僕は自分を探す
さぼてんたろう
プロローグ
はじめに一
『—い。———る。おき———。』
僕は今、きっと眠っている。夢を見ているのかもしれない。
『—ら。い——まで—————ちゃだ——だよ。—そろ————る——だぞ。』
『誰か』が僕に向かって話しかけている……よく聞き取れないけれども。
その声はぼんやりとした無機質なものだった。男性のものなのか女性のものなのかわからない。でも、その『誰か』は忘れてはいけない、僕にとってとても大切な人だったと思う。思い出せないけれど。
『これか———は生きるん———ら。しっかり———さい。』
なんだか僕の心配をしているようだ。でも、何故か返事が出来ない。
これが夢だからだろうか?わからない。それっきり何も聞こえなくなった。
その『誰か』の姿は歪み、ぼやけており、僕には見ることが出来ない。でも、しばらく無言で僕を見ていたように感じた。それを僕は不快に感じなかった。それはどこか懐かしいもののように感じたのだ。
でも、その声が言うようにいつまでもこうしてはいられないと思った。
どうしてかはわからない。
僕は目を覚ます。
◇◇◇
清々しい海の香りがした。日差しが強い。暑い。
どうやら僕は寝そべっているようだ。
傍から見ると産卵に向かう海亀のような姿をしているだろう。
身体中が痛み、感覚が鈍くなっている。だが、目に見える怪我はなく、どうにか動かせるようだ。
手のひらに砂の感触を感じる。僕は何度も砂を握り、放す。だんだんと手の感覚が戻ってくる。
体を起こすだけでもかなりの時間がかかった。
震える足を踏ん張り、立ち上がると、僕は周りを見渡す。ここはどこだろう?
僕は自分がどうしてここにいるのかわからなかった。
僕は砂浜に寝ころんでいたようだ。辺り一面の砂。陽に照らされ、輝いている。
後方には海が広がっている。青色のようで緑色のようでもあった。目が覚めたばかりの僕の目にはそれがとても美しく映った。
前方を向くと、樹木が視界いっぱいに飛び込んできた。そこは密林のようだった。見ただけではどれほど深いのかわからないほど深そうだ。
僕はぼんやりと景色を見ていた。寄せては返す波が僕の足先を濡らす。その冷たさが僕の感覚をはっきりとさせていく。
「僕は……誰なんだ…?」
僕は自分が誰なのかわからなかった。自分の言葉で現実を改めて認識する。
今まで自分が何をしていたかの記憶が一切ない。自分がどこで生まれたのかも思い出せない。家族の顔も思い出せない。僕はこの状況でなにをすればいいのか、自分がなにをしたいのか、前も後ろもわからなかった。
僕の足は立ち上がる時以上に震えていた。目はぐるぐると回り、額からは絶え間なく汗が噴き出していることがわかる。僕は自分の体と心の変化を感じた。
でも、僕は密林に向かって、前に向かって足を踏み出す。一歩一歩慎重に。
だんだんと近づいてくる密林に僕は不安を感じた。身の危険を感じた。
それでも、僕はそのまま砂浜に止まることの方が嫌だった。
僕は草をかき分け、木々の隙間に踏み込む。
単純に何もしていないより動いた方が気を紛らわせると思ったのだ。
◇◇◇
僕は日に日に自分が衰弱していくことがわかった。それもそのはずだ。僕にはどの植物を食べて良いのかわからない。海水以外、水と言っていいものも見当たらない。恐怖からこの密林に住む魔獣を狩ろうとも思わなかった。僕は空腹だからと言って、衝動的にあらゆるものを摂取することに強い抵抗があった。
きっと僕は慎重な性格なのだろう。そのため、僕は驚くほど少しずつ前に進んだ。ゆっくり、ゆっくりと。その結果、この様なのだから何とも言えないけれど。
数日歩き続けたがあまり進んだ実感はなかった。僕は改めて自分が無力であることを知った。
今日もまた辺りが暗くなり始めた。さっきまでじりじりと忌々しく感じていた太陽が恋しい。魔獣のものであろう遠吠えを合図に密林全体を不穏な空気が包む。明るい時には僕にとって目印となる木々は恐怖の対象に変わった。やはり夜は明るい間より怖かったのだ。
その頃にはすでに僕の体は限界に近づいていた。手の震えは止まらず、目はうまく開くことが出来ない。何も出ないのに何度も嘔吐を繰り返した。なんでも良いから何か食べればよかったのかもしれないが、誤ったものを食べてさらに状況を悪化させるのではないか、と考えるだけで僕は恐怖し、何も行動できなかった。そこまできて、僕はやっと自分が慎重なんかではなく小心者であることがわかった。
僕はもう歩くことが出来ない、と感じた。自分が生きることに執着しているのかよくわからないことに酷く悲しくなった。でも、記憶があった頃の僕は死にたいと思っていたのかもしれないなとふと思った。
僕はいつの間にか気を失っていた。
◇◇◇
『こらこらこら!!どうしてこんな有様なんだ!』
『誰か』が僕に話しかけている。僕は空腹も震えも感じなかった。また僕は夢を見ているのか?
だが、前回の夢とは少し違い、前よりもはっきりと聞こえた。女性の声だ。その声はしっとりとしており、耳に心地よかった。自ずと僕の耳が惹きつけられていくことがわかった。
『君は臆病になりすぎだよ。生きるために色々と行動してみるべきなんじゃないのかい!?』
姿はわからないが、声からして僕に呆れているようだった。
僕は返事をしようと口を開く。今回は声を出せるようだ。
「…君は誰?」
『君にわからないのなら私にわかるわけないじゃないか。』
その声の主、彼女は僕の問いにすぐに答えた。いわゆる逆ギレである。
ぶっきらぼうな物言いだ。
「どういうこと?」
『君の夢に出てきてるんだから私はただの君の妄想に決まってるじゃないか。』
「確かにそうかもしれない。」
『その返事…ほんとにわかってるの?』
「うん。」
僕は正直に言うと辺りを見回していて、あんまり聞いていなかった。頭もぼんやりしているし…
ここは何処なのだろう?
『…やっぱり聞いてないじゃん…それより、君は自分の現状を整理するべきだぞ。』
「…現状?」
彼女の声は真剣だった。
僕は考える。現状と言っても僕はもうすぐ死にそうだったんだ。
何を考えれば良いのだろうか?
「…記憶がないことについてとか?」
『そう。じゃあ、そこから考えようか。』
「でも、僕はもう死にそうだったんだよ?」
『…あ。そうだ!それ!
どうして何にも食べたり飲んだりしなかったのっ!』
「…なんだかよくわからないものを食べるのは怖くって。」
『その結果死んでちゃ意味ないでしょ!』
どうやら彼女は少し怒っているようだったが心配しているようにも感じた。
僕の空想なのに僕より僕の身を案じているぞ。なんだか面白いな。
「へへへ。」
『なに笑ってるの!…そもそも、君はあまり現状を整理せずに進んでいただろう?
だめだめそんなんじゃ。』
「そうかな?」
『そうなんだよ。まず、何を忘れているかについて考なさい!』
「うん。わかったよ。」
それから僕らはひとつひとつ確認したけれど、割と時間がかかってしまった。
結果的に言うと、どうやら僕の思考や知識はしっかりしているようだった。でも、記憶は一切なかった。
『うーん……例えるなら君の記憶は穴が空いているみたいにみたいにぽっかりとなくなっているね。』
「穴?」
『そう、穴だよ穴。なにか強烈な出来事か強い衝撃によって生じたんじゃないかな?無意識にね。』
強烈な出来事…強い衝撃…僕に何があったんだろう?
僕はなんだか怖くなったけれど、同時に強く興味を抱いていた。
「そっか…何があったのかな?知りたいな。」
『…君はなんだか余裕だね。』
「うーん…さっきまでは1人だったから凄く不安だったんだけどね。でも、君がいたから一安心してしまった。」
『…何言ってんだか。私は妄想に過ぎないと言っているでしょうに。現実の君は死にそうなんだよ?』
呆れたような彼女の声を聞きながら僕は下を向いた。
不安がなくなった理由は他にもあったが言いたくなかったからだ。
彼女の声はなんだか包み込むような暖かさをもっており、恥ずかしながら母親を想像してしまっていたんだ。そう、恥ずかしながら母性を感じたのだ。
何を言っているんだか。
…そういえば彼女が僕の妄想だったのを忘れていた。彼女は僕が何を考えているのかわかっているんじゃないか?こりゃあ恥ずかしい。先ほどの彼女の呆れたような声を思い出し、顔が赤くなるのを感じた。
僕は慌てて話題を逸らす。
「あっ!…そういえばこの空間はなんなの?ぼんやりしているのに他の夢より現実的な感じがするんだ。」
『…ん?そうなのかな?私にはわからないよ。でも、君が特別だと思うのなら特別なのではないかな?』
「そっか…なるほどなぁ~」
『ほら!無駄な相槌うってる場合じゃないでしょ!』
「そうだね……あ。」
僕はなんだか体に違和感を感じた。この前感じたものと同じだ。
どうやら僕はそろそろ目を覚ますらしい。
『うーん…もう目が覚めそうなのかい?』
「そうみたいだ。」
僕はまだ彼女と話していたかったが、口には出さなかった。
何故かと言うともちろん恥ずかしいからである。
『じゃあ手短に言おう。自分で動いて食べ物を探すんだ。どうしても見つからないのなら水だけでもいい。体にものを入れるんだ。』
「わかりました。」
『君は返事だけはいいね…
いい?しっかり生きないとダメなんだよ?』
「そんなに信用ないかな?ちゃんとやりますよ。」
『…さっきまで死にそうだったのに何言ってるんだい?もう…
まず、川を探すのがいいかもしれないね。人が見つかるかもしれないしね。』
「了解です。」
『最後に魔獣には気をつけて。もしも、殺されそうになったら死に物狂いで抵抗するんだよ。身を任せて死なないように。』
「うん。」
『…頑張るんだよ。』
彼女の話は手短ではなく意外と長かった。彼女は心配性なようだ。彼女の声はどこか不安そうだったし。
でも、彼女が悲しむ姿は見たくなかった。まぁ、僕の妄想なんだから僕が死んだら彼女も消えてしまうのだけど。
僕は胸に手を当て、目を瞑る。彼女に誓って生きてみようと思った。
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