかったってわけじゃない。
となると――。
「代われっ!」
「は、はいっ!」
問題は、この機械の鳥だ。
思い当たる原因の筆頭は、この金髪バカ女が調子に乗ってペダルから足を離したこと。
見えない天井と背もたれの間を器用に抜けたディンは、バタバタともたつくパルムの足を片手で後方席へと押しやりつつ。
「……ちっ」
思いっきりペダルを踏みつけてみたが、永い眠りから蘇ったばかりの鳥は、まるで疲れ果ててしまったかのように見る見るうちに飛ぶ力を失っていく。
「だ、駄目ですか!?」
「ああ」
なんとか後方席で体勢を入れ替えた金色頭が手当たり次第に機器のスイッチを動かす黒髪の横へと伸びてきて。
「っ! そ、それです! ディンさん、それ!」
「どれだ!?」
相棒の指の先に視線を走らせたディンの耳元で、パルムは大きく首を振り。
「ち、ちがいます! その計器の文字盤は、もっと光っていました!」
パルムの言葉で事態を察したディンは、大いに舌打ちをして頭の周りの障壁を手で確かめ始める。
「……はっ! も、もしかして魔導機関の力が失われたのではないですか!? あ、あの板をっ――!? あああああ、な、なんで返してしまったんですかっ!? バカバカバカ!」
「うるせえな! あんなモン持ってたら、あの女にも眼鏡の仲間にも一生追いかけられるだろうがっ!」
「今、まさに、その一生が終わろうとしているじゃないですかああぁぁっ!」
そんな事を言い合っているうちにも、へろへろと力を失った鳥は空の上を大地に向かって滑り落ち始めていて。
「うるせ――っ!? パルム、頭を下げろ!!」
「はいっ!」
先ほどまでは感じなかった強い風が黒髪を襲った瞬間、ディンは大きな声で叫ぶ。
まずい、これはまずい。風が来たということは、障壁が薄くなったのだ。
このまま辺りを包んでいた障壁がなくなれば、落下の衝撃ももろに食らうことになる。
「――かめっ――なすなよっ!」
「はいっ!」
加速度的に落下速度が上がっていく鳥の上では、口を開くことはおろか、もはや目を開けることもままならない。ついているべきだろう風防も無い。長い年月の果てに朽ちてしまったのだろうか。
見えない。目も、耳も、風の暴力の前ではどうしようもない。
周りの様子はどうなっていた?
今、どこへ向かって落ちている?
考えても考えても、風が教えてくれるのは、もしも山にでもつっこめばひとたまりもない速度だぞということだけ。
どこだ。どこに落ちる!?
森か? 運よく枝に突っ込めば、その衝撃で速度が緩むかもしれない。
だが、太い幹にでも直撃すれば、機械の身体ごとバラバラになるだろう。
例え運よく生きていたとしても、丘を滑り落ちるソリですらそうだったように、二人は離れ離れに吹っ飛ばされて、大けがを抱えたまま深い森の中をさまよう羽目になってしまうだろう。
それでも、生きているのなら。その可能性が、ある方へ。
おい、神様。空の神様よ。せめてこいつは――。
片目を開くこともままならない中で、ディンが信じてもいなかった神に祈ろうとしたときだった。
「かわっ! 河ですっ! ディンさん!」
「――み……のかっ!?」
口を開けば唇を裂かれてしまいそうな風の中で問い返したディンのすぐ後ろから、パルムシェリーのはっきりした声が響く。
「はい、なんとかっ! 丁度良い風除けがありますのでっ!」
「――……っ!?」
偉大なる冒険家・パルムシェリーに降りかかるあらゆる災厄を跳ねのけるために生まれた男の声はすでに聴きとることはできなかったが、歴戦の冒険家には、彼が聞きたいことも言いたいこともわかっている。
ようするに、どこに落ちれば無事で済むか。
「左のっ! かなり先です! なんとかもっと飛んでください!」
「――!?」
「操縦かんをのけぞる様に引っ張った時に、空へと向かいましたっ!」
叫んだパルムは相棒に言われるよりも早く背もたれの後ろに身を潜め、ぎゅうっと力強く操縦席を抱きしめた。
決して振り落とされないように、万が一にも離れ離れにならないように。
全力で、あなたを信じていますよという思いを込めて。
「はっ! ――いしてるぜパルムシェリー!!」
真っ逆さまに落ちていく機械の中に、幻聴が響いた気がして。
ドシャアアアアアッ!
轟音と共に、内臓をぐちゃぐちゃにしてしまいそうな衝撃が二度、三度と身体を揺らし。稀代の冒険家は舌をかまないように唇を結び、両腕に必死の力を込めた。
そして。
「…………パルム、無事か?」
「………その声がするという事は、ここは天国ではないようです」
しびれる頭を振りながら目を開けてみれば、美しい夕焼けを背負った相棒が、ずぶ濡れの黒髪を揺らして笑っていた。
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