ハリネズミの相聞歌
水円 岳
第一話 月曜日の憂鬱
学園祭が終わって。お祭りの後のがっかり感がみんなの背中に張り付いてる十月中旬。俺は、それとは別の意味ですっごく憂鬱だった。その憂鬱を五割増しにしているのが月曜日だ。
一週間の中で、月曜だけは好きになれない。なぜ? のんびりできた週末から、教室に缶詰になる生活に引き戻されるから……普通はそう答えるんだろうな。でも、俺の理由は違う。学校で過ごす時間は好きだよ。あいつと顔を突き合わさなくても済むならね。
部活の朝練があるから、俺は朝早くに家を出る。だから、出がけにあいつとばったりってことは滅多にない。それでクラスまで違えば最高だったんだけど、悪魔が裏で何かしやがったのかもしれない。去年も今年も同じクラスだ。
こいつとはどうしても合わないってやつが、世界に一人は必ずいるんだってさ。それは、俺が自分をどやしつけても、相手がどんなに頭を下げてきても、何をどうやってもダメ。合わない。徹底的に合わない。バラ色のはずの高校生活をここまで真っ黒けにするやつは、俺には一人しかいないし、そいつ一人で十分だ。
ぶつくさ言いながら玄関でバッシュにぼさっと足を突っ込んだら、背中にお袋のでかい声が当たった。
「けんちゃん、お弁当!」
弁当バッグを持ったお袋が、どたどたと走ってきた。おっと。あぶねえあぶねえ。一日メシ抜きはさすがに耐えられん。
「今日も遅くなるの?」
「いつもぐらいだよ。大会は終わったし、あとは定番の練習だけ」
「がんばってね」
「うす」
俺が冴えない表情だったのを見て、お袋が首を傾げた。
「どしたん?」
「俺が不機嫌になる理由なんか一つしかないよ」
「ああ、茜ちゃんか」
はあっ。
でかい溜息をついたら、背中をばしんと張り飛ばされた。
「朝っぱらから景気悪い顔してると、運が逃げるよ」
「あいつと同じクラスってだけで、運気どん底だよ」
「あーあ」
「行ってくる」
「ほい。気ぃつけてね」
だだっと駆け出したのはいいけど。すぐに足が止まる。
「はあっ」
月曜の朝は、やっぱりどうしようもなく気が重い。これから毎日あいつとどんぱちやり合わないとならないってのは、ハゲそうなくらいどでかいストレスだよ。
いや、合わないなら無視すりゃいいだけのはずなんだ。でも……合わないイコール『嫌い』じゃないんだよ。嫌いどころか、俺はあいつが好きなんだ。でも、合わないんだよ。どうしても。水と油以上にね。
「はあああっ」
◇ ◇ ◇
「さっさと資料出してよ! 出てないの、あんただけだよ!」
「出したって! ぐだぐだ言う前に確認しろや!」
「はあ? あたしもらってないよ? 班長に提出って決まりでしょ?」
「シゲのと一緒に出てるだろが! 確認しろって! くそったれがっ!」
「こんな、二部いっぺんにまとめて放らないでよ! 分かるわけないでしょ?」
「確認しないおめーがアホなだけだろが」
「なんですって!」
シゲと
「おまえら、いい加減にしろや。朝っぱらから」
「うっさいよ、茜!」
俺も茜も返す言葉がない。付き合いの長い同士のじゃれあいやコミュニケーションだってことなら、またいつものが始まったかって見てくれるんだろう。でも、俺らのは武装無制限だ。ぶちかます時に言葉や態度は一切調整しない。最後に取っ組み合いになりかねない勢いで、どんどんエスカレートする。俺が空手部にいるから、ガキの頃のように茜が殴りかかってくることはなくなったけど、その分口撃がすさまじくなった。俺も切り返しは容赦しないし。
寄ると触ると、毎回これだ。俺も放っときゃいいのに、どうしても本気で応戦しちまう。はあ……。
◇ ◇ ◇
昼休み。朝練でぎっちり体動かしてるから、さっさとメシをよこせって胃袋が身悶えしてる。でも、俺はそれどころじゃなかった。
「ううー」
弁当箱も出さずに腕組みしてうなっていたら、シゲがちょっかいを出しに来た。
「ケン、先生が呼んでたぜ」
あれ? ちょっかいじゃないのか。
「んー、なんだろ?」
「おまえ、なんかやらかしたんか?」
「記憶にない。ふつーにがっこに来て、ふつーに部活やって、ふつーに帰ってるけど」
「だよなあ。おまいも、高木とのデスマッチ以外はおもしろくないくらいまともだからなあ」
「ほっとけや」
いつもなら、シゲのイジリにはもっと盛って返すんだけど、正直それどころじゃなかった。今週の木曜、ずる休みしたいくらい行きたくないイベントが入ってる。俺は、そっちのことで頭がいっぱいだったんだ。
「はあ。しゃあない。行ってくる」
「がんばれー」
「なにをだ?」
「知らんわ」
ちぇ。
教室を出る前、ちょっとだけ振り返る。一番前の窓際の席に茜がシブい顔して座ってて、その変顔をクラスの女どもに容赦なくイジられてる。そらそうだ。あいつの悩みも俺と同じだろうからな。
「はあ……」
◇ ◇ ◇
やる気のなさ全開で職員室に踏み込む。ぐるっと見回すと、担任の
「せんせー、なんすかー?」
「お、遠藤、来たか。済まんな。貴重な昼休みに」
そう思うんならあとにしてくれって言いたかったけど。部活のあとじゃ、どえれー遅くなっちまうからなあ。
「俺、なんかヘマりました?」
「んんー……」
先生の反応がどうもすっきりしない。それを見た俺は、すごく不安になった。
「話の中身がちょい微妙なんだ。ここじゃなくて、指導室でやろうか」
「ええー?」
指導室で説教食らうようなヤバいことをした覚えはないけどなあ。でも、俺は文句を言える立場じゃない。ちゃりっと鍵束を揺らして立ちあがった関谷先生の後ろを黙って付いていくしかなかった。
先生の表情は、これからどやしてやるっていう感じじゃない。こう、なんつーか、困ったなあ弱ったなあって顔で。俺の今の表情とあんま違わないと思う。うーん……。
がちっ。
冷たい鍵の音が響いて、俺にはこれまでもこれからも絶対に縁がないと思っていた指導室の扉ががらっと開いた。ようこそ地獄へ……って言うにはずいぶんそっけない部屋なんだなあ。
「ああ、ここにはおもしろいものは何もないよ。だから、俺らも来たくない」
「そっすか」
先生が、パイプ椅子を開いて向かい合わせに置いた。
「座って」
「うす」
「時間がないから、ごちゃごちゃ言わん。あのな」
「はい」
めっちゃ緊張する。
「今週木曜の動物園夜間見学」
「うす」
「おまえの班は、高木が班長だろ?」
やっぱりか。俺もそれくらいしか思いつかんかったんだ。
「そっすね」
「高木から、俺に苦情が来たんだよ。遠藤とは絶対に同じ班になりたくないってな」
「それは俺も同じっすよ!」
思わずでかい声を出してしまった。
「ったく。おまえら、本当に合わんな」
「今に始まったことじゃないっすから」
「まあな。だが残念ながら学校ってとこは、そういう個人的感情に配慮するようには出来てないんだ。おまえと高木の間に強い上下関係があって、どっちかの被害が大きいっていうケースなら別だが、いつも相討ちだろ?」
「……うす」
「それは、仲がいい悪いのレベルで、俺らが配慮すべきことじゃない」
先生の乾いた突き放し。俺は正直不満だった。合わないのを知ってるなら、クラスを変えろとは言わないけど、班くらいは別にしてくれよって。そんな俺のぶすくれた顔を見て、先生が全力で苦笑いしてる。
「気持ちは分かるよ。だが、同じ班の他のやつらのことも考えてくれ。おまえらの不機嫌のぶつけ合いは、他の班員にとっては大きな迷惑なんだよ」
「……うす」
でかい溜息と一緒に、俺の前にイタい文句がずらっと並べられた。
「いいか? 小中のガキじゃないんだよ。あと一年かそこらでおまえらは卒業。そのあとは、おまえらの願望とは関係なく大人扱いだ」
「うす」
「みんながみんな、おまえに好意を持ってるくれるわけじゃないんだ。棘を棘で返したら、下手すりゃ殺し合いだぞ?」
先生の口からいきなり物騒な言葉が飛び出して、ぎょっとする。
「ちょ、ちょっと……それは」
「ああ、おまえが高木以外のやつとは誰とも仲良くやってるのは知ってる。それは高木もそうなんだよ。あいつは、所構わず敵を作るタイプじゃない」
「うす」
「それなのに、おまえと高木の間にだけ強烈な敵対感情があるってのは、他のやつらにはまるっきり理解出来ないんだよ。分かるか?」
「そうっす……けど」
さっと立ち上がった先生が、パイプ椅子を畳んだ。
「まあ。ちょっと頭を冷やせ。おまえだけじゃない。班を代えてくれって言って来た高木も、先週がっつりどやしたんだ。いい年こいて、ガキみたいな駄々こねないでくれってな」
そっか、俺だけじゃなかったんだな。さっき不機嫌爆裂だったのは、そのせいか。
「さあ、戻ってさっさと昼飯を食え。俺もこれからだからさ」
「うす……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます