第1話 二人のお仕事
ペステリア歴二百六十六年 八月末日。
「っ、らっ、せっっ!!」
それまでのモノより一際大きな掛け声と共に、しぶきを上げた材木が水面から空へと投げ飛ばされた。直後、グボン、という低い音と共に材木の塊が作業用の足場へ引っ張り上げられたのを見届けると、水面に並んだいくつかの男の顔の中の一人の少年――ディンは『ハッ』と嬉しそうな笑みを見せた。
「ヨー! いいじゃねえか! てめえらも早く上がって来い!」
真っ先に足場に飛び乗った禿げ頭の組長も、満面の笑みでディン達を呼んでいる。
「『上がって来い』だってよ!」
それは、東にそびえる山脈からランビアの国を真横に横断する大陸でも有数の河川『フォリオ川』の川辺の一幕。
毛皮に着いた水を振り払う獣の様にぶるぶると黒髪を振ったディンは、自分の解するジオ語で声を掛けてくれた青年トレスの後について浮場の簡易階段を上り、今まさに組み上がっていく橋の上へと濡れた身体を持ち上げた。
良く晴れた昼の日差しの中に、荒々しい職人の怒鳴り声とドカンドカンと釘や杭を打ち込む槌の音が響いている。
一月ほど前、このアレリアの街の『材木屋』に働き口を見つけてからほとんど毎日大小様々な丸太を担いで街を歩き、あるいはそれを引っ張り川を泳いで運びに運んだ材木もこれで最後。後は橋大工達が左右の橋梁へと組み上げるだけ。それで向こう岸とこちらを結ぶ小さな橋の完成だ。
この橋作りに最初からかかわってきたわけでは無いし勿論未だ橋が架かったわけでもないけれど、『仕事が終わった』という充実感と達成感が濡れた身体を熱くして、拙いジオ語で背中を叩いて話しかけてくる同僚の笑顔が、自然と旅の労働者であるディンにも笑顔と歓声を呼んでくれた。
「よーし、そろそろおいとましねえと橋屋達に睨まれっからな! 行くぞ野郎共! 今日は組の驕りだ! パーッと飲んで食って思いっきり寝ちまいやがれ!」
言うが早いか、禿げ頭に髭面で騙し絵みたいな顔の組長はボチャンと川へと飛び込んで。
「ハーッハッハ! 向こうの岸まで競争だぁ! ビリの奴ぁ故郷の歌を一曲歌え!」
と水面に浮かべた顔を撫で叫び、綺麗な抜き手ですいすいと泳ぎ始めた。途端にそれ組長に続けとばかりに歓声を上げながら我先にと飛び込んでいく総勢十三名の『材木屋』の男達のしんがりで、立ち遅れたディンの背を叩いたトレスが叫んだ。
「ヘイ! 行くぞ、ディン! 俺達の天使がケチャップまみれで待ってるぜ!」
苦笑を浮かべて頭を掻いたディンも、空に届けと言わんばかりに飛び上がった先輩に続いて走り出す。そうしてダンッと自分達が運んだ板を蹴って、思いっきり川へと飛びこんだディンは。
「……ぁん?」
透明な水の上をぷかぷかと己のこめかみへと泳いできた、変てこな形の木造品をつまみ上げた。
「……なんだこれ?」
滑らかな丸みを帯びた長い胴の左右に小さな胸ビレが一枚づつ、尻ヒレもついていて一見すると丸々太った魚の様なその形。
「ヘイ! どうしたディン! ボヤボヤしてっと首都まで流されっちまうぜ!」
同僚の声でためつすがめつ見ていたそれをポケットに突っ込んだディンは、気温が下がる程に青さが増す空の下をザンザと泳ぎだした。
――ランビア国の首都の遥か東に位置するアレリアの街は、かつて林業で盛えた街だった。山にほど近いため土地が耕作には向いていなかったモノの、都市部へと続く水路があった。そこで、港から都市へと木材を供給する街と成り、十分すぎる程に首都が栄えた現在となっては、果樹園や造船業を主産業とするのどかな田舎街といったところである。
とはいえ、早くから世界連合に加わっていたこともあり、同じ田舎街と言ってもその街並みは山の向こうに広がる『化石の国』ジオのそれよりずっと都会的かつ近代的なのもまた事実。
なので、坂が複雑に絡んだ街中では、ジオの王都ではほとんど見ることの無かった
ジオからの移民や出稼ぎも多い街ではあるが、交わされる言葉はジオ語では無い。似た響きの単語が多いので何となく何を言っているかは分かるにしろ、こちらから話すとなるとそれはまた別の話だ。
だからというか捻くれた性格が故なのか、いつの間にかディンは群れのしんがりを歩くようになっていた。
そんなディンの前を歩いていたトレスがオレンジ色の民家の前で不意に立ち止まり、窓に自分の濡れた髪を映しながら。
「へっへっへ、よ~し、今日こそは俺の美声で天使ちゃんを酔わせてやるぜ」
それを聞いて、ああ成程、とディンは眉を持ち上げた。泳ぎは得意のはずのトレスがビリになったのはそういうことかと合点がいった。きっとこいつは、泳ぎよりも歌の方が得意なのだと。
肩を竦めたディンの横、ガサッと前髪を掻き上げたトレスが、キザな目を作りながら。
「なあ、ディン。あの子はどんな音楽がお好みだい?」
「さあな。陽気な曲を聞きゃどこでもふりふり踊り出すし、悲しい曲なら泣きそうな顔をする様な奴さ」
「ふうん……そうか、つまりムード一杯のセクシーな歌を聞かせりゃあ……へへっ、悪いなディン、彼女のハートは俺が頂いちまいそうだ」
などと言いながらバチンバチンとウインクをしてくるトレスの顔を、ディンは苦笑を浮かべて見上げてみる。作りは悪くないし、髪形や服装にもこだわっていて洒落た感じが嫌味にならない程度に上手く出ているうえに、背も高くて労働者らしくガタイも良い。
「……そうだな。お前があと百年くらい古くなったら、興味を持ってもらえると思うぞ」
「うん? なんだ、古い歌の方が好みなのか? そうか、そうだな……何がいいかな……」
大真面目に呟きながら腕組みして歩き出したトレスに、ディンは真顔で頷いて。
「ああ、とにかく古いもんが好みだからな。後は空でも飛んだらイチコロだ」
「ん? 空を? そうか、百年位前の空を飛ぶ歌か……う~ん、俺の無限のレパートリーにあったかな?」
「頑張れ。どの国の歌でも喜ぶだろうけど、ちょっと発音を間違えたらネチネチ馬鹿にしてきやがるぞ、あいつは」
そんなディンのアドバイスも聞いているのかいないのか、ディンが来るまで《材木屋》の一番の下っ端だった男は『あれは違うこれでもない』とすっかり選曲に夢中になっていた。
その様を横目で見ていたディンは、ふと手に当たった感触で先程河で拾った変てこなお魚型の工芸品をポケットからつまみ出して。
「そういや、トレス。これさ、何だか分かるか?」
すると、ちらりとディンの指先に目をやった音楽家気取りの若者はニマッと笑って。
「へっ、そいつぁアレだ、あの河の主ってやつさ」
小馬鹿にする様な声でそれだけ告げると、再び窓に映る己の髪形に夢中になってしまった。
「……?」
そんな先輩に首をひねって肩を竦めたディンが、カラリといつもの飯屋の扉を押し開けると。
「あっ、いらっしゃいませ。えへへ、遅いですよ~、ディンさん」
と、ふわりと吹き出した香辛料の香りと共に、両手にグラスを持った金髪給仕が嬉しそうに走り寄ってきた。
いつもの様に黒いふりふり給仕服に白の前掛け、片耳の後ろで括った金色頭の上には役に立っているのか良く分からない小さなサイズの白布帽子をちょこんと乗せて、満面の笑みを浮かべている。
珍しくと言っては失礼だが、今日はその制服にケチャップの染み一つも見当たらない。
「なんだよ、パルム。今日はまだコケてないのか?」
瞼を持ち上げからかうようにディンが聞けば、彼の旅の相棒兼ウエイトレスのパルムシェリーはくすりと笑って。
「ええ、当然です。そんなディンさんこそ、今日は随分嬉しそうなお顔ですね」
「……そうか?」
「はい、仕事が決まった時と同じくらい嬉しそうな顔をしていますよ」
などと言いながら、グラスの両手を広げてえへへと笑い。
「だから、私も嬉しくなっちゃいました」
「ははっ。そりゃ良かった」
首を傾げて苦笑を浮かべたディンは『こちらですよ~』ときびきび歩く相棒に続いて材木屋の連中が待つ店の奥のテーブル席へ。ほぼ毎日大体同じ時間に同じ面子で座るいつもの席でいつもと違うのは、すでに料理が用意されている事。あとはそれがやたらと大皿な事か。
「はいはいディンさん、ボーっとしてないで早く座って下さい。空っぽにしないとすぐに次のお皿が出てきちゃいますよっ!」
すでに味の濃い料理を大口に放り込みながらワイワイ騒いでいた男連中のテーブルに着席を促したパルムは、わざとらしくおすまし顔を作って見せて。
「あ、そういえば……今日はディンさんが歌を歌ってくれるそうですね」
「……? 俺が?」
眉間に深い皺を刻んだディンを横目に、パルムはテーブルを拭く振りをしながら。
「あれ? 違うのですか? 皆さんがそうおっしゃっていましたけど? ねえ、皆さん?」
「おうよ! そうだぞディン! 歌え歌え!」
口から飯を飛ばしながら、すでに酒も入った男共はやいのやいのと囃し立てる。
「……いや、俺は――」
「駄目だ、ディン! 今日でてめえはお別れだろ? ってえことは、俺たちゃ明日はもう可愛いパルムシェリー嬢と会えねえってことだ! なんてこった! 男がこの悲しみを歌にしねえでどうするんだよ!?」
「……いや、俺は別に――」
「そうですよディンさん。一月もお店に通っておいてお別れに何も歌ってくれないなんて、私はきっと寂しくて夜な夜な泣いてしまいます。それはもうディンさんが眠れないくらいの大声で毎日泣いてしまいますよ」
「……だから俺は――」
「うるせえぞ坊主! はむっ、俺達の天使がてめえの歌をご所望だ! はぐはぐ、言い訳は良いから飲んで食ってサッサと歌やいいんだよ! へっかくの飯が冷めちまうだろうが!」
「……食いながらしゃべんじゃねえよ」
舌打ちまじりに言ったディンは、すっかり不機嫌になって椅子に腰かけた。するとその背中から『はっはっは!』と爽やかな笑い声。振り向けば、壁にかかっていたギターをチャララとつま弾いた男が、髪を掻き上げ撫で付けしながら歩み寄って来て。
「おおっと、こんな所に手ごろなギターが!? いやいや、これもきっと神様のおぼしめしと言う奴かな? ではもしよろしければ、この俺の歌を貴女に捧げようじゃあありませんか。アーアー、ウンッ、それでは空飛ぶ天使の様なパルム嬢とこの俺の愛が百年続くように、我が故郷に伝わる空飛ぶ歌を――って、うわああっ! お、俺の髪があああ!」
「ごちゃごちゃうるせえっつってんだろ坊主ども! 御託はいいから早く食って飲んで歌やいいんだ馬鹿野郎!」
親方が投げつけたケチャップの瓶が、トレスの自慢の髪を赤く情熱的に染めあげた愉快な昼下がりだった。
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