ドラゴンは動かない

月暈シボ

第1話 エルフの壷

 1

 門衛が門を閉じる準備を始めた頃、俺は間一髪で日暮れまでにウェスナーの街に辿り着いた。もっとも、この街は村に毛が生えた程の規模なので城壁も低く門衛も一人しかいない。少しでも腕に覚えがある者なら、人々が寝静まった真夜中に易々と侵入することが可能だろう。もちろん、今日に限ってはそんな荒事を敢えて犯す必要もなく、俺は中年の域に差し掛かる門衛に通行税を渡し、無害な行商人として合法的に街に入り込んだのだった。

 この際、通行税に色を付けて門衛のご機嫌を取るのを忘れない。そして挨拶を交えながらこの街で一番評判の良い旅籠屋の場所と、最近の街の様子を訪ねる。当然だが、心づけをされた相手に無愛想になる者はいない。この程度のことは旅をする者にとっては常識であり必要経費なのだ。

 口が軽くなった門衛は期待どおりの情報をくれた。何でもこの街は三日ほど前に領主の屋敷に盗人が入ったらしい。それで街を出る者には彼が目を光らせていたそうだ。

「そうなのですか、最近はどこも物騒ですね。ご苦労様です!」

 俺は内心の喜びを隠しつつも、愛想の良い若い商人を装って門衛に別れを告げる。尻に火が付いている俺としては直ぐにでも詳しい話を聞きたかったが、それは旅籠屋までのお預けとする。何事も相応しい場所と時期、そして人物がいる。俺は期待して教えられた道順に従い旅籠屋へ急いだ。西の空は既に夕闇が迫っている。今日一日の疲れと明日への英気を養うために酒場が混み始める頃だ。領主の屋敷に盗みに入ったコソ泥の話を語ってくれる酔っ払いには事欠かないはずだった。


 旅籠屋〝カササギの子守歌亭〟は旅慣れた俺からすれば、中の下といった規模の宿だ。構造も一階は酒場を兼ねた食堂、二階は客室とこの地方ではよくある造りだった。内装等で使われている木材の変色具合からすると、築十年から十五年ぐらいだろう。まあ、及第点といったところか。

 宿の質に満足した俺は早速、旅籠屋の主人と今夜の宿泊について交渉を始める。俺が求めるのは一人用の個室だが、最初から個室を頼むとボったくられることがあるので、大部屋の値段から問い合わせる。資金的には相当に余裕があるのだが、裕福な一人旅人と思われると余計な厄介に巻き込まれることがあるのだ。世の中、目立つって良いことは何もない。そして妥当と思われる値段で個室を確保すると、俺は荷物と旅装を解いて一階の酒場へ繰り出す。今日は約束の期限の日だ。なんとしても夜中までに何かしらの〝ネタ〟が欲しかった。

 カウンター席で早めに夕食を終えた俺は麦酒の杯を片手に酒場内を物色する。例の話を聞かせてくれる〝カモ〟を見繕うためだ。酒の席とは言え、身内で盛り上がっている中に話し掛けても煙たがれるだけである。理想は一人で飲んでいる暇そうな年配者だ。何しろ年寄りの多くは話したがり屋で、自分を構ってくれる相手ならだれでも歓迎する。軽く煽ててやれば、お気に入りの娼婦の名前まで教えてくれるだろう。次点は奇数人のグループだ。ペアを組むと単純に一人余ることになる。その一人に近づけばかなり確立で話に食い付いてくる。あとは、こちらが望む噂話に誘導するだけだ。

 それらしい者が見つからなければ、宿の主人を話し相手にすることもある。彼らは街の噂や情報に対して常に目と耳を研ぎ澄ませており、職業からして口も上手く語り手としても優秀だ。だが、逆にこちらの存在を印象付けてしまう問題点があった。俺がやっていることは噂話の収集に過ぎないが、見方によればその街の秘密を暴こうとしているようにも見えなくはない。そのため、知らない内に地元の裏組織に睨まれることが稀にある。たいていの宿屋や酒場はこういった裏組織との繋がりがあるので、宿屋の主人は街に入った異端分子の監視役でもあるのだ。厄介な誤解を避けるためにも、最後の手段としたかった。

 そんな俺の目に、少し離れたテーブル席に一人で座る酔客が止まる。やや大柄な体格で歳は五十を過ぎたあたりだろうか、年寄りと呼ぶにはまだ早いが、肉体の衰えを感じ始める頃の年齢の男だ。麦酒を満たした杯を持つ指は太くて短い。所々に皮膚が白くなっているのは火傷の跡だろう。俺は鍛冶屋の親方だろうと判断した。この手の職業の男は頑固者が多く警戒心は強いが、彼は時折暇そうに杯を見つめている。良い機会だった。

「こんばんは、昨日の雨は厄介でしたね」

「・・・ああ、雨だと鉄がいつもより意固地になる。俺も雨は嫌いだよ」

 俺は天気の話をきっかけに男に話し掛ける。最初は訝しげな眼を俺に向けた男だったが、自分が暇であることを思い出したのだろう。話に乗って来た。そして男の返答から彼が鍛冶屋である確信を得る。

「鍛冶屋をされているのですね・・・どうです?最近の景気は?」

「ああ、そうだ。俺はこの街の鍛冶屋だ・・・景気は良くも悪くもねえな。あんたの方はどうなんだい?」

「私は薬の行商人をしているのですが、雨で予定が遅れましてね。明日からしんどくなりそうです。約束の日に遅れると信用をなくしてしまいますからね」

「ああ、確かに約束は大事だな」

 男は俺の言葉で僅かに口角を崩す。彼を職人気質と見て取引に対する苦労と誠実さを出したことで警戒心を解けたようだ。

「ええ、まさに信用はお金に換えられない財産ですよ。あなたとは気が合いそうだ。もうちょっと話をさせてもらって良いですか?」

「ああ、構わんよ。俺も今日はダチが来てねえんで退屈してたんだ」

「ありがとうございます。とりあえず、一杯おごらせてください」

 俺は心の中で細く微笑むと男のテーブル座る。そしてあまり若くない給仕の女に追加の麦酒を二杯頼んだ。これで男の口が更に軽くなれば幸いだ。


 2

「ええ!そんなことがこの街で起きていたのですか?」

「ああ、起っちまったんだよ!こんな辺鄙な田舎街でも怪盗っての出るもんなんだ!まあ、俺としてはこれで、武器の発注が増えるんじゃないかって、少し期待しているんだがな!ははは!おっと、今のはここだけの話にしてくれよ!」

「もちろん!そんなこと誰にも言いませんよ。それで何が盗まれたのです?」

 しばらくは退屈な世間話で男の警戒心を解いた俺は肝心の噂話について誘導していた。やや大袈裟な反応だが、酔った相手にはこれくらいが丁度良い。男は嬉々として事件のことを語り始める。

「盗まれたもんは、領主が大事にしていた壷らしい。これはエルフが作ったもんで、人間では真似できねえほど、白くで繊細なんだと!まあ、俺は見たことはねえんだけどな。・・・ただ、これとは別の話だが、俺は若い頃に一度だけエルフが造ったとされる短剣を見たことがある。その短剣はミスリル銀で出来ていて、繊細ながらも恐ろしい切れ味を秘めていた。一目で人間が作れる代物じゃねぇってわかったよ!だから、領主がその壷を宝として大切してたってのも俺には納得出来るんだ!」

「ほう、エルフの壷ですか。でも、そんな高価な物なら宝物庫にでも隠していたのでは?」

 俺は相槌を打って相手の心象を良くしつつ、話が脱線しないように先を促す。酔っ払いを自由にさせると、つまらない過去の自慢を始めるからだ。

 そして、エルフ族についてはもちろん俺も知っていた。森を棲家とし、人間よりも器用で魔法にも長ける種族だ。彼らが作る工芸品は優れているだけでなく、人間社会に出回ることが少ないため高値で取引されていているのだ。

「ははは、それはここの領主を買いかぶりしすぎだ!大貴族でもあるまし、宝物庫を持つほどの宝なんてないって噂だ。まあ、俺達からすれば常識的な税で満足してくれる、ありがたい領主様なんだが、・・・宝と言えるのは先祖伝来の幾つかの宝石と集めた壷くらいだろう。一番のお気に入りの壷を書斎に飾っていたそうなのだが、それが盗まれちまって大騒ぎってわけさ!」

「なるほど、そういうことですか。でも盗まれたのはその壷一つだけなのですか?」

 俺は気になった点を男に問い質す。いくら地方領主とはいえ、書斎なら壷以外にも金目の物はあるだろう。屋敷に忍び込むリスクを考えれば、持ち出せるものはとりあえず懐に入れるのが盗人の基本だ。少なくても俺だったらそうする。

「ああ、俺が聞いた話じゃ盗まれたのは壷一つだけだそうだ。なんでも領主の娘の女家庭教師が夜中に、いち早く賊の存在に気付いて大声で人を呼んだらしい。そんで屋敷の男達が書斎を確かめたら、壷がなくなっていたってわけだ。書斎は二階にあったが、賊は悲鳴に驚いて一番価値がありそうな壷をひっつかんで窓から逃げ出したってわけだろう。下手をすると賊が領主の娘に狼藉を働いた可能性もあるし、壷だけで済んで良かったと言う奴もいる。俺にも年頃の娘がいるんで、この話を聞いた時は胆が冷えたよ」

「娘を持つ父親なら、そう思うのが当然ですよ。それで、事件があったのは三日前でしたね・・・その日、領主様は屋敷に滞在ではなかったのですか?」

「ああ、その日は領内の見回りで出掛けていたらしい。翌日帰って来たら大事な壷が盗まれていて、大慌てだったようだ。それで半日経ってから賊を捕まえるための非常招集が衛兵達に出されたんだが、賊も馬鹿じゃない、一晩あればとっくに街を抜け出しただろう。残念だが、もう賊が捕まることはないだろうな!」

「領主には不運ですが、被害が壷だけで済んだのは不幸中に幸いでしたね。・・・家庭教師の女性は恐ろしい目にあったようですが、よくぞ賊の気配に気付いたと褒められるべきでしょう。それで、彼女はどんな女性なのでしょうか?」

「確か、行かず後家になりつつある微妙な歳の女だな。屋敷で雇われている内に婚期と相手を探し出す機会を見逃しちまったらしい。女は下手に教育を受けるべきじゃねえな。がははは!」

「ははは、確かにそうですね!」

 俺は、男に合わせて笑い声を上げる。当初はそこまで面白い話とは思わなかったが、俺の勘がこの事件が単なる窃盗事件でないと告げていた。何か表に出てこない隠された謎があるに違いない。謎こそは〝あの女〟が最も好む〝ネタ〟だ。俺はこの事件関わる人物について、鍛冶屋の男に改めて問い掛ける。まずは家庭教師からだが、これまでに話からしてこの人物が事件の要にいるに違いなかった。


「お話を聞かせて頂いてありがとうございました。酔いが回ってきたのでそろそろ二階に上がろうかと思います。明日からは遅れを取り戻さないといけないので!」

「なあに、こっちこそ街の外の話を聞かせてくれて楽しかったよ!」

 頃合いを見た俺は鍛冶屋の男に別れを告げる。既に窃盗事件に関する話や情報は充分に聞き出しているし、時間的にもお開きする時刻だ。また、一時的ではあったがこの窃盗事件について熱く語る俺達に、隣のテーブルで飲んでいたグループが意見を述べてきたことがあった。幸いにして、この出来事は俺にとって情報の裏取りになる。噂話は人づてに伝わることで、主観が加わり元の話から乖離することがあるのだが、彼らの反応からすると、鍛冶屋の男が語った内容は街の人間に広く伝わっているこの窃盗事件の共通認識に違いなかった

「では、おやすみなさい。ゼフィーダの加護を!」

 俺は別れを告げるとテーブルを立つ。神など崇めていないが、相手が鍛冶屋なので匠と学問の神ゼフィーダの名を出す。信仰心を持っていると思わせることは何かと有利になることが多いのだ。

 とは言え、飲み代を支払って二階に上がる頃には鍛冶屋の顔は忘れていた。これから俺は一週間に一度の試練に立ち向かわねばならない、頭を切り替える必要があった。幸いにもギリギリで新しい〝ネタ〟を仕入れることが出来た。今は〝あの女〟が気に入ってくれることを願うのみだ。


 3

 客室に戻った俺は急いで準備を始める。まずは水差しから二杯ほどの水を飲み、次に表向きの商売道具としている薬の中から、乾燥させた香草を取り出すとそのまま口に一つまみ放り込む。独特の香味と苦味が口の中に広がるが俺はそれに耐える。大して酔っているわけではないが、酒の匂いは心象を悪くする。取り除く必要があった。

 続いて堅く絞った手拭いで身体を拭き清める。〝あの女〟は酒だけでなく汗の匂いも敏感だ。こういった細かい所にも配慮しなければならなかった。最後に新しい清潔な衣服に着替えた俺は背負い袋の中から鏡を取り出す。磨き上げられた金属の面に部屋のランプの光が映る。魔法に心得がある者が見たら、これが古の時代に作られた魔導具であることに気付くだろう。

 鏡を椅子に立て掛けると、俺は改めて部屋の錠前を確認し更にテーブルを使って外から入れないようバリケードとする。鏡の真の価値に気付かなくとも、全くの曇りと傷のない鏡面から高価な品であることは一目瞭然だ。これは貸し出されている代物であって、俺の持ち物ではない。もし盗まれるようなことがあったら、極めて厄介なことになるだろう。その頃に俺が生きている保証はないが、俺の不注意でこの街が滅ぼされたのでは、なんとなく気が引ける。俺は善人とは言えないが、人でなしではないのだ。

 全ての準備を整えた俺は鏡の前に立つと一度深呼吸を行う。このまま逃げ出したい欲求にも襲われるが、それは最悪の選択だ。今回も立ち向かわねばならなかった。

「主の元に!」

 この言葉に鏡は反応を示して淡く青い光を放つ。俺は覚悟を決めて鏡へと手を伸ばす。不意に高い所から落ちたような浮遊感を覚えながら、俺は鏡の中に吸い込まれていった。

 連続して転げ回ったような眩暈を払いながら俺は顔を上げる。もう何度も繰り返した鏡を使った転移だが『知らない別の場所に出るのでは?』という不安は拭いきれない。だが、俺の小心を笑うように目の前に広がるのは代わり映えしない光景だ。そこはいつもの広大な円形の広間だった。

 出口となった鏡の淡い光によって映し出されている広間は、人間が作り出したとは思えない広さと高さで、天井はドーム状になっていた。俺からすれば、どうやって柱も無しにあの天井を支えているのかは理解出来ないが、ここは古代人が造った遺跡だ。彼らは現代の人間よりも遙かに魔法に長けていたそうだから、深く考えるだけ無駄だろう。もっとも、この広間に入って天井の謎に気付く者はそうはいないはずだ。なぜならこの広間の多くは金で埋め尽くされているからからだ。黄金の煌めきは人から理性を奪う魔性の力があった。

 広間は散らばる黄金によって、まばゆいばかりの光で輝いているように見える。床は地の色が見えないほどの金貨や金の欠片で埋め尽くされており、場所によっては小山に盛られているほどだ。そして金以外にも宝石をちりばめた装飾品、剣や防具等の数々の宝物が無造作に、それこそ投げ出されるようにして置かれている。この情景を見た者は、圧倒的な富の前にそれまでの価値観を打ちのめされるに違いなかった。実際、俺もこの光景を初めて見た時のことを覚えている。最初は自分の正気と魔法による幻覚を疑ったものの、現実であると認識すると狂ったように笑い出してしまった。一度に持ち出せる量だけでも大金持ちに成れるのだから。

 俺は当時のことを思い出しながらも、鏡の光が消える前に近くに転がっていた水晶を手に取る。これは古代の魔道具の一つで、手にしながら合言葉を放つと魔法の光を放つ代物だ。魔術士達が使う〝灯り〟に相当する光だが、魔術に疎い俺のような人間でも魔力を消耗することなく使用することが出来た。魔道具としては、初歩的な品と思われるが、現代ではこのような半永久的に使える魔道具の製造方法は失われている。もしこれをここから持ち出して売れば相当な値が付くだろう。そしてこの広間にはそんな魔導具もそこらに散らばっているのだった。

 俺は水晶から溢れる光を翳しながら広間の中央に移動を開始する。金貨を踏みつけて歩むなど贅沢なことだが、今の俺にとっては当たり前のことだ。何しろそうでもしないとこの広間では身動きの取りようがないのだ。

 広間の中央には一際高い金塊の山があった。その大きさは二頭立ての馬車を二台ほど縦に並べた程だろう。そして明るい光の元に見ればそれが単なる金の塊ではなく、特定の形を持った存在であることに気付く。盛り上がった幅広で力強い胴、そこから延びるしなやかで長い尾と首を身体に巻きつけている。巨大な蛇のようにも見えるが胴からは、逞しい二本の後ろ脚とそれに比べるとかなり小さな前脚が生えている。また背中には折りたたまれた翼があり、この存在がドラゴンと呼ばれる伝説の魔獣であることを物語っていた。黄金に見えた山は全てドラゴンの輝く鱗であったのだ。

「・・・ご主人様、お時間です!」

 俺は喉の調子を試すように大声ながらも慇懃な態度でドラゴンに呼び掛けた。しばらくの静寂の後に、牛をも一口で飲み込む事が可能と思われる巨大な頭部がゆっくりと動き出す。突き出た四本の角が禍々しく恐ろしい。

「・・・あら、もうそんな時間?」

 人間の頭ほども大きさのある瞳が開かれ、エメラルドのような深い緑色の瞳と鋭い槍の穂先のような虹彩が露わになる。しばらくは周囲を見渡していた魔獣は俺の存在を捉えると、溜息を吐きながらそんな言葉を口にした。その声は一体どこから出しているかと戸惑うほど完璧な東方語で、尚且つ可憐で気品を感じさせる声だった。おそらく声だけを聞けば、貴族か良家の令嬢を連想させるだろう。もっとも、俺は吐き出しされた溜息が放つ高温に改めて恐怖を覚える。ドラゴンが炎を吐き出すのは知られた事実だが、ちょっとした溜息でさえも人間にとっては危険な高温を帯びた風となった。

「ええ、その通りです。今週も契約を守りに参りました。ご主人様がもう少しお眠りになられるのでしたら、出直しますが?」

 俺は恐怖を抑えながらも、淡い期待を込めてドラゴンに訊ねる。これでこのドラゴンが寝直すと言ってくれれば〝ネタ〟を集める猶予が出来るのだ。

「大丈夫よ!私、あなたの聞かせてくれるお話を毎回楽しみにしているの。あなたに出会うまでは、人間って直ぐに死んじゃうか弱い生き物だと思っていたのだけど、人間にも色々な生き方や出来事があるって教えてくれたじゃない?こんな多様性を秘めた面白い生き物は他にいないわ!今日も人間達が織りなした出来事を聞かせてちょうだい!」

「・・・かしこまりました」

 当然のことだが、俺に選択権はない。俺は嬉しそうに寝起きの伸びをするドラゴンに対して内心の失望を隠して恭しく頭を下げた。


 かつての俺は二千年前に滅んだ古代人の遺跡を専門とする盗賊だった。この地方では黄金のドラゴンを信仰する習慣があり、俺は僅かな手掛かりを頼りにその本殿とも言える遺跡を探し当てたのだ。これほどの黄金と宝物が今でも残されているとは予想外だったが、俺は果てしない富を掴みかけた。

 だが、二千年前に途絶えたドラゴン信仰の神殿に、そのドラゴンそのものが今もなお冬眠状態で存在していたなど誰が想像出来るであろうか。俺は神殿を探索中に不用意にもドラゴンを覚醒させてしまうと、彼女(そう、このドラゴンはその言動どおり人間に置き換えれば女性であり、それもどうやら年頃の若い娘に相当する)の財産である宝を盗もうとした咎を糾弾され殺されそうになる。俺はこの危機を乗り越えようと命懸けで謝罪と説得を試みて、従僕として仕えることを条件になんとか助命されたのだ。

 そして、永き眠りから覚めた彼女は、俺に自身が眠りに就いていた間の出来事を語るように要求する。この時俺は自分の知る限りの歴史知識や伝承を可能な限り面白おかしく彼女に伝えた。何しろ圧倒的な強者に生殺与奪を握られているのだ、気に入られるためなら何でもしただろう。目論見は成功してドラゴンは俺の語る話に夢中になる。・・・のだが、ドラゴンの好奇心は留まる所を知らなかった。更に目新しい話を求めるようになり、俺はいつしか一週間に一度、人間の社会で起った興味深い出来事を語る役目を押し付けられることになった。約束の日時までは自由な行動を許され、活動資金として金貨一枚を毎週与えられるので、最初は楽で美味しい役目だと思っていたが、一年ほど続けると有名な英雄のサーガや伝承も尽きて苦しくなっていった。しかもドラゴンはそのような大袈裟な話よりも人間社会に潜むちょっとした謎や奇異な出来事に興味を持つようになり、俺は毎週の〝ネタ〟探しに奔放することになったのだ。

 ちなみに、逃げるという選択肢はない。従僕となった俺は彼女の財産として扱われている。彼女は自分の財産を世界のどこにあろうとも把握出来るらしい。実際、俺は宝を神殿から持ち出そうとしたことで彼女を眠りから起こしてしまっている。契約を違えて逃げたところで怒れるドラゴンの追及を受けるだけだ。しかも彼女の機嫌が俺の身体を炎の息吹で消炭にするだけで収まる保証はない。俺がいた街・・・いや国が焼き野原にならないとも限らないのだ。

 このような過去もあり俺にとってドラゴンへの報告は週一度の試練なのだが、まったくの苦痛かと言えばそうではない。その理由の一つに毎回の報酬として金貨一枚が約束されており、食うには困らないことによるのだが、もう一つ別の理由があった。


 俺の返事を得た黄金のドラゴンは自分の存在を誇示するように背中の翼を広げ、次の瞬間に全身が内側から漏れ出すように眩い光を発する。俺は顔を背けつつも手を広げて影を作りその光から目を守る。それほど強烈な光だった。

 瞼越しに光が収まったのを感じると、恐々と目を開く。先程まで巨大なドラゴンがいた場所に一人の歳若い女性が立っていた。それまで視界を占めていたドラゴンが消えたことで、空間の広さを再認識するが、女性の存在感はそれを埋めるほど際立っている。もう数えきれないほど、その姿を目撃しているが見飽きることはないだろう。彼女は完璧な美を備えているのだから。

 足元に届くほど長い髪の毛は全く癖のない金髪。その髪に隠された身体は白大理石で作られた彫像のようで、描く曲線は艶やかでありながら、人体を構成する全ての部位が理想の均整を極めている。長い睫毛が印象的な顔は完全な左右対称。瞳はエメラルドのような鮮やかな緑色で、中央の鼻梁は見事な筋を示しその下の唇は瑞々しい色を放っていった。

「では、聞かせてちょうだい!」

 美しき女性は近く金貨の山に腰を降ろすと、俺を見つめながら促した。そう、この女性は先程のドラゴンが人間の形をとった姿だ。俺の声・・・正確には人間の声と発音は本来の彼女にとって小さく、聞こえ難いらしく、話を詳しく聞く際にはこの姿に変わるのだ。

 この人智を超えた美しい姿を自分の瞳に捉えることは、俺にとって金貨以上の報酬だった。実体は恐ろしい魔獣であるのだが、逆にその事実がより彼女の美しさを際立てさせているように感じられる。このドラゴンの名前は人の言葉で発音するならば〝イーシャベルクオール〟彼女達ドラゴンの言葉で〝全ての光に祝福された金色の乙女〟という意味らしい。納得するしかないだろう。


 4

「これがウェスナーの街を賑わしていた窃盗事件の概要で御座います。ご主人様はどう思いなられますか?」

 俺は先程、鍛冶屋の親方から聞かせて貰った話をドラゴンに伝えた。ありのままでは面白みに欠けるので、俺なりの脚色を加えているが、細かい内容や事実関係については手を加えていない。彼女は壮大なサーガよりも、こういった現実に起った謎を自分なりに解釈することに楽しみを覚えるようになっている。俺も彼女の好みを察知して謎を紐解くような対話型として披露していた。

「そうね・・・この話の中で最初に賊の存在を察知したのは、家庭教師の女よね。この者の証言だけが、賊の存在を示している。その証言が信用出来るかがまずは焦点になるわ」

「はい。私もそう思いまして、その事実について確認したところ。領主の娘も賊が慌てて逃げ出した音を屋敷の外から聞いたと証言しているそうです。もし家庭教師が狂言として壷の窃盗を働いたとしても、領主の娘が協力するのは不自然だと思われます」

「ほう・・・領主の娘も賊の気配を感じたと証言しているのね・・・」

 俺の返事にドラゴンは右手でその美しい金髪を撫でながら頷く。これまで髪で覆われていた身体の部位が垣間見えて、俺は内心の感情をこれまで以上に隠さなくてはならなかった。

「・・・しかし、この二人以外は賊の気配や存在を誰も察知していないのね?」

「そのようです。領主がその日は不在で、明くる日に帰宅したこともあって賊を追う手立てが遅れていました。また間に雨も降ってしまい足跡の痕跡等も見つかってないそうです」

「なるほど・・・賊の存在を示す証拠は家庭教師の女と領主の娘二人の証言だけ・・・そして家庭教師の狂言とするには娘が協力する理由が見当たらない。・・・これは面白いわね!本当に賊が盗んだのか?それともまだ隠された謎があって賊が盗んだことにされたのか?・・・非常に興味深いわ!」

 美しきドラゴンは嬉々とした表情を浮かべて、満たされていく好奇心を喜んだ。俺も家庭教師が怪しいと睨んでいたので、彼女がこの謎にどう迫るのか興味を持っている。俺の見立てでもこの事件は狂言の可能性が高いと思っているが、この場合どうして領主の娘が家庭教師の女に協力しているのかがわからない。鍛冶屋の男から聞いた話の中にその謎を解き明かす鍵があるに違いないのだが、俺には見つけることが出来ずにいたのだ。

「・・・領主とその娘は仲が悪いとか?」

「そのような事実はないようです。領主は妻をかなり前に亡くしており、むしろ娘を溺愛していたようです。また、娘は今年で十四歳ですが将来の大事な跡継ぎです。二人の関係は良好だと思われます」

「妻・・・番(つがい)の片割れがいないってこと?あなた達人間は番で揃って生活するのよね。新しい相手を見つけられないのかしら?」

「人間は必ずしも番、夫婦になるわけではありませんが・・・聞くところによると、領主は率先して再婚する気はないらしいですね。新しい妻を娶るとなると色々と金が掛かるでしょうし、その分を楽しみにしていた壷の購入に充てていたのではと思われます」

「人間はエルフが作った壷なんか大事にしているのね・・・私からしたらどっちも壊れやすい可哀相な存在だけど。・・・まあ、これは今回の話には関係ないか。でも領主という立場の者は、人間の中では有力者なのでしょう?回りの女は番になろうとしなかったの?」

「ああ、そうか!・・あ、いえ。失礼しました。ご主人様は家庭教師の女が領主の妻の座を狙っているとお考えになられているのですね?」

 俺は思わず上げた失言を取り消してドラゴンに問い掛ける。妻に先立たれた領主の元で働く独身の女が抱く野望としてはありえる話だ。使用人の中でも知識階級にある家庭教師は特別な存在だ。平民出身であっても田舎領主の後妻ならばありえない話ではない。

「そう。身近に実力のある男がいて、番になっていないのであれば、番おうとするのが人間の女の性質のはずでしょう?その家庭教師の女が領主との番を願っていたと思うのは当然だわ!」

「・・・ですが、領主の後妻を狙うのであれば、今回の狂言は無意味どころか逆効果では?何かしらの理由があったとしても、露見してしまえば叱責されるでしょう」

 俺はドラゴンの人間社会を熟知した卓見に驚きながらも、疑問点を指摘する。絶対的な力を持つ彼女ではあるが、論理的であれば反論にも機嫌を損なうことはなく、むしろ歓迎する傾向にあるからだ。

「ええ、そのとおり。この推測が正しいとしても、そのままではあり得ない。・・・けど、ここに領主の娘が家庭教師の女に味方しているという事実を付け足すと、新たな事実が浮かび上がるわ!」

「そ、その事実とは・・・?」

 俺はこちらを見つめるドラゴンの視線に生唾を飲み込む。彼女は既に会話の最中にこの窃盗事件の謎を解き明かしたのだろう。宝石のような瞳には満足気な知性の光が浮かんでいるように見えた。さらに付け加えるならば、彼女は類稀な美しい裸体を惜しげもなく晒している。俺はその存在に圧倒されるしかなかった。

「・・・知りたい?」

「そ、それはもちろん!」

「じゃ、教えて上げる。あくまでも私の推測だけど・・・この事件の鍵は盗まれたのはエルフが作った壷という点。脆弱な者が創造した物はやはり同じような運命にあると言うこと。そして・・・逆の発想、領主の娘が家庭教師の女に協力していたのではなく、家庭教師の女が領主の娘に協力していたと考えれば真実が見えてくると思うわ!」

「・・・それは、つまり・・・ああ、なるほど!そういう・・・家庭教師の女は領主の娘を庇うために、壷が盗まれたことするためにこの狂言を実行したとうわけですか?!」

 ドラゴンの指摘によって俺の頭の中にも天啓のような考えが浮かび上がる。

「ええ、あなたから伝え聞いたこの話を整合性に合わせて結論付けると、それが最も論理的な解答となるはずだわ。盗まれたことにしてしまえば、破壊された壷を領主が見る事もないでしょうからね。おそらく、領主の娘は親である領主の留守にその書斎とやらの部屋に入って壷を眺めようとしたのでしょう。でもその未熟な娘は誤って壷を壊してしまう。私からすると簡単に壊れる方がどうかしていると思うけど・・・いや、儚いから価値があるという考えは理解出来なくはないか・・・まあ、壊してしまうのよ。当然ながら、娘は困って家庭教師に相談をする。最初は素直に謝るように説得したかもしれないけど・・・ふふふ、あの時のあなたみたいにね。最終的に家庭教師の女はこの狂言を実行することになる。領主との番を密かに願っているこの女にとって領主の娘を味方にすることは好都合だった。ひょっとしたら娘が協力してくれたら父である領主を説得するとまで言ったかもしれないわね。こうして二人の女の利害が重なり、壷が賊に盗まれたという狂言が行なわれた。・・・とするのが妥当でしょうね!」

「・・・すると、壷は壊された状態とは言えまだウェスナーの街、あるいは領主の屋敷内にあるということでしょうか?」

「ええ、そうなるわね。・・・さすがに人間の世事に詳しくなった私でも、どこにあるかまでは推測しようがないわ。あなたならどこに隠すか捨てるのかしら?」

「・・・どこかに埋めるのが最適でしょうね。もしくは粉々に砕いて井戸にでも捨てますか・・・」

「なるほど・・・人間は見られては困る物は埋めるか、井戸に捨てるのね。覚えておきましょう・・・」

 最後にそう呟くと彼女は腕を上げて伸びをする。俺にとっては目の保養だが、直ぐに美女の身体から強い光が発せられて、目を顔ごと防がなくてはならなかった。おそらく、彼女にとって人の姿は窮屈なのだろう。話が終われば、恐ろしくも神々しい本来の姿に戻るのだ。

「では、また次の話を待っているわね。今回の話はまあまあ良かったわ。いつものように金貨を一枚だけ持っていっていいわよ!」

「お褒めに頂きありがとうございます」

 目を開けた俺の前には再び圧倒的な質量を誇る金色のドラゴンの姿あった。彼女の人間形態をもっと眺めていたい願望はあったが、それを口にするほど愚かではない。今回の試練を無事に乗り越えた安堵とともに俺は頭を垂れた。

「ではこれを!」

「うん、それは今からあなたのものよ。下がって良いわ!」

 俺は足元の金貨を一枚拾い上げるとドラゴンに示す。簡単なやり取りではあるが、これでこの金貨の所有権は彼女から俺に移ったのだ。そして黄金のドラゴンは元のように身体を丸めると眠りに就く。俺は一礼の残してその場を素早く後にした。


 再び〝転移の鑑〟を潜って客室に戻った俺は、直ぐに鏡を背負い袋に片付けると寝台に横になった。無事に試練を乗り越えた余韻を味わうために本格的に酔いたいところだが、それを我慢してひと眠りすることにする。どうしても確かめたいことが出来たからだ。

 一番鶏が鳴く前に俺は〝カササギの子守歌亭〟を後にして、俺はまだ薄暗い中を領主の屋敷に向かう。しばらく周囲を観察して侵入口の目安を付けると、低い塀を乗り越えて敷地内に侵入した。かつて盗賊だった俺からすればこの程度は造作もないことだ。そして当りを付けていた裏庭に向かう。

 端から裏庭を調べていた俺は微かな光の中に気になる箇所を見つける。それは遺跡の探索を行っていた俺だからこそ気付いた些細な違和感だ。俺は腰から短剣を抜くと人手で慣らされたその場所を急いで掘り始める。手の平分の深さを掘ったところで短剣の先が何か堅い物を捉えた。見つけたのは割れた陶器の破片だ。俺が知るどの陶器よりの薄く白い。完全な確証はないがこれが例のエルフの壷だろう。〝あの女〟の推測が正しいことがこれで立証されたのだった。俺は感慨深く溜息を漏らすと陶器を再び穴に入れ元の状態に戻した。その後は再び屋敷の塀を乗り越えて、何食わぬ顔で城門を目指す。東の空が白み始め、どこかで一番鶏が鳴いたようだった。

 今日から次に向けての〝ネタ〟探しの度が始まる。そのことを思うと胸が重くなるが、先程の危険を冒してまで行った補足はドラゴンを喜ばせることが出来るだろう。何事にも良いところと悪いところがある。俺は人間形態の彼女の笑顔を想像することで、それを乗り越えることにした。週に一度、世界最高の美女との謁見を許されているのである。それは男にとっては最高の栄誉に違いなかった。


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