第116話 来訪者の影響力

 膨大な量の資料を写真に収め終えた時には既に日も暮れていた。あれほど大勢いた地妖精たちは日があるうちにと、試験農場のある地上へと移動してしまい、ここには俺とハルさんの他は老夫妻が居るのみとなった。

 漏れが無いかを複数回チェックしたのにも付き合ってくれた技術者の地妖精にお礼を言って資料を返すと、彼はこの地に残った医療班たちに子供を助けられた恩を返したかったとほほ笑んでくれた。

 何でも小さいが猛毒を持つ蛇に噛まれた彼の子供を発見し、即座に必要な手当てをしてくれたおかげで彼の子供は脚を切断せずに済んだのだそうだ。

 この世界では病気による死亡リスクは少ないが、外傷によって不具となると長い寿命が災いして悲惨な人生を送ることになる。医療班のメンバーは確実にこの地に溶け込み、既に地妖精にとって重要な存在となっているようだった。


 その彼も地上にある天文台へと資料を戻しに赴き、アパティトゥス老人宅は閑散としていた。一息ついたところでアディ夫人が例のドクダミ茶に似たお茶を淹れてくれたので、皆でお茶にすることにしてテーブルを囲んだ。

 本来はここに来る予定が無かったため、何かお茶請けになるものは無いかとリュックを探ると森都で作った黒糖が出てきた。

 甘味が全くないドクダミ茶とならこれも良いかも知れないと、取り出して一口サイズに切り分けて木皿に載せてテーブルに置く。

 見た目の異様さに怯んでいたアパティトゥス老人だったが、その甘い香りに惹かれたのか更に小さく割って一口食べると膝を叩いて俯いた。

 僅かに震えている彼を見ながら、森妖精とは味覚が違うのかと心配になっていたが、彼は黒糖の欠片を指で摘まむとアディ夫人に勧めた。

 アディ夫人は夫の指から欠片を受け取り、恐る恐る口に入れるとたちまち目を見開いて叫ぶ。


「まあ、なんてこと! 甘い、凄く甘いわ! 蜂蜜とは違った甘さだけど、果物よりもずっと甘い! こんなに美味しい物があるなんて」


 これは森都で新しく作るようになった黒糖であり、今後は隊商を通じて交易品として入ってくると言うと老夫妻は微妙な表情になっていた。

 黒糖を作るのにも地妖精が提供する良質の陶器が欠かせないし、採卵事業が上手くいけば栄養価の高い卵は有力商品となる、更には『闇の森』の黒土を使ったジャガイモの促成栽培で充分勝負になると言うと表情が和らいだ。

 俺たちが森妖精だけに過度に肩入れをするつもりがない事を判って貰わないと、妖精族の将来に禍根を残すことになる。この辺りはそれぞれの指導者たちとしっかりと話し合う必要があるだろう。

 少し微妙な空気も漂ったものの、全体的に和やかなお茶会を終えてリュック内の黒糖は全てお土産に置いてきた。アパティトゥス老人宅を辞すと隊商が停留している地上へと向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 地上へと戻り隊商の駐機しているエリアに向かうと、日暮れとは言え『テネブラ』の影響で充分明るく、そこは活気に満ちていた。

 多くの地妖精達が目新しい商品を買おうと並び、隊商の商人たちは色々な品物を並べて盛んに客寄せしている。

 中でも一際多くの客を集めている店があり、商品を窺うと森都産の黒糖と蜂蜜を扱っている甘味屋だった。

 黒糖をサイコロサイズに切って試供品として出しており、一つ口にした地妖精たちは皆唸って購入していく。甘味というのはこうまで破壊力が高いのか、少し砂糖のポテンシャルを過小評価していたようだ。

 一方でお茶の方はそれほど人気が出ていない。ドクダミ茶に慣れている地妖精には物足りないのかも知れない。店主に訊ねると山妖精には好評だったので当てが外れたと嘆いていた。

 甘味が好評なので紅茶に砂糖を入れて提供すれば良いと思ったのだが、余計な入れ知恵はしないことにした。


 隊商の先頭付近に建てられた小屋を訪ねると、隊商を率いているリーダーのギリウス氏が居た。

 彼は俺たちのお陰で隊商の存在価値が上がり、支援してくれる人達も増えたと喜んでいた。しかし俺が先々で新商品を紹介してしまっており、新商品を運んできた時の驚きが得られなかったことを愚痴られもした。

 ひとしきり挨拶も済んだところで本題を切り出す。隊商がこの後何処へ向かうかを訪ねると、アスガルドを抜けてそのまま水妖精の拠点へと向かうと言っていた。

 出発時期を確認すると6日後にここを発つと言うことだった。森妖精の時と同じように我々の中から数名同行させて欲しいと申し出ると、旅先でのリスクが激減すると歓迎された。

 詳細が決まったらまた訪ねてきますと言い置いて隊商を去り、森都近くの交易村へと戻ってきた。


 『カローン』に戻りミーティングスペースを覗くも、ドクが見当たらない。ラボにも居るように見えないため、最下層のマシンルームだろうと当たりを付ける。

 マシンルームに入るとドクが『G-Ⅱ』の配線をいじっていた。考え事をしている風なドクに声をかけると彼はゆっくりと顔を上げた。その表情は明るくなく難しい顔をしている。


「今戻ったよドク。新しい資料が手に入った。そっちはどうだい? 不景気な顔をしているが、何か厄介ごとかい?」


「厄介ごとっちゃあ厄介ごとなんだがな。どうにも観測装置から返ってくる数値と計算上の予測数値が合わないんだ。まだサンプル数が少ないから精度が足りないのもあるんだがな、資料が間違っている可能性もある」


「まあ観測位置が固定じゃないってのもあるんじゃない? 地妖精から得られた資料は定点観測データらしいよ。そっちに送るから確認してみてくれ」


「お! 今回は多いな、それに詳細だが像が反転しているな。まあ補正かけたら問題ないか、取り込んで解析してみるさ。しかし地妖精の方が詳細なデータを持っているとは予想外だったな」


「地上拠点を放棄して地下に潜る際にかなりの耕作地を失ったみたいだからね、効率的な農業をしないと食料が不足するから努力したんだろうね」


「そういう事もあるか。んでもう一つの目的はどうだったよ? 隊商はどこへ向かうって?」


「ああ、そっちは都合良く水妖精の拠点へ移動するらしかったんで、同行出来るように頼んできたよ。出発は6日後らしいから、その間に水妖精にも何か特産品を考えないといけないかもね」


「ん? なんでだ? 物々交換しかしてないんだから水妖精は困らないだろう?」


「俺たちが関与したことで妖精族間のパワーバランスが崩れそうな予感がするんだよ。とは言えやってしまった事は戻らないから、水妖精にも何か特産品を持って貰って対等の関係を保って欲しいと考えているんだ」


「ふーん、そんなもんかね? 放っておきゃそのうち平衡状態になるもんだけどな」


「まあ最終的にはそうなるけど、その過程を穏やかなものにしたいんだよ。どこか一つが勝ちすぎないように工夫して、互いが互いに必要としあえるパートナーになって欲しいんだ。まあ余計なお世話なのかも知れないけどね」


「俺はシュウのそういうお節介なところ、嫌いじゃないぜ」


 そう言うとドクはニカッと笑ってサムズアップして見せた。半分ほど飲み干した『命の水ドクペ』が握られていなければ、さぞかし様になったであろう仕草だけに惜しい。

 俺は情報解析をドクに任せるとチーム内で情報を共有するべく、アベル達を探して交易村へと向かった。

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