辞めた後、始めること。

水波形

1ページ目:不良少女

教師という職業には夢がある。

オレはずっとそう思っていた。

しかし、教師という立場は、子供に物を教え社会に送り出していかなければならない。

進学する学生はいるが、結局みんな社会に出ていく。

そんな立場の人間が、社会を経験せずに先生になるのはおかしいと思い、オレは社会人になった。

Webアプリケーションを開発するエンジニアになり、ガリガリコードを書きながらも、取引先に出向いて要件をまとめたりもしていた。

それは刺激的で、新しいことが多く、勉強が絶えない日々だった。

そしてオレは5年間社会を経験し、教員免許を取得。情報教師になった。


休み時間になり、誰もいなくなった情報教室で授業で余ったプリントをまとめながら思う。


「教師って、つまんねーな」


子供の頃は、立派で夢があり、楽しい職業であると思っていた。

しかし実際は、年功序列。

実力がある人でも、歳だけ食った無能の言いなりになるしか無い。

逆に言えば、仕事ができなくとも時間が経てば勝手に偉くなれる。そんな世界だ。

意見を言えば村八分になり、仕事ができれば仕事ができない人間の仕事を押し付けられる。

しかし得られる対価は皆平等。


「…………はぁ~」


溜息がこぼれる。

電気を消し、鍵をかけ、出席簿を職員室に返しに行く。

出席簿を返し、情報教室の準備室に戻ろうとすると、隣の生徒指導室が開き、見るからに不良と思えるような生徒が出てくる。

彼女は後ろ手でドアを閉め、泣きそうな顔で思いっきり職員室前に置いてある机を蹴った。


「――――おいこら佐長(さなが)ぁ!お前行った何をした!!……っと、二瓶(ふたもと)先生?」


瞬時聞こえてくる生徒指導室の中からの怒号が、扉を開けて止まる。


「いやーすいません。ちょっと机に蹴躓いてしまいましてね」


オレは散らかったプリントを机の上に戻しながら答える。


「ああ、失礼しました。てっきり学生が机を蹴ったのかと」


苦笑しながら生徒指導の先生は職員室に入っていく。

最後のプリントの束を机に戻し、階段の方に向かうと、当の本人はそこにいた。

怒号が聞こえた後、とりあえずオレは彼女を生徒指導室から見えないよう、曲がり角の方に押しやった訳だ。


「で、何やらかしたんだお前」


「……何も」


「あ、そう」


本人に言う気が無いのであればそれ以上聞く必要もない。

オレは軽く手を上げ、情報準備室に足を向ける。


「……なんで庇った?」


後ろから問が来る。


「あんなしょーもない事でいちいち怒られるのも嫌だろ?社会人でも嫌なことがあったらものに八つ当たりだってするさ」


そう答えた直後、チャイムが鳴り授業が始まる。


「ほら、授業始まったぞ」


「……いい。今日は帰る」


「良い訳有るか。教室に行け」


「嫌だっつってんだろ」


目に涙を溜め、彼女は訴えてきた。


「…………そうかよ。ならちょっと情報準備室に来い。」


「なんでだよ」


「愚痴りたいことが山ほどありそうだから聞いてやるよ」


そう行って歩き出す。

その後ろを無言で彼女はついてきた。



情報準備室に着き、彼女を椅子に座らせる。


「紅茶しか無いが、紅茶は飲めるか?」


彼女は無言で頷く。

紅茶を入れ、小分けになっているチョコレートをバケットに入れてデスクに置く。


「さて、なんでお前は生徒指導室にいたんだ?」


単刀直入に聞く。


「…………成績が悪いのと、髪を染めたから…………」


「なるほど。それは災難だったな」


紅茶をすする。

それをみて彼女も紅茶をすすった。


「勉強は嫌いか?」


彼女はうつむく。

そして小さく頷いた。


「…………あんたもどうせ怒るんだろ?勉強しろって」


「あー…………そうさなぁ………お前、進路決めてんの?」


「………勉強できないんだし就職しかないだろ」


「面白そうなところはあったか?」


「は?」


「就職先、面白そうなところはあったか?」


「別に…………」


「そっか。それで良いわけ?」


「…………何が言いたい?」


「消去法で選んだんだろ、就職。でも楽しそうなところはない。それで良いのか?」


「……やっぱりあんたも説教かよ。もういい」


「いんや。基本大人の大半はやりたくないことをやっていると思うぞ?」


「え?」


「当人がやりたかった夢ってのは、社会に出て変えられていく。社会にはやらなければいけないことが山ほどあるんだ。それをこなしていくうちに本人はそれが自分のやりたかったことだと錯覚してしまう。別にそんなことやりたくなかったのにな。」


一度は立ち上がった彼女が、もう一度座る。


「だけどお前はまだ若い。なのにもう夢を捨ててんのはもったいないなと思って聞いてみた。それだけだ」


沈黙が訪れる。

しばらくして彼女が口を開いた。


「…………先生はさ、やりたいことやってんの?」


「いんや。やらされている。」


「なんだ。あんたも結局夢を捨ててるんじゃねーか」


「だから今年度でオレは辞表を書くよ。」


「……え?」


「エンジニアとして社会に復帰する。そのほうが楽しかったし性に合ってるみたいだから」


またもや沈黙が訪れる。

しかし今回の沈黙は短かった。


「私さ、何が出来きるかとか、何がしたいとか……そんなのがわからないんだよ」


「なるほどな。なにか楽しかったこととか有るか?」


「遊ぶのは好きだけど」


「そらそうだ。例えばオレは雑学的な物理学が好きだ」


「勉強かよ」


「なんだってそう。ゲームだってルールの勉強だろ?」


「屁理屈だ」


「でも理屈だ」


「うっざ。お前友達いないだろ」


「残念、意外といるんだなこれが」


うつむいていた彼女が少し笑う。


「で、なんで物理が好きなんだ?」


「いやいや。好きなのは雑学的な物理だ。例えばそうだな……ビックバンってのは知ってるか?」


「お前バカにしすぎ。宇宙の始まりの爆発だろ?」


「先生にお前って言うな。その通りだが、なんで起こったのかしってるか?」


「しらねーよ」


「今の理論として、宇宙は複数の《面》から成り立っていると言われている。」


「面?」


「そう、面だ。」


「そーめん?」


「うっせ。面だ面。宇宙ってのは複数あって、それぞれが《面》なんだ。で、ある時たまたま2つの面が衝突した。それがビックバンだそうだ」


「宇宙が複数ある?」


「そう。不思議な話だろ?もう一つの宇宙にもオレたちが住んでいるような星があるかもしれないし、ないかもしれない」


「で、宇宙の外には何が有るんだ?」


「さあな。みたことないから知らねー」


「なんだよそれ」


「だから言ったろ?雑学的な物理学だって」


「で、その話を聞かされて私は何をどうすれば良いんだよ」


「なーに。一緒に何か、雑学を勉強してみないかってお話だよ」


「だーかーら!勉強は嫌いだって言ってんでしょ!」


「こらこら叫ぶな叫ぶな。ただの雑学だって。別にこんなことしたってテストで点が取れるわけじゃない」


「じゃあなんでそんなことすんだよ」


「楽しいからだって言ったよな?」


「うっざ」


そんな会話をしていると授業が終わるチャイムが鳴った。


「おっと。オレは次授業だ。ほら、とっとと教室に帰れ」


「えー。先生もサボろうぜー」


「アホか。でてけでてけ」


そう言って彼女を送り出す。

オレは授業の準備をするために職員室に向かった。

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辞めた後、始めること。 水波形 @suihakei

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