序章 フラレ男とそこに至るまでの軌跡
一年前、俺ことエルスト・ルースカインは、死んだ。
――いや、実際には生きてはいるんだが、俺の人生は
様々な種族が暮らしているこの世で最も大きな大陸、ミストラル大陸。
この大陸では、魔物を統べる王〝魔王〟が現れた場合それを打倒するため、各国内で最も勇ましい者〝勇者〟を国ごとに選出する時がある。
その場合、俺の住む国では最も可能性のある若者に、神託という形で教会から勇者の認定を授けることになっていた。
本当に神様から啓示を受けているのかどうかは知らないが、最も可能性のある若者ということなら、幼馴染みのグレイほど相応しい人物もいないはずだと、当時の俺は思っていた。彼女の人並み外れた剣の才能なら、そうなって当然だと。
俺の幼馴染み、グレイ・ハーネットは少女の身でありながら
町を出て数年で天才剣士として国内でも名が知られるようになったグレイは、もしかすると勇者に選出されるかもしれないと、町のみんなに期待されるほどの逸材だった。
そしてその期待通り、勇者にはグレイが選ばれ…………たわけではなかった。
選ばれたのはえらく可愛い女みたいな顔をした、同い年の少年だったのだ。
この知らせが国中に告知されたとき、俺は正直ホッとしていた。
この頃、俺とグレイはちゃんと付き合って将来を誓い合った仲だったのだ。勇者なんかになったらまともに会うこともできなくなる。
グレイは国中の強者を探し回っていたのでそうそう会えるわけではなかったが、それでも月に一度は会えていたし、俺もいつかグレイと一緒に旅ができるよう鍛錬を欠かさなかった。
――だが、グレイは勇者の旅に無理やり同行。
当時、名のある戦士のもとにふらりと現れては、木剣一本で相手をぼこぼこにして去っていく、悪魔のような少女として国中の戦士に恐れられていたグレイは、俺たちの町に立ち寄った勇者一行にも同様に喧嘩を吹っ掛けていた。
さすがに無理だと止めようとしたが、受けて立った勇者パーティの中でも最年長であろう武闘家の男をなんとか
この時、俺たちは十二歳で子供だった。だからグレイを半泣きで止めることしかできなかったのだ。このままではグレイが遠くに行ってしまう。しかしグレイは、
「あたしは自分の可能性を試してくる。あんたも泣いてないで、ちゃんと修行していつか追いついてきな。手紙は出すからさ」
――と言って、あっさり出て行ってしまった。
俺は周囲にいる町の人たちと共にしばし唖然としていたが、次の瞬間には町中に歓声が響き渡ることとなる――。
魔物を使い多くの国に脅しをかけている魔王、それを討伐するための旅路に加われるということは、それだけ名誉なことなのだ。
その後、俺はよりいっそう鍛錬に
手紙は月一で交わした。最初は近況報告だけだったが、そのうち勇者に対する愚痴が混ざり始めた。
やれ軟弱だの、情けないだのという文面を見て、俺は少し安心していた。
本当は、同い年の男と一緒の旅なんて胃にくるほど心配だったのだ。
そのあとグレイが旅に出て一、二年した頃だろうか、さっさと追いついてこい、ちゃんと修行しろ、といった言葉が手紙によく書かれるようになった。
その言葉から、俺はグレイも自分に会いたがっているのだということに気付けた。
これでも子供の頃からの付き合いだ。もし寂しく感じても、グレイが『会いたい……』なんて素直に書くタマではないないことはよく分かっている。しおらしい彼女なんて見たことないし、そんなのを見たらまず本物かどうか疑うだろう。もしくは自分の正気を疑う。
俺はその手紙に舞い上がり、親に「うるさい! なに叫んでんのあんた!」としかられるまで部屋の中ではしゃぎ回った。それでも興奮が治まらなかったので、「ブンブンうるせえ!」と近所の人に怒鳴られるまで真夜中に槍の鍛錬をしていたくらいだ。
この頃には、町に槍の腕前で俺に敵う者はいなくなっていたが、さすがに勇者の旅に付いていけると思うほど自惚れてはいなかった。勇者パーティは皆、国外まで名が轟くほどの戦士なのだから。
……だが、今思うと彼女はこの頃から気持ちが揺れ始めていたのかもしれない。
そのさらに一年後、いきなりその手紙は届いた。書き出しは、こう――。
あたし、勇者のこと好きになっちまったかも
――それ以降は読んでいない。シーツにくるまりこれは悪い夢だと念じ続けた。
それからは考える暇もないほど鍛錬に打ち込んだ。あれは何かの間違いだと思い込もうとしていた。それからも手紙は届いていたが、見ることはできなかった。
今思い起こしても、その頃のことは茫然自失としていたのかほとんど思い出せない。かろうじて記憶にあるのは、俺が全く生気のない瞳で朝から晩まで槍を振り続けるものだから町の人たちからは避けられ、もしかしてゾンビかアンデッドなんじゃないかと噂されていたことくらいだ。
そんな状態でどれくらい日々を過ごしたのか――。
ふと気付くと十六歳の時、そのニュースは国中を駆け巡っていた。
魔王、我が国の勇者によって討ち取られる。
国中が沸いた。そしてこの町に勇者一行が訪れるという話が伝わってきた。
俺は光に吸い寄せられる蛾のようにフラフラとグレイの姿を探した。
歓声が響く。そちらに目を向けると町の人たちが親しげに声をかけている女性が見えた。
――見違えた幼馴染みがそこに居た。長く鮮やかな金髪に切れ長でくっきりした青い瞳、鍛えられていると一目で分かるが丸みを失っていない女性的なフォルム、そして昔と変わらない勝ち気な笑み。なぜか泣けてきた。
そして傍らには、相変わらず女みたいな顔をした黒髪短髪黄目の勇者も。
その時、俺は全く動けなかった。頭では理解していたのに心が完全に拒絶していた。あの一文が脳内を駆けまわる。
グレイがこちらに気付く。こちらに駆け寄る、勇者と共に。
「久しぶりだな、エルスト。修行サボってなかっただろうな」
グレイは明るい笑顔でそう言った。そして勇者の肩を抱きこう言った。
「紹介するよ。こいつはクロス。あたしの恋人なんだ」
そして二カッと笑った。勇者は赤くなっている。
それからは何も覚えていない。
気付いたら険しい山脈の向こうにある隣町でぶっ倒れていた。
三日三晩山を駆け抜けたあとのような姿をした俺を宿屋のおかみさんが拾ってくれなかったら、マジでそこで死んでいたかもしれない――。
俺はその宿屋で二日お世話になったあと、生きる糧を得るために冒険者ギルドの門を叩いた。なんでもやる日雇い労働者の寄り合い所みたいな場所だ。
もうなんかショック過ぎて、故郷に戻る気にはなれなかった。
そこで同じ頃冒険者ギルドに入った獣人の少女とコンビを組み、二週間ほど日銭を稼ぎ続けた。
何やら俺たちは新人にしては異様な活躍を見せていたらしく、ある有名な傭兵団の目にとまった。日雇いよりは安定して稼げるかなと俺はこれを受け、コンビの少女は断った。
傭兵団に入り、また二週間ほどで基礎訓練というものが終わったあと、傭兵のイロハ、基礎戦術を叩き込まれた。
この頃俺は空っぽで、何に対しても熱を持てなかったが、それでも新しいことを覚えるのは楽しかった。
――そのさらに一年後。
死んだように止まっていた俺の時間は、ようやく動き始める。
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