終末モラトリアム

@Rene

第1話 悪夢

夢。

私は夢をみているという自覚を持っていた。

所謂、明晰夢。

そして何となく、悪夢の予感がした。

眠る前、私が例の施設に送られることが決定し、喜色満面な家族を見てしまったからだろうか。


「おめでとう!!」

 そんな声を最初に聞いた。声の主はわからない。目の前は真っ白な空間が広がっているだけで、誰もいない。

 もう一度、声が響く。

「おめでとう!!」

 何が、おめでたいのか。

 この発言をしている人物の頭の中だろうか。

 少なくとも、私には私自身が祝福されているような気はしなかった。辺りを見渡しても誰もおらず、ただ途方に暮れるだけだった。

 余り読んだことはないが、こういう時は神様とやらが特典という名のチート能力、モテモテになれる体質など何らかの力を授けてくれるものではないだろうか。

 或いは、天使が抽選に当たったと言うとか。

「………いや。そもそも、これは夢なんだからどういうことも無いだろう」

 夢。

 ありきたりなオチだ。実に現実的で、ロマンの欠片もないオチ。

 こう解釈すればこの状況にも納得がいく。これは即ち私が見ている夢なのだから、何が起こってもおかしくはない。どうせ夢だ。覚める。

「……馬鹿馬鹿しい」

 さっさと覚めろ。

 覚めてくれ。

「おめでとう!!!」

 また、声が響いた。

 明るく、何かを企んでいるような声。

 私にはそうとしか受け取れられない。

「………聞こえないのか? 覚めろよ、私の夢の癖に」

 思わず苛立ち、呟いた。

 すると、足が何かががしりとしがみつくような感覚がした。

 見ると、腐った緑色とでも比喩できるような如何にも死体然とした腕に足を拘束されていた。振り解こうとするが、余りにも力が強く解けない。

「……おいおい」

 勘弁してくれ。

 これは悪夢か。

 最悪過ぎる。私が何をしたというんだ。

 今まで、何もしてこなかっただけじゃないか。

 それなのに、何故こんな目に遭わなければならない。

「何もしてこなかったからに決まっているだろう」

 声がした。

 そして、そこには。

 気味悪い笑みを浮かべた私自身があった。

「やあ、私」

「………どうも」

 気軽に挨拶をしてくる男は、間違いなく私だった。

 白いワイシャツに黒いズボンも瓜二つ。黒いネクタイも同じ。

 何よりも顔が私そのものだった。

 ただ表情が違う。

 十人中十人が口を揃えて、人並みだと称する顔に、そんな笑みは似合わない。

 私は不思議のアリスに出てくるチャシャ猫のような薄気味悪い笑みは浮かべない。

 現に私の表情は、強張っている。

 そして、もう一つ、彼と私は相違点がある。

「……その、チェーンソーは何だ…」

 目の前の私らしき何かは、右手にチェーンソーを持ち、私を見据えている。この時点で最悪なことに気が付いた。目の前の私は、私に殺意を持っているのだということが明確にわかってしまったからだ。そして、周囲には私を守ってくれそうな人間も、武器も無かった。何たる不運。ドッペルゲンガーは会ったら死ぬと言われているが、これほどまでに理不尽に追い込んでくるものなのだろうか。

 …いや。死なんてものは大概、理不尽か。

 私は死んだ方が圧倒的に良い人間だという矜恃はあるが安らかな眠りなんて、チェーンソーじゃあ望みは薄い。脳が焼き切られるような苦痛しかないだろう。眠りに落ちる所か、断末魔の叫びを上げる予感しかしない。

 万事休す。

 距離を取ったって無駄だ。

 彼は、私を殺す。

 何故か、わかってしまう。私は、私に殺されてしまうのだ。

「…物分かりが良いね、私は」

 笑みを崩さないまま、ドッペルゲンガーはチェーンソーを動かす。ぶぅんぶぅんばばばばばばば、という音が偉く滑稽に聞こえた。

 この状況は本当に一体なんなんだ。

 夢なら覚める。

 覚めるためにはどうすればいい?

「……頬を抓る?」

 …以前プレイしたフリーゲームを思い出したが、今はそれどころではない。

 私は、急いで頬を抓る。

 痛みは、無かった。思い切って強く引っ張っても痛みは感じられない。

 そして、目の前が真っ白になって目が覚める、ということも起こらなかった。

 「嘘だろ……」

 逃げようと足を動かそうとするも、足は摑まれて動けない。

 最悪の予想が脳を掠める。

 「こんな死に方は、嫌だ……」

 何故殺されなければならない。私が。しかも、私に。チェーンソーで。意味も分からないまま。無いまま。そんな痛い死に方嫌だ。

 このまま死ぬのは、嫌だ。

 だが、呻いてみても無駄だ。どうせ、わかっている。

 私は殺されるしか道はないのだ。誰かが颯爽と現れることはない。ヒーローは現れない。 

 華麗なヒロインは現れない。私は、助からない。

「…潔いなぁ、私は。……いや、最初からお前は諦めてるんだろうな、何もかもを」

 目の前のドッペルゲンガーは無慈悲にチェーンソーを振り上げた。

そして、まず、脚を切り落とされた。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

血と肉が辺りに散乱した。しかし、それに意識をやることも出来ず痛みに悶え苦しむ。痛覚が全身を支配する。涙を流して、近づく死に恐怖した。夢だと何度も頭に何度も反復しても、痛みは消えない。こんな理不尽な夢があるのか。こんなにも痛覚を伴う夢があって良いのか。

「……きったなあい」

私の血で赤くなった、私が呟く。

  次に、両手を切断された。

  両手を無くした時、痛覚は作用しなかった。

  肉体が、死を受け入れ始めているようだった。ただ、恐怖が、心を食い荒らしていく。怖い。

  ただただ怖い。死ぬのは怖い。痛いのは怖い。

  わけがわからないのは怖い。

  自分自身が怖い。

  怖い。何もかもが怖い。

 これは、私に対する何らかの罰なのか。何もしなかっただけだというのに。それさえも罪なのか。だったら、何故私のような人間をこの世に産み落とした。

 私を恨むのは筋違いだ。私を産み落とした人間を罰せ。お願いだ、殺さないでくれ。殺さないで下さい。

しかしそんな願いも虚しく、ついに顔にチェーンソーを振り下ろされた。

 最期に見た私の顔は憎らしいほどに爽やかな笑みを浮かべていた。


 幸福だったことに、最期に痛みは感じなかった。


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