陛下、自転車にお乗りあそばす

「うおお……改めて見ると凄まじく複雑な機構だな。こんな細い棒で人が乗る車輪を支えられるものなのか」


 陛下が自転車を見て、小学生男子みたいに目を輝かせている。


「あははははー。やっぱり、男の子は乗り物好きだよね~。僕もどうやって動いているのか分からないものは延々と見ちゃうよ~。うちにも男の子がいれば、もっと色んなガジェットとかで盛り上がれたのになぁ。ひまちゃんったら、すぐ『また必要ないもの買ってきて!』って怒るから」


「これは……鎖……か? 鎖で車輪についている歯車を回している? どこを取っても歪みひとつない。一体どのように加工をすれば、このような精巧で頑丈な部品が作れるというのだ。もし、鍛冶職人に同じものを作らせたら……いや、うちの財政では何十年分あればいいのやら。それに、いくら年月をかけても同じものは作れまい」


 いらんことを言う半ニートの声など届いていないように、陛下は自転車にかじりついている。そりゃ初めて見たら、自転車でもやっぱり感動するのかな。私も初めて自転車を買ってもらったときは、お姉さんになったみたいで感動したもんね。


「とにかく、まずは乗ってみましょうよ。今日は近くのコンビニにでも行きましょ」


「あ、ああ……」


 陛下が恐る恐る、といったふうに跨る。そして――


 ばたん。


「うぉんっ、うぉんっ!」


 盛大にすっこけた。

 こけた陛下のもとにモルトが駆け寄り、頬をなめて慰めている。

 今よく見えなかったけど、陛下はもしかしたら、ペダルすら漕いでいなかったかもしれない。


「あはは、ひまちゃん。初めて自転車を見たのにいきなり乗れるわけないじゃない。可哀相だよ~」


 それもそうか。当然だ。

 なんか、美形は何でもそつなくこなすという偏見があったかも知れない。

 ただ、パパには言われたくない。


「近所に、自転車を練習できる広い公園なんてあったっけ? パパ」


「このぐらいの子が練習できそうなところと言ったら割と遠出になるかも。ひまちゃん知らない? 高校とか駅とかとは反対方面に行った先の、神社の前を通って右に行ったところ」


「知らないなぁ。ちょっと待って、地図出すから」


 女子高生の行動範囲は広がったように見えて、割と狭い。特に私のように、バイトもせず、趣味と言えば家で漫画読んでダラダラすることだけ、みたいなタイプにとっては。産まれてからずっとこの町に住んでいるのに、家から駅、家から学校までの道のりと、その周りぐらいしか知らなかった。


「あー、いいっていいって。モルトの散歩がてらみんなで一緒に行こうか。パパとモルトは歩いて行くから、陛下が自転車に乗れるようになったら二人は自転車で帰ればいいじゃん」


 パパはモルトの散歩でいつもあちこち出かけているみたいで、町のことはパパのほうが詳しいみたい。何だか癪だけど、仕方がない。


 私たちは自転車を押して、パパの言う公園に向かった。


「ねぇ、パパ。見られてない? ――やっぱ、ママチャリだからかな」


 陛下に貸しているのはもともとはママが使っていたやつで、ぐりんとハンドルの曲がった名実ともに立派なママチャリだ。私たちぐらいの子がこんな自転車に乗ってると思われるのはすごい恥ずかしい。

 誰かに見られて、笑われたりしないだろうか。現に、さっきからあちこちでヒソヒソ噂されている……気がする。


「ひまちゃん、おかしなこと気にするね。誰もママチャリなんて見えてないって。みんながこっちを見ているのは、陛下が美少年だからでしょ。だって、こっちを見てヒソヒソしているのみんな女の人だもん」


「あっ! え、そうなの?」


 この視線にさらされながら生きるなんて、美形は大変だ。美形に産まれなくて良かった。なんて、私たち父娘がのほほんとした会話をしていたら、陛下は恐ろしいものでも見たような顔をしていた。


「ひ、ひまわり殿!? 今のはなんだ?! あれは鉄なのか? それともなにか、未知なる獣か」


「あ~。自動車ですか。タイムスリップモノのお約束の反応だなぁ」


「やっぱり! 異世界から来た人はこういう反応するんだ! いやぁ~、生で見られて感動だなぁ。もっとじっくり観察して日記でもつけておこう」


「ふ、二人とも笑っていないで、あれが何か教えてくれ。危険はないのか? お、襲ってきたりはしないのだろうか」


 陛下の質問にパパが構造などを説明していたけれど、通訳するのも何だか面倒で、陛下には『なんかそういうモノ』で通した。陛下はずっと釈然としなそうな顔をしていた。


 そして――


「ほら~、ダメですよ。ペダルをちゃんと漕いで!」


「い、いや。馬はこうして太ももをしめ……」


「馬じゃないんですから。ペダルを漕がなきゃ進みませんって。前に進めば安定します。あ~。こればっかりはほぼ物心ついた時には乗れてたから、理屈で説明するのは無理だよーっ。……ね、あとちょっと、頑張ってください。あんな小さな子でも乗れてるんですから」


「なんと……この国の者たちはみな、この乗り物に習熟しているのか。優秀な騎馬民族の血が流れているのでは」


「分析はいいんで、もう一回!」


「失礼した。少し心が折れかけていたものでな……」


 そんなこんなで。


 陛下が乗れるようになるまで、結局お昼過ぎまでかかった。子供と違って運動神経は発達しているから、一度乗れてしまえば後は簡単だ。


「どうだ、ひまわり殿! 進んでいるぞ! 見てくれ。お父君も、モルトも」


 わ、陛下、すごいドヤ顔!

 すごいドヤ顔してる!

 そっかー、ドヤ顔って概念もなければ、それをからかわれることもないんだろうな。一国の主なわけだから、みんなにかしずかれて当然の生活だったんだろうし。

 ほんと、男の子っていくつになってもああなのかな。


「陛下、前見て、前!」


 どしん!


 盛大にすっこけた陛下のもとに、モルトが駆け寄って慰めていた。

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