第10話 国道防衛少女

「おい馬鹿!美綴危ない!」

「事故かも!通報急いで!」


 スーパーの目の前は交通量も人通りも多い交差点。ブレーキ音は聞こえなかった。居眠り運転?雑多な事を考えつつも、全速力で出入口に向かう、救急車が来るまでにやれることは沢山ある。


「――――」


 口に出そうとした言葉は途中で止まる。ドアの先は大参事だった、事故を起こしているのは1台や2台ではない。視界内のすべての車が大なり小なり事故を起こしいて、路肩や路中でぶつかり合い、くすんだ煙がそこかしこで立ち上っている。何が起こったなんか想像もつかない。

 頭の中が真っ白になりつつも、辺りを見渡すと、歩道に倒れている幾人もの人が目に入る。

 中には事故に巻き込まれたか血を流している人の姿も存在する。トリアージなどと言う上等なものではないが、中でも一番出血量の多い人のもとに駆け寄る。


「大丈夫で――」


 ぞくりと、これまで味わったことのない嫌悪感が背筋を走り、差し伸べかけた手を引くと同時に大きく一歩後下る。


「なっ……に……?」


 そこで私は違和感に気が付いた。声がしない。いや背後からの野次馬の雑踏は聞こえるが、倒れ伏している人からのうめき声が全く聞こえてこない。全員が全員気絶している、そんな偶然が、と思い、つい一月前の出来事がフラッシュバックする。

 あの時もそうだった。あの時は倒れている人を見かけたと思ったら私は病院だった。一月前の大学での出来事。


 それはよろけたのか避けたのか、ともかく一歩後ろに下がった事は確かだ。そしてさっきまで私がいた場所をぬるりと何か黒いものが通り過ぎて行った。

 ひ、と渇いた叫びが喉から漏れる。目の錯覚なのか、そこら辺でゆらゆらと黒いモヤが立ち上がっている。野次馬の雑踏は絶叫となって遠ざかっていく。

 ゆらゆら、ゆらゆらと、そのモヤが伸びて人に重なるたびに、バタバタ、バタバタと人が倒れていく。

 ゆらゆら、バタバタ、ゆらゆら、バタバタ、まるでたちの悪い影踏みだ。


「な、に、これ」


 足が震える、冷や汗が止まらない。


「きゃっ!」


 こわばった体を無理矢理動かし、黒いモヤから逃げる。

 スーパーの店内に――

 駄目だ、中にもモヤがある、あの2人は――

 逃げる、駄目だ、囲まれて――

 そして、ごう、と目の前を突風が吹き――


「おう、かわし続けたのか、すげぇなこの姉ちゃん」


 大きな人の背と――


「はいはーい、それじゃーお休みなさーい」


 見覚えのある茶色い髪と――


「み――」


 聞き覚えのある声を聴いたような気がした。




 あげそうになった叫び声は、弁慶さんに塞がれた。


「往くぜ、八正ッ!」


 継信さんの掛け声と共に世界が一変する。自分が触媒となった時に比べれば、通常展開なんて自宅のドアを通る様なものだ、瞬きすらする必要が無い。


「済まない、助かったよ弁慶さん」

「お気を付けを、それでは私は前線に向かいますでございます。屋島、後は頼みました」

「りょうかーい。それじゃ弁ちゃんも頑張ってねー」


 そう言い残し、弁慶さんは牛若と継信さんの元へすっ飛んで行った……ってえっ?


「屋島さんなんでいんの!?」

「んー。真ちゃんは私がいるのが不満なのかなー?」

「いや!美綴たちの手当ては!?」

「あれ?聞いてないの?八正空間は通常空間と切り離されてるから、ここで何時間過ごしても現実では1秒もたってないよ?」

「えっ……そう」


 聞いていた様な、そうでないような。ともかくそう言う事ならば、急いで彼女に救護活動をして貰わなくてもいいのか?

 しかし今回は酷い事になっていた。規模で言うなら大学での方が何倍も大きいが、今回は多数の自動車事故が生じてしまっている。負傷者多数に交通マヒだ、牛若達も隠ぺい処理に尽力してくれているが、そろそろ限界なのではと思う。





「しっかし、速攻で駆けつけたってのに数が多いねぇ!」


 轟、と炎を纏った手刀で敵陣を焼き尽くしながら、継信は獰猛な笑みを浮かべる。

 継信の鎧は蒼を基調とした分厚いものだ、その威容は鎧と言うよりも大型の重機械にも見える。手数よりも一撃の重さで戦うスタイルだ。


「何を言うか継信、主殿の学び舎での戦なぞこれの比ではなかったぞ!」


 それとは対照的に、音さえ置き去りにするほどの鮮やかな剣技で敵陣を細切れにしながら、牛若は微笑む。

 牛若の鎧は赤を基調とした軽装。持ち味である速さを生かし切れ味で戦うスタイルだ。


「はっはー、そいつぁ残念。そこならさぞかし燃やしがいがあったろうに!」

「吠えるな継信。ならばこの戦場を灰燼と化して証とせよ!」

「元より承知ッ!」


 アスファルトを削りながら放たれた蹴りは、そのまま火砕の散弾となる。


「御二人とも、元気なのは結構でございますが、敵首魁はあのトンネルの奥の様でございます。大槌を使用してよろしいでございますか?」


 四方八方より敵の押し寄せる交差点、その西側に片側2車線のトンネルが、真っ白な口をぽっかりと開けていた。


「よい、疾くと殲滅せよ」


 ちょっ、そりゃないぜお嬢、と言う声は無視して、修理の終わった大槌を投影する。私は牛若様付なので、継信様の指示は二の次参の次だ。


「チャージ完了、3発行きますでございます。」


雑兵を蹴散らし、計測・設定を終えトンネルの正面に立ち構える。


「吹き飛――」





 音か衝撃か、何か分からない。何かに吹き飛ばされてグルグルと回った事は確かだ。だが、不思議と傷みは無い、柔らかい何かに包まれている、いや包み込まれて指しか動かせないし、目の前真っ黒だ!


「――!――!」

「いやん真ちゃん。こういう事は、ベッド、で、ね」


 利いた風な軽口と共に拘束が緩められる。この憎たらしい軽声は間違いなく屋島さんだ、俺は彼女に抱き留められていたらしい。

 

「――!――?」

「あー、大丈夫。声帯が壊れたんじゃなくて鼓膜の裂傷、ちょっとじっとしててねー」


 ぞわり、両耳に何かが侵入する。


「はーいOK」

「ああ、んっ、ああ聞こえる、ってさっきはなんで俺だけ?」

「んっ?唯の骨伝導。それよりも、はーでにやられちゃったみたいねー」


 そうだ!ガバリと屋島さんの胸から抜け出し後ろを向く。そこには壊れに壊れた国道が無残な姿を晒していた。


「なんっだ、こりゃ……」


 酷い有様だった。大学の時に弁慶さんがやらかしたのと同じ位の破壊力は有るのじゃないだろうか。抉れはトンネルから真っ直ぐに伸びており。直線状にあったスーパーも僅かに柱を残すだけと言った有様だ。北側の大通りで陣取っていたから平気だったが、もし国道沿いだったら屋島さんはともかく生身の俺は粉々になっていただろう。


「って牛若はッ!!」


 目に見えるのは瓦礫ばかりで、3人の姿は何処にも見当たらない。


「だーいじょうぶ、大丈夫。ちょーっと大口径レールガンクラスをもらっちゃったけど、何とかなるっしょ」

「ちょっとって、おま……」


「だーーーーこら!対人戦でなんてものぶっ放しやがる!平家かてめぇは!」


 と、言いながらビルを壊しつつ表に出る、ほこりまみれの継信さんと


「ふむ、流石に今のは少しばかり肝が冷えたな」


 と、言いながらどこからともなく舞降りて来た、ほこり一つない牛若と


「修復したばかりの大槌が全壊しましたでございます」


 と、言いながら火花を放つ鉄棒を放り投げ、衣類の端々を焦がした弁慶さんが、地中より現れた。





「なんだってんだ嬢ちゃん。奴さん聞いてたよりも随分はしゃいでんじゃねーか!」

「うむ。今までの最大火力は主殿の学び舎での対物クラスだったが。今回のは対艦クラスはあるな。為朝叔父の射には及ばんがなかなかの威力だ」


 チャージする時間を稼ぐためか、トンネルの奥からわらわらと雑魚が湧いて出る。してやられた、巣穴と思いきや砲身だったか。

 盾となり損傷を負った弁慶を一時下がらせ、奴らを相手にしつつ戦術を練る。

 まぁ戦術と言っても、敵の数は有限で、切り札も判明した以上、持久戦になれば楽に勝てるが……面倒くさいな。トンネルの天井を断ち割り奇襲をかけるか。


「おーっと待った嬢ちゃん。何を考えてるか分からねぇが、此処は俺に任せてくれ」


 弁慶に武装の指示をしようと思った時に、継信から声があった。


「やられっぱなしは性に合わねぇ、真っ向勝負だ。ぶち破ってやる!」


 継信が猛っている。どんな手を使おうと早く楽に勝てれば越したことは無いと思うが、男の矜持と言う奴だろうか。まぁあ奴の戦闘力なら任せても問題あるまい。



「おい!牛若も弁慶さんも下がっちまったぞ!?」

「そうねー、継っちが1人で相手するみたいねー」


 トンネルの真ん前で1人、継信さんがどっかりと構える。足を大きく開き重心かなりの前のめり、体は正面を向きピーカブースタイルの様に両拳を眼前に構える。もしかしないでも、あの馬鹿げた砲撃と真っ向から勝負するつもりなんだろうか。


「いや、相手するって……」

「んー、継っちは戦いにロマンを求める派だからねー。まぁ牛ちゃんがほっぽいてるし問題ないでしょー」

「いやそん――」

「はいそのまま口開いてー!」


 言葉と共に屋島さんの髪が俺の顔に巻き付き、指が口の中に侵入する。


 トンネルの奥が光る

 (残念だが、レールガン使いには縁があってな)

 それと同時、いやそれより早く体を捩じり、肘を上げる

 (テメェ程度にやられっぱなしって訳にはいかねぇんだよ!)

 左手甲に衝撃、反作用で地面に沈む 


「獲ったぜッ!!」


 閃光の次は爆炎。

 継信さんは、腰半ばまで地中に沈み込んだ体を、爆炎と共に射出。その光景は正しくミサイルの発射シーン。

 そして炎の尾をなびかせながらトンネルの中に突入して暫く、爆音とともにトンネルが崩壊し亀裂から何本もの火柱が立ち上った。


「あ、あれは?」


 光と音でしびれた脳みそから何とか言葉を出す。


「んー?継っちの鎧、青糸威が持つ特性が振動と炎だから、それで何とかしたんじゃない?」

「振動と、炎?」

「そーそー、振動で弾いて、炎で発射したんでしょ。よーやるわー」


 後半はともかく。振動を利用して砲弾を反らしながら、同時に反動軽減と砲身作りのために地面を緩める?それをあの砲弾に合わせて?どんな技術だ、訳が分からん。


「なぁ、あんなのが普通なのか?」

「まっさかー、異常異常。継っちはかなりキテル方だよー。源氏でも上位に入るんじゃないかなー?」


 それを聞き少しは安心した。

 だが直ぐに我に返る。あれにどれ程上や下があろうが、俺にとっちゃ雲の上での背比べ、正しく次元が違う世界での話だ。今回だって、ちょっと間違っていれば流れ弾の余波で死んでいたかもしれない。八正と言うパーツにすらなれない俺に、この空間での居場所が無い。





「弁慶、残敵は」


 倒壊を免れたビルの屋上で、牛若がそう尋ねる。トンネルの中央部分からは一際大きな火柱が上がり、その中から継信が現れる。


「敵反応無し。殲滅完了でございます」

「そうか、では後は屋島の仕事だな。弁慶手伝ってやれ」


 牛若はそう言い残し、燕の様に軽やかに真一の方へ駆けていった。





「いやー、ちょーっとばかし、しんどかったわー」


 ここは俺の部屋、スーパー前での戦闘と後処理が終わり、皆思い思いの時間を過ごしている。弁慶さんは黙々と皆が使用した兵器のメンテを、継信さんはビールを片手に監視映像のチェックを、そして牛若は部屋の隅から半眼で粘りつくような視線を俺に向けている。

 まぁ、その心当たりは大いにある。と言うか現在進行形で背中に当っている。


「そりゃー、人命救助は山ほどやってきたけど。ステルスしたまま100単位の同時治療とか初めての経験だったよー」


 健常な成年男子としては非常に喜ぶべきシチュエーションな筈だが、背後に感じる温かみよりも、正面から感じる牛若の視線の冷たさの方が体に悪い。


「主殿、何時までそうやっているおつもりなのですか」


 ぼそりと、地の底より聞こえてくるような、牛若の声が響いてきた。継信さんは画面に顔を向けたまま肩を揺らしている。笑ってないでタスケテ。


「えー、でも牛ちゃん安全が確認できるまで、真ちゃんを守れっていったじゃーん」


 何を考えているのか、屋島さんはのけのけとそう言う。家に帰りついてからの彼女の行動はこうだ。まず俺を足を前に放り出した格好で座らせて、その後ろから彼女が抱っこする様にホールド、しかも自由に伸び縮みする髪の毛でぐるぐる巻きにしているんで密着感アップ。俺の上半身はガッチリとホールドされている処か、髪が頭にも巻き付いているので喋ることすらできない。


「えぇい!それは戦場でのことだ!拠点に帰ってまで続ける必要はないッ!」

「えー?でも真ちゃんもこのままが良いって、いってるしー」


 そう言って、髪の毛を使って俺を頷かせる。ヤメテクレ、シニタクナイ。


「……主……殿」


 俯き、震える小声で牛若が呟く。あっヤバイ、限界だこれ。

 パンッ!と発砲音が響き渡り、一触即発の空気を弾き飛ばす。自由に動く目で確認すると柏手を打ったポーズの弁慶さんが立っていた。


「そこまです、屋島。それ以上は別の任務になります」

「はいはーい。けど抱き心地が良いのは確かよ真ちゃん、継っちゴツゴツしてて気持ちよくないんだもーん」


 そう言ってするすると拘束を解き立ち上がる屋島さん。ゴツゴツしてなくて悪かったな、けど、真面目に格闘技やってんだ、平均以上は筋肉が付いている自信はある。

 俺は背後の支えが無くなったことで、そのまま後ろに倒れる。正直体を起こしている気力が無い。


「では某が!」


 ひゅんと、高速で何かが動いたと思ったら。いつの間にか俺は牛若に膝枕をされていた。まったく至れり尽くせりだが、今までの地獄の様な緊張感のおかげで、そのまま気が遠く――



 牛若様が穏やかな表情で、静かに寝息を立てる佐藤様の頭を優しく撫でている。静かな事はいいことでございます。


「屋島、佐藤様のご様子は?」

「あー、散々揺さぶってやったから、取ーりあえずは大丈夫っしょ?」


 私よりも人間の機微に敏感な屋島が言うのならそうなのだろう。全く人間とは不安定なプログラムだ。

 屋島からの戦闘後の報告では、佐藤様のメンタルが不安定になったと言うことだ。原因は多々あれど、結論としては存在理由の揺らぎ。八正の使用を規制され、護衛対象として戦場に出たことで無力感を感じたのではと言う診断だ。


 明確な目的を持って製造された私達と異なり、自分で目的と理由を構築していかなければならない人間と言うのは、全く忙しい存在だと余剰メモリーで思考する。


「自由とは忙しいものですね」

「おっ!なーにー?弁ちゃんも、そーいう事に、興味出てきたのー?」

「お仕えしている牛若様が自由の権化のようなものですので、後を付いていくだけで私のメモリーは十全です」

「んー……。まっ、そう言うのもいいかもね!」


 屋島はそう言って笑顔を返してきた。

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