37話 対決! イノシシもどき!!

 恐怖。


 額に汗は滲み、手には力が入り、緊張している。


心臓の鼓動を速めるのは、恐怖によるものが大きいだろう。




「スゥゥゥ……」




 俺はゆっくりと息を吸う。


肩は上げず、下腹部に溜めるように。


そして呼吸は止めず自然と吐き出す。 自然体を保つことが一番重要だ。




「ひぇええええ!! どこっ、どこっすかぁ!?」




 集中し、雑音を消していく。


獲物の鳴き声を、葉を打ち枝を折る音を、地を蹴る音を聞き分ける。




「ふぅ……」




 ただひたすら待つ。




「――」




 雲が月の明かりを消し、辺りはより薄暗くなる。




――――フォゴォオ!!




 雑な地面を蹴る音を立て、獲物はやって来る。


藪を突き抜け、雄たけびを上げ、その圧倒的な体躯を叩きつけに来る。




「――っらああああ!!」




「フギィッッ!?」




 体が感じる恐怖に従う。


なによりも敏感な感覚。 だからこそ、利用する。


 獲物の体当たりに跳ねるように横っ飛び。


獲物は顎を跳ね上げるような、鋭い牙のしゃくりあげを回避する。


 俺は地に足を、靴越しに親指がめり込むのを感じるほど、獲物へと踏み込んだ。




「はぁっ! はぁっ! はぁ……」




 踏み込みの勢いのまま振り下ろされた石斧。


鋭い振り下ろしは獲物の側頭部を正確に叩きつけた。


鈍い音と断末魔。 石斧は木の柄部分から折れてしまったが、倒れた獲物も一撃で仕留めたようだ。


手に残る頭蓋骨を砕いた感触は、シッカリと残っている。




「ほああああっ!!」




 荒れた呼吸を整えるよりも早く。


田中一郎の奇声が響く。 その声は獲物よりも甲高い。




「もう一匹かっ……!」




 二匹目の獲物が田中一郎を襲っている。


突進を回避しぬかるんだ地面を転げまわる小太りの男。 無様に尻を左右に振り四つん這いで逃げる。 そこへUターンした獲物が追撃を加えようとしている。




「おらっ!!」




 折れてしまった斧の柄を投げつけた。


そんな物を当ててもどうにかなるとは思わないが、注意は引けたようだ。


 田中一郎を襲う直前、投げつけた棒を回避しこちらへと振り返った。




「……」




 獲物の瞳は暗闇を見つめ、横たわる死体と俺を睨みつける。




『フォゴォ……!!』




 牙を持ち上げ喉を鳴らす。 


その牙は俺を襲ってきた物よりも太く鋭く、体躯もまた一回り大きい。


夜空に向かって上げられた叫びは怒りと、ツガイを失ったような悲痛さを含んでいた。


 松明を振りかぶり威嚇すれば、元来た藪へと走り去っていく。




「た、助かったのかぁ……?」




 泥にまみれた小太りの男が近づいて来たのだが、……臭い。


糞でもつけられたのかと思ったが、どうにも違う生臭い臭いだ。




「臭い……」




「うおぇぇ……、なんすか、これ……? 凄い粘つき……??」




 どうやら田中一郎は何かをつけられたようだ。


ぶっかけられたと言うべきかもしれないが……。




「お前しばらく近くづかないでくれるか? まじで……」




「そんなぁああ……」




 強烈な臭いのおかげか、その後、他の動物が襲ってくることは無かった。








「猪よりバビルサに近いか……?」




 横たわる死体に、松明を持ち近づく。


猪と豚に牛も混ぜたような体躯に、鋭く長い牙をが生えている。




「……とりあえず、解体するか」




 肉の味を左右する解体。


それは早ければ早いほどいい。


巨体過ぎて吊るすのは無理。 首元に石製のナイフを使い切り裂く、血抜きをしながら仰向けにして腹から掻っ捌いていく。 




「おお?」




 分厚い胸骨を外し内臓を取り出すと、胃が四つもあった。


それほど珍しい物ではないが、猪ではないようだ。




「どれがミノで、どれがホルモンだっけ……?」




 四つの胃それぞれに名前がついている。 牛だけか?


とりあえず、内臓はひとまとめに取り出す。 気を付けないといけないのは膀胱だ。


先に膀胱や尿道の位置に気を付け尿が垂れないように慎重に取り出す。


体とくっついている部分にナイフをいれ、器官や食道も上手く取り出せば、まるまるの形で内臓がとれる。




 小川まで運び水につけて肉の体温を下げる。


近くに小川があってよかった。 こいつらの水飲み場なのか泥田場だったのか分からないが、冷やすのも出来るだけ早い方がいいのだ。




「ふぅ……。 おっけぇ……」




 顔や手に着いた血や泥を落とす。


あまり綺麗な水質ではないから飲むことはできないが、洗うくらいは平気だろう。


 落ち着いたらどっと疲れが出てきた。 しかしまだやることがあるので休んでいる暇はない。




「ふふ、旨そうだな」




 内臓群の中から切り出した心臓。


手に取ったそれはまだまだ元気に動き出しそうだ。


内臓から食べる部位を分けていると、田中一郎が恐る恐る声を掛けてきた。




「た、食べるんすか?」




「当たり前だろう?」




 何を言っているのだろうか?


この辺りは湿地になっている。 水質も綺麗ではないし生では食べないけど。


 黒くてブヨッとした部位を見つける。 


恐らく胆嚢だ、これは乾燥させれば薬になる。 熊ではないけど、熊の肝くまのいみたいなものだ。




「うえっ……」




 吐きそうになるくらいなら見なければいいのに。


それに田中一郎の臭いで俺も気持ち悪くなるから近づかないで欲しい。




「ちょっと休んでろよ」




「す、すんません……」




 焚き火近くに腰かけ水を飲む田中一郎。


その顔には疲労の色が濃く出ている。




「帰りもあるからなぁ……。 さすがになんか食わしてやるか」




 精の出る物を。 睾丸があればよかったのだが、どうやら雌の個体のようだ。


となればやはり、レバーか。 心臓は好物だから上げられないんだ、あんなもの欲しそうに見ていたけどごめんな、田中一郎よ。




「あぁ、最高……!」




 心臓、肝臓、胃を小川で良く洗う。


まずは心臓。 タタキにしてさっと焚き火で温めた石の上で焼く。


心臓付近の脂のついた部分から焼き、匂いが上がってきたところでさっといただく。




「んふぅ! 旨いっ」




 コリッとして濃厚な旨味、野性的な味は滋味を感じさせる。


 血抜きを少ししかしていないが、腐敗する前の血はあまり臭わない。


取れたて新鮮。 これは生でもいいかもしれない。




「ほら、食べて体力を回復させとけよ?」




 予定外の獲物だ。 明日は帰るのだが、荷物が倍増した。


田中一郎にも頑張ってもらおう。




「こ、これは?」




「レバーだ」




 生レバー。 日本ではもうなかなかお目にかかれない。 魅惑の味。


レバ刺しとか、涎ものなのにね。




「な、生ですか!?」




 ちゃんと切って葉っぱに乗せて上げた。


プルプルとしたレバーは暗闇では判りづらいが、真っ赤である。




「だ、大丈夫なんすか!?」




「自己責任でどうぞ」




 嫌なら炙って喰えばいい。


でも生の方が美味しいし、栄養もある。 




「……いただきます」




 意を決した表情で、受け取った田中一郎は一切れを口に運んだ。




「――っ!! これ、めっっちゃ、うまいっす!!」




 目を見開き満開の笑顔を咲かす田中一郎。


パクパクと残りも食べていく。


「甘い、甘いっす!!」


 甘くはないだろうと思いつつ、食べてみるとたしかに甘くて美味しかった。


肉の味は食べる物に影響すると言うが、サゴでも食べているのだろうか?




「よし。 残りもさくっと解体しちゃおう」




 小川から出した獲物は内臓を抜いてもまだ重い。


食べきれない分は焼肉にして食べようかなと、呟けば田中一郎が飛び上がる。




「手伝います! 師匠!!」




「……」




 現金な奴だ。


美味さがグロさに勝ったのだろうか。 まぁ臭いのでお断りしたが。






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