第125話 大河を下る02

 昼食を終えた後は片づけをしながら鯉もどきを調理してくれた山妖精の青年に調味料について訊ねてみた。

 すると彼は壷に入った刺激臭のある味噌っぽいものを見せてくれた。元々は地妖精が作っているソラマメのような豆を保存するために食塩と、防腐剤代わりに使用されている山椒の実に似た植物と一緒に詰めていたら偶然出来たものらしい。

 作り方を聞く限りでは本来の豆板醤に近いもののようだ。日本で普及していた豆板醤は豆板辣醤であり、唐辛子が入った辛いものを指す。

 麻婆豆腐のような風味を感じたのは当然であり、中華料理も好きな俺としては是非とも欲しい調味料だ。

 早速交渉してみると、売り物ではなく隊商が持ち運ぶ旅用品として位置づけられているらしい。彼の一存では決められないということだったので、後でギリウス氏と交渉することにした。


 隊商に次の野営予定地を教えてもらい、目印を頼りに先行して転移する。

 そこは川が大きく曲がった際に取り残された三日月湖のようで、湖の畔が大きく開けており早速野営の準備を始める。

 川の流れで磨かれた丸石を集めて竈を組み、三日月湖に大量の粘土が堆積しているのを見て、それを採取して竈の隙間を埋める。

 大鍋の形状に合わせて受け口を整え、常設の竈として利用できるようにしてみる。繰り返し利用すれば設営の手間を軽減できる。

 素人の日曜大工レベルとは言え、七輪の構造を真似れば中々の物が出来上がった。素材がたくさんあったので同じ物をもう一つ拵えると、本格的なキャンプ地の調理場のように見える。


 粘土を乾燥させる必要もあり、早速焚き火を熾して空焚きする。送風口から広葉樹の落ち葉で作った即席団扇でパタパタと扇ぐと良い感じに火力が上がる。

 上部が開放されたままでは熱効率が悪いため、大鍋に水を入れて設置し火をたき続ける。

 薪が燃え尽きるまでには時間があるため、今晩の食材を探しに周囲を巡る。

 食材が現地調達できれば良し、出来なければ持参した食料を使うだけのことなので気楽に雑木林へと踏み込んだ。

 昼が魚系だったので夕食は肉系が良いのだが、手ごろな獣が居ないかを見回してみる。双眼鏡で辺りを見ていると派手な色をした猿が居た。

 見た目が人間に近い猿は少しというかかなり忌避感があるので、早々に別の獲物探しへとシフトする。

 すると鋭い叫び声が上がった、そちらへ視線を戻すと先ほどの猿が巨大な蛇に襲われている。

 

 恒温動物であるためか、それほど大きくない猿に対して蛇は巨大だった。昔動物園で見たアナコンダやニシキヘビぐらいあるんじゃないだろうか?

 頭を丸呑みにしたまま胴体を締め上げている。あれは助からないなと大自然の厳しさを眺めていると不意に近くでドサリという物音がした。

 恐る恐る振り返ると同じぐらい大きな蛇が落ちてきていた、既に攻撃半径に入ってしまっているのか鎌首をもたげて威嚇している。

 野生動物は自分を中心とした同心円状のテリトリーで世界を把握していると言われている。状況や相手によって距離は変動するものの、最も外側に逃走距離が設定され、その内側が個体距離パーソナルスペース、最も内側が臨界距離と呼ばれる。

 そこより内側に踏み込めば反撃をしてくる距離となる。そしてこの蛇と俺の距離は臨界距離を越えてしまっているのだろう、逃げ出すことなくこちらの動きを観察しているようであった。


 ここで慌てて大きな動きをすればたちまち襲い掛かってくるのは目に見えている。なるべく刺激しないように身を屈めるようにしてゆっくりと後ずさる。

 巨大蛇の瞼の無い無機質な瞳に見据えられ、そろりそろりと距離を取り始めたところ、更にドサリという音がした。この状況で振り向く事は出来ないが、重々しい音とシューシューと言う威嚇音を聞く限り背後にも蛇が居るであろうことが予測できた。

 前後を巨大な蛇に挟まれ進退窮まったが不思議と襲い掛かっては来ない。そこで屈んだ姿勢を活かして溜めを作り、威嚇音が甲高い音に変化した瞬間を狙って大地を思い切り蹴って横っ飛びに跳ねた。

 大地が爆ぜた。蹴り足が大地を抉り自分の体を予想以上の速度と飛距離で横方向へ弾き飛ばす。一瞬で目標地点としていた立木に達するが、自分の体は空中にあり明らかに衝突コースだった。


 勢いのまま立木にぶつかるが弾け飛んだのは立木の方だった。生木の線維が断裂するミチミチという音を立て、臨界点を越えた立木はべきりとへし折れた。

 幾分勢いを殺されたものの止まることなく雑木林の外まで転がり続ける。着地した際にずどんという音がしてやっと自分の増えた体重を思い出す。身に付いた昔の癖というのはそうそう抜けるものではないらしい。

 安全圏で身を起こし、蛇がどうなったかを確認する。俺の前に居た最初の蛇はゆるゆると遠ざかっていたが、後方から俺を攻撃したであろう蛇は違った。

 おそらく攻撃した瞬間と俺が回避した瞬間がかち合ったのだろう、頭部を無くした体が力なく横たわって痙攣していた。恐る恐る自分の足を確認するとジャングルブーツの踵部分に蛇の頭部があった。


 しっかり噛みついたまま揺れる頭部に恐怖する。軍用のブーツは蛇の牙を通さなかったが、あの移動に追随する野生動物の攻撃速度が恐ろしい、冷静になってみると瞬間移動すれば問題なかったことに思い至る。

 ついでに『ラプラス』に設定した自動回避の設定値を見直すことにした。速度指定が時速60キロより遅くとも脅威となる存在があり、重量と速度以外に脅威度を評価する指標が必要だと思い知らされた。

 取りあえず蛇の頭をブーツから外して竈の傍に置くと、体の方に歩み寄る。予想以上に生命力が強い体は頭部を失ってもうねうねと動いており、時折痙攣する様は生理的嫌悪感を催させる。

 しかし自分が殺した生き物を放置するのも躊躇われるため、俺が折ってしまった立木から太い枝を折り取り蛇の体へと差し出した。

 反射行動なのか枝に巻き付いた蛇を持ち上げ、竈の傍まで運ぶ。相当重量があるはずの巨大蛇だが、強化された肉体は重いとさえ思わない。


 活きの良すぎる体に木の枝を杭として突き刺し、体を裏返しにしながら伸ばしていって先端付近も突き刺して一直線に延ばす。

 全長およそ7メートルにも及ぶ巨体はゴムタイヤのごとく弾力があり、太い個所では俺の胴体の倍以上ありそうだ。俺の記憶では地球でも10メートルサイズのニシキヘビがいた筈なので、異世界基準だとこれでも大きいとは言えないのかも知れない。

 折角お湯も沸いているし蛇も所詮はたんぱく質、焼いてしまえば食えるはずと解体することにした。蛇の内側を辿っていき、総排泄孔にナイフを突きたて硬い鱗を引き裂いていく。

 ハサミでもあれば良いのだが、ナイフでは滑ってしまって上手く切る事が出来ない。四苦八苦しながら腹を割き、分厚い脂肪を掻き分けて内臓を確認すると未だに心臓が脈動しているのが確認できた。


 恐ろしい生命力だが一息に楽にしてやろうと心臓を掴み、周辺の血管を切り離す。それでも動き続ける心臓を頭の傍に置くと、巨大な赤褐色をした肝臓と思わしき臓器を取り出す。

 一瞬茹でたら食えるかな? とも思ったのだが巨大カマキリに寄生していたハリガネムシを思い出し、妙な寄生虫にやられるのも嫌なので捨てることにした。

 巨大な胃袋には得体の知れない何かが一杯に詰まっており、満腹状態なのに襲い掛かってきたことを不思議に思う。続いて蛇の胆嚢が見つかる、蛇の胆嚢は強精剤として有名であり、舐めると甘いと言われている。

 黄褐色のそれは薬になるかも知れないと、切り取って心臓の横に並べる。それ以外については特に知識がないため、まとめて腹から掻き出して捨てると蛇の腹開きが完成した。


 へし折ってしまった生木を持ってきて、鉈で適当なサイズに切り出して更に縦に半分に割って横たえる。石を並べて転がらないように固定して即席まな板を作ると、貼り付けにした皮から筋肉だけを引き剥がして載せる。

 背骨は大きかったので取り除けたのだが、無数の腹骨は流石に取り切れず骨ごとぶつ切りにするしかない。小山のようになった蛇肉は皮から剥がしてしまえば鶏肉と変わらない。

 蛇肉を熱湯に漬けて良く洗い、洗い終えた物からもう半分の即席まな板に並べていく。最後に解体に使ったナイフと自身の両手をも熱湯に突っ込むと良く洗う。熱は感じるものの、熱いとは思わないので人間離れしていることを自覚した。


 改めて大鍋に湯を沸かし、本格的な調理に取り掛かる。巨大な蛇皮は何かに使うかもしれないからと大地に伸ばしたまま乾燥させている。

 作る料理は(蛇)肉ゴロゴロのカレーシチューだ。蛇以外の食材はリュックから取り出した包丁とまな板で調理する。まずは玉ねぎとにんにくをみじん切りにして脇にどけ、人参とジャガイモを一口大に切っていく。

 沸騰した湯に人参とジャガイモを放り込み、もう一つの大鍋に油を入れると玉ねぎとにんにくのみじん切りを炒める。玉ねぎの色が変わり始めたらカレー粉をたっぷりと投入し、香りが立つまで炒め続ける。

 カレーの匂いが充満し始めたところに缶詰のホールトマトを汁ごとぶちまけ、ローリエと固形コンソメを投入すると茹でておいた人参とジャガイモに蛇肉も一緒に煮込み始める。

 後は塩胡椒で味を調えつつ水分量を調整しながら煮込めば良いだけだ。キャンプ料理では定番のカレーだが、前回隊商に同行した際も非常に受けが良かった。

 火を絶やさないように加減しつつ、野菜を茹でた湯は捨てて再び新しい湯を沸かしながら隊商の到着を待った。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 まだ十分明るいが空から『ソラス』が姿を消し、『テネブラ』のみが照らす薄暮の世界となった頃に隊商が到着した。

 遠くからでも料理の香りが判ったらしく、皆が浮足立っているのが判る。先頭の車両を操るギリウス氏が大きく手を振っているのに合わせて、こちらも手を振り返して合流した。

 隊商を駐機場所に停めるとてきぱきと野営の準備を整え、竈に来る途中の巨大蛇の皮に気づいて悲鳴を上げる。頭だけになった蛇はその状態でも噛みついてくるので木の棒を噛ませてあるが、皮と並べてあるので恐ろしい光景になっている。


 それでも野営の準備が整うと、皆がいそいそと各自の食器を取り出して大鍋の前に列を作る。肉たっぷりのカレーシチューを注ぐと焚き火の前に陣取って、パンを炙りつつシチューと一緒に食べている。

 小骨が多いからか時折口から骨を吐き出しているが、旺盛な食欲を見せる山妖精達によって早くも大鍋の底が見え始めていた。

 俺も自分の皿からシチューを掬うと一口含んで笑みを深める。蛇肉にはシスタチオニンというアミノ酸ペプチドが多く含まれているらしい、これは疲労回復に効果があるとされており、しかも分解される過程でグルタミン酸にもなるため非常に美味い。

 良く煮込まれた蛇肉は骨離れも良くジューシーで、噛みしめるたびに旨みの汁を吐き出す。肉自身の味は淡白なのに濃厚な滋味が感じられる老鶏のような味がした。


 またしても大鍋は空になり、最後の一滴までパンで拭いさられた鍋が人気のほどを物語っていた。疲労回復とは別の強精作用が悪く働き、翌朝困ったことになる山妖精が続出するのだが、それはまた別の話。

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