第200話 祝勝会

 オリエンタリス砦は貴族たちの社交場と化していた。破損した城壁は今なお、急ピッチで修理が進められているが、普段は出陣式や叙任式が執り行われる広間にて祝宴が催されていた。

 鎧姿ではなく着飾った紳士淑女が集い、酒と料理が振る舞われ、同時に領民たちへも大量の七面鳥が下賜された。

 今日は下町でも祭りが開催され、誰もが腹いっぱい肉を食べられるイベントとあって、大賑わいとなるのだそうだ。

 一方、貴族達にもこの祝勝会は大きな意味を持つ。良家の子女が一堂に会する祝宴であるため、即ち年頃の男女にとっては、お相手探しの場でもあるのだ。


 普段は屋敷に秘されている美姫が、逞しくも雄々しい騎士に見初められ、恋の花咲くこともある。勿論結婚となれば、それぞれの家の思惑が関与するため、釣り合いや政略が絡んでくる。

 しかし人の心は縛ることが出来ない。さざめく男女達の声はここにまで届いていた。祝勝会の立役者たる俺が居る場所は、砦の厨房である。

 本来ならば祝宴の会場で、その武勇を称えられ、貴族たちのお抱え詩人や楽師たちによって、英雄譚に仕立て上げられるはずだった。

 だが俺にとってパーティー会場というのは拷問の場にも等しい。見知らぬ多くの男女から注目され、次々とよしみを求めて話しかけられるなど、想像するだに恐ろしい。


 この体になって以降、抗うつ薬は服用していないが、かねてよりの性向は変化しておらず、気心の知れた少数の仲間たちが社交範囲の限界となっていた。

 伯爵とコンラドゥスには事情を話し、命に別状はないものの負傷をしているため欠席しているとして貰っている。代理としてアベルがハルさんを伴って出席し、会場で主役となっている事だろう。


 俺は七面鳥のガラを煮込んで作っているスープの入った寸胴鍋の蓋を取り、中の状況を確認する。香味野菜はくたくたに煮えており、小皿にスープを取って味見をしてみた。

 定期的にアクを取っていたからか、澄んだ綺麗なスープとなっており、色からは想像も出来ない旨みの濃い味に仕上がっていた。


「うん! 良い味だ」


 独り言を呟いて、骨を取り出すと料理人に託し、骨周りの肉を剥がして集めるように指示する。

 新しい寸胴鍋を用意して竈にかけると、布を張ってザル代わりとしてスープを濾していく。ここで煮崩れた香味野菜やアクやゴミなどは布で濾し取られ、澄んだスープのみが残ることになる。

 濾し取った香味野菜は勿体ないが廃棄して、新たに具となる野菜を投入し、料理人たちが掻き集めた肉をスープに戻して暫く煮れば完成だ。

 濃厚な七面鳥の出汁をベースに塩と胡椒で味を引き締め、アンテ伯領特産のカブが人参と共にトロトロに煮えて堪らない味をしている。

 味見をしていた料理人たちも驚きつつ、給仕が持ち込むスープ皿に注いで会場へと送り出している。


 俺は厨房を見回し、それぞれの料理の進み具合を確認した。七面鳥のローストは、肉が巨大過ぎるため丸どりのローストなど望むべくもなく、適度な大きさに解体された肉塊が至るところで焼かれている。

 二つ並んだ石窯では料理長とその助手が並んで火の通り具合を睨んでいる。焼かれているのは七面鳥のキッシュだ。


 キッシュというのは一口に言うならば『塩味のパイ』である。

 サツマイモのタルトに使った生地は『甘い生地』であり、対してキッシュに使う生地はPâte briséeパート・ブリゼ、直訳するならば『脆い生地』になるとハルさんが言っていた。

 昨日から仕込んでおいた生地に、塩胡椒で炒めた一口大の玉ねぎ、ズッキーニ、カボチャを入れ、アパレイユと呼ばれる卵と乳製品を混ぜた物――ここでは全卵に生クリームと牛乳を使った――を流し込んで、チーズを乗せて焼き上げれば完成だ。

 お約束のピケ(穴あけ)作業は、料理長が幾何学模様を描くように丁寧にやっていたので、おそらく膨らみ過ぎることはないだろう。


 料理長の石窯に入れられたキッシュが先に焼き上がり、仕上がりを確認すると頷いて給仕に託している。

 試作した際に味見をしているのだが、日本人の感覚としては汁気のない茶碗蒸しのようで、パイである必要ないよね? という味になっているのだが、料理長たちは美味いと言っていた。


 次々と料理が運び出され、戦場のようだった厨房に弛緩した空気が満ちた。

 調理が必要な料理は全て終わり、やっと料理人が一息つける時間となったのだ。

 俺は周囲を見回して、頃合かと判断して皆に声を掛けた。


「皆お疲れ様。さあ、ここからは賄いの時間だ! 領主すら口に出来ない、とっておきがあるんだが、食べてみるかい?」


 俺の台詞に厨房に歓声が上がった。料理長が小走りにやってきて耳打ちする。


「ご領主様も口に出来ないってどういうことだ? 非合法なものじゃないだろうな?」


「いやいや、まさか。勇者の特権とやらで貰った素材のお裾分けですよ。ただ魔術を覚えていない人には危険かもしれないので、残念ながら平民の方にはご遠慮頂くほかないのですが……」


「危険? 貴族の厨房を預かるのは、当然貴族の一員だ。ここに平民はおらんよ。で、何を食わせてくれるんだ?」


「おお! それは良かった。平民の人達用に別料理も用意していたんですが、どうしても味が劣りますからね。これです!」


 そう言って俺は準備しておいたハンバーグステーキのタネを見せる。

 合い挽き肉を成形した、地球ではお馴染みのハンバーグだが、料理長は謎の肉塊に及び腰になっていた。


「なんだその奇妙な肉は? 妙に黄色いし粘々しているじゃないか…… 腐っているんじゃないだろうな?」


「あれ? 挽き肉って使わないのかな? うーん、黄色くて粘々しているのは卵を混ぜているからです。他にもパン粉や、たまねぎのみじん切り、チーズも入っています。

 まあ、論より証拠です。一つ焼きますから、それを見て判断して下さい」


 そう言うと油を引いて熱したフライパンにハンバーグを投入し、弱火でじっくりと火を通していく。

 片面に焼き色がついたらひっくり返し、蓋をして蒸し焼きにする。充分に火が通った事を確認して皿に取り、残った肉汁に赤ワイン、トマトケチャップ、ウスターソース、隠し味にオイスターソースをほんの少し入れてソースを煮詰めた。

 焼きあがったハンバーグに、熱々のソースを回しかければ特製ハンバーグの完成だ。


 料理長が固唾を飲んで見守る中、焼きあがったハンバーグにナイフを入れると、溢れる肉汁と共に熱でとろけたチーズが流れ出る。

 肉汁と胡椒、ナツメグの猛烈に食欲を掻き立てる匂いに、料理長が思わず手を伸ばしてフォークでハンバーグを刺すと口に運んだ。

 口に入れた途端に目を見開き、咀嚼しながら叫ぶという器用な真似を披露する。

 陶然とした表情で飲み下すと、大きく長いため息をついた。


「美味い…… この味を言い表すことが出来ないのがもどかしい。こんな美味いもの、生まれて初めて口にした……

 飲み込むのが惜しいとさえ思う、凄まじい味わいだ」


 料理長がそう言うと、残りのハンバーグを睨んで激しい駆け引きが始まった。

 料理長が呆けている間に、自分もそのおこぼれに与りたい。無言の視線が飛び交い、一番家柄の良い副料理長が手を伸ばそうとした瞬間、料理長が無情にもフォークを突き刺した。

 皆が絶句する中、あんぐりと開いた口にハンバーグが放り込まれ、もむもむとゆっくり咀嚼されていく。

 皿に残ったソースまでパンで拭って食べきると、口々に不平が上がった。


「料理長! どうして全部食べちゃうんですか!? 下げ渡すのが上に立つものの務めでしょう?」


「う…… いや、そんな考えが浮かばない程に衝撃的だったんだ…… 許してくれ」


 恨めしそうに料理長を睨む料理人達の姿に苦笑しつつ、新たに焼きあがったハンバーグを皿に載せて声を掛ける。


「次が焼きあがりましたよ。まだまだありますから、一人一個は食べられますよ」


 そう言って皿を押し出すと、副料理長をはじめとした料理人たちが階級ごとに一列に並び、一皿を二人ずつで分け合いながら食べていく。


「柔らかい!! 噛むまでも無く口の中で溶ける! ああ! 堪らない、この味、この香り! これは料理長を責められない」


「なんて複雑な味なんだ…… 甘い、辛い、酸っぱい、塩辛い、全てが存在しながら調和している」


 俺は次のハンバーグを焼きながら、料理人たちの反応を微笑ましく眺めていた。

 料理長が俺の横に並び、焼き方やバットに並ぶタネを見つめながら聞いてくる。


「焼くだけなら俺も手伝おう。それで、これはなんと言う料理なんだ?」


「そうですね。ハンバーグというのが料理自体の名前なんですが、素材が少し特殊なので、題して『王のハンバーグレックス・ハンバーグ』ですかね」


 魔力を多く含む肉だけに、放出手段を持っている貴族しか食べられない難有りの料理だが、その味は王侯貴族すら魅了すると確信できる。

 裏方が集う厨房で、華やかなパーティー会場以上の料理が供されているとは誰も思うまい。

 これは決して結婚できなかった男の僻みではない! 縁の下の力持ちを労う純粋な俺の善意であるはずだ。

 幸せなカップルは美味しい料理など食べなくても幸せなのだから充分だろう?

 微妙に黒い感情を窺わせつつ、俺は黙々と肉を焼き続けた。

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