春場所・千秋楽【土俵】
目を閉じて、長いため息を吐いた。
うっすら片目を開けて目の前の生徒たちをチラリと見やると、しかたなくといった感じで口を開いた。
「アタシはね、やる気のあるなしは、どうでもいいのよ。がんばった分だけ報われるなんてのは勝ち負け次第で吹き飛ぶようなキレイゴトだからね!ただね、ひとつだけ許せないのは嘘をつくことよ!」
まだ、誰も何も言っていないのに、いきなり説教から始まった。
陸上部が全国大会に向けて、大所帯で練習に取り組む専用のグラウンド、その隅に土俵が作ってある。
そこがぼくたち『土俵高校相撲部屋』の稽古場だ。
顧問に就いた手刀 心先生は、部員たちを前にして、初めての訓示をしているのだが、相変わらず熱くなりやすいらしいく、冒頭から鼻息が荒い。
「立ち合いから落ち着きがないなんて、高見盛みたいね」
隣に立つしきりちゃんが耳元でつぶやいた。
「え?え?なになに?かなり見境いがないって?」
「ほほう?」
「それはつまり…?」
すぐ後ろで並んでいる元美術部の3年生たちが首を突っ込んできた。
「あ、あのですね…『かなりみさかいがないみたい』じゃなくて『たかみさかりみたい』って言ったんです。朝青龍全盛の2000年代、感情が顔にモロに出るタイプの『カトちゃん』こと、高見盛精彦は、しきり前のオーバーアクションな気合い注入で『角界のロボコップ』なんて呼ばれた人気力士で、すぐ熱くなって突然スイッチが入る手刀先生と似たとこがあるねってはなしてたんですよ」
「だれか高見盛ですって⁉︎あなたたち相撲部だって自覚はあるの⁉︎」
もっともではある。『シャイニングスター』が入部すると聞きつけた『クレーター』と呼ばれるおこぼれを狙う野郎どもがこぞって相撲部にやってきて、結果、人数だけは部の認定に必要な分が揃った。しかし、もともと相撲に興味のない生徒ばかりだし、それ以前にカイナが連れてきた先輩たちも腕ずくで押し込まれた連中だ。
相撲部なんて自覚、持っている方がおかしいくらいだ。
「仮にもあなたたちは相撲部員なのよ!高見盛じゃなくて振分親方と言いなさい!」
…そこなのか?
「そうよ!だからアタシのことも魁皇ちゃんじゃなくて浅香山親方って呼びなさいよね!」
カイナ…個人的なあだ名はどっちでもいいだろう?それとも15歳の女子が親方って呼ばれたいのか?
「いやぁ、賑やかね!よろしくてよ!」
濃いめのグラスで目元は読み取れないものの、明らかに上機嫌な木暮先輩がハードル走のトラックをまたいでこちらにやってきた。
思えば木暮先輩が校長室で助け舟を出してくれなければ、部員集めも始められなかったのだ。こうして陸上部のグラウンド脇に土俵を用意してくれたのもこの人の配慮だった。本当にありがたくて涙が出てくる。
しかし、学校一のカリスママネージャーと呼ばれる彼女が尽力してくれるキッカケとなったのは、他ならぬしきりちゃんの幼馴染、校長の孫娘・西山カイナの懇願だった。
「痛い目を見るから相撲部なんてやめときなさい」なんて言ってたわりに、部員を探してきたり、校長の引退の経緯を調べてくれたり、何よりこうして期日までに相撲部が設立できるとわかると真っ先に『部長』に就任したのだ。
そして、カリスマとまではいかなくても、そんな相撲部を支えるマネージャーが、このぼく。たったひとりの男子マネージャーという安易な理由から『各部マネージャー連絡会』略して『マネ連』の会長を押し付けられたけれど、おかげで書道部や演劇部、バレー部など、たくさんのひとたちと知り合えた。部ののぼり旗や看板のことでも、書道部・演劇部にはずいぶんお世話になった。
行く先々で美人の先輩と知り合えて、『軟式テニスのプリンス』こと、『軟プリ』三段目 翔も、すっかり相撲部に馴染んだようだ。
「カイナちゃーん!一緒にシコ踏もうよぉ」
「気安く呼ぶな!部長と呼びなさい!」
馴染みすぎるのもどうかと思うが。
「マエミツ!あとで胸を出すからね!かわいがってあげるわ!」
「えぇ〜、ズルイなぁマエミツだけ!俺にもしてぇ!」
「アンタわかってないわね!」
デレデレする軟プリにしきりちゃんが声を荒げた。
「胸を出すってのは稽古の相手をしてあげるってこと!かわいがりって、キツく稽古をつけるってことよ!マエミツくん無理しちゃダメだからね!魁皇ちゃんとまともに稽古したら死んじゃうわよ!」
「だからぁ!浅香山親方!」
「しきりサン、よろしく頼むよ」
『シャイニングスター』と呼ばれる校内屈指のイケメン・天照 光王子先輩がしきりちゃんに近づいてウインクした。
近いよ!
「天照様は見学していてください」
しきりちゃんは丁寧に対応している。
日本相撲協会の公式見解ともされている相撲の起源。それが天照大神を巡る神話の力比べにあって、その名前を持つシャイニングスター先輩がなぜだか、しきりちゃんに目をつけて相撲部に来たことは、入学以来、最大の事件だった。おかげで部員集めに成功したわけだが、明らかにぼくの『前頭』より格上な名字を持つ先輩を前に、『結婚してください!』なんてしきりちゃんに言われて浮かれていた気持ちもいっぺんに吹っ飛んだ。ライバルと呼ぶにはあまりに格の違いがありすぎる相手だ。
しかし、しきりちゃんは先輩に対して、あの口の悪いしきりちゃんが終始丁寧な敬語を使って距離を置いて接しているのが、ぼくにとっては本当に不思議で、幸運なことだった。
おそらくしきりちゃんは『小結くん』とか『関脇くん』なら、その名字に反応して、結婚したいなんて言い出したのかもしれないけど、神話時代の神様の名前となると、格が上すぎて、まるでピンときていないらしい。
当の天照先輩も、どうして自分をこんなに敬うのかわからず、微妙な関係のまま、こうして相撲部の活動初日を迎えた。
これはぼくが彼女にふさわしい力士になるための決意をこめた物語だ。
物語はまだ始まったばかり。
しきりちゃんのおじいさん・『伝説の力士』と呼ばれた力東関がどうして早くに引退をし、その生涯のライバル、現校長の西強山がその後、相撲界から足をあらったのか…それはこれから少しずつしきりちゃんから聞けることを期待しよう。今はまだ、ぼくらの関係も序の口でいい。
時間はたっぷりあるのだから。
『これはぼくが彼女にふさわし…』
「読むな!」
ぼくは三段目 翔の手から書きかけのマネージャー日誌を取り上げた。コイツすぐ覗き見しやがる。
「なにこれ!変態日記?」
「や、やめろカイナ!ただのマネージャー日誌だってば!」
「え?なになに?アタシにも見せてマエミツくん!」
「ダメ!しきりちゃんは見ちゃダメ!」
「ハハハ。どれどれ」
「光王子先輩、返してください!」
「ホッホホ…良いわね賑やかで」
「木暮先輩笑ってないで助けてくださいよ!あ!うしろ!先輩…!」
ハードル走のトラックから花束をもって走ってくる生徒がひとり。
全国大会の出場も決めたハードル走の物山先輩だ。彼は木暮先輩への秘めた想いをうまく伝えられず、それが彼の最大のハードルとなっているらしい。
「こ、木暮陽子さん!ぼ、ぼ、ぼくと、あの…」
「物山くん?アタクシに何か言いたいことがあるのかしら?」
「ぼ、ぼく相撲部に入ります!そこで自分を鍛えて、改めて先輩に想いを伝えたいと思います!」
「よろしくてよ。よく言えたわね。相撲がんばりなさい。よろしくねマエミツくん!あ、違った、マネ連の会長さん!」
「これ以上、ワケありの部員を増やさないでください!!」
ぼくたちの長かった春が、早い夏を迎えるかのように、トラック脇の土俵が輝いていた。
おしまい
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